父の手がかりを探すため家に残った姉と義妹。あれ、家の中に不思議な空間がある? 浅倉秋成『家族解散まで千キロメートル』試し読み【4/6】

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/18

浅倉秋成さんの最新作『家族解散まで千キロメートル』(略称:家族千キロ)が3/26に刊行されます。
教室が、ひとりになるまで』では高校のクラスに隠された〈嘘〉を暴き、『六人の嘘つきな大学生』では就職活動の〈嘘〉に切り込んだ浅倉さん。最新作は、「高校」「就活」に続く人生の転換期「家族」を題材とし、そこに埋め込まれた〈嘘〉の謎を解き明かします。
発売に先駆けて、衝撃の1行で終わる95ページまでを特別公開! 
二度読み必至の仕掛けが潜む、驚愕と共感のどんでん返しミステリをお楽しみください。

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浅倉秋成『家族解散まで千キロメートル』試し読み【4/6】

いえ

 鉛筆を動かす手を止めると、あすなは鬼気迫る声を家中に響かせた。
「何としてでも、お父さんを見つけるから」
 あすなは居間に戻ってくるやいなや炬燵の上に一枚の紙を広げ、人差し指で細かくつついた。そして遅れて入ってきた珠利が遠慮がちに覗き込んでいることを確認すると、これが現在の喜佐家の間取り図であると説明する。
 三十年以上前、この家を改築した際に大工から提出してもらった設計図だ。当然、紙は干からびたように黄色く変色している。倉庫にほんの数枚だけ残っていたものであった。
「古い上に、近所に住んでた大工さんに施工してもらったから、家もこの間取り図も造りは雑。でも大体このとおりだから、スマホでこの図面を撮るなりして、一緒に家中を探して欲しい」
「……何を探せば」
「お父さんの居所の手がかり。絶対にあるから」
「電話、やっぱり繋がらないんですか?」
 指摘されたあすなはすぐさまスマートフォンを掴むと、素早い動作で父さんに電話をかけた。しかし電話口から応答があるはずもなく、まもなくどこからか重たいバイブレーションの音が響き始める。あすなは耳を澄ましながらゆっくりと立ち上がると、音の発信源を探して廊下に出る。
 電話台の引き出しの中から携帯電話を見つけたあすなは、居間に戻ると少々乱暴な動作で炬燵の上に放り投げた。
「お父さんは絶対に電話には出ない。一番安いプランで契約だけはしてるけど、どこに行くにしても携帯は家に置きっぱなし」
 どうあっても連絡はとれないという事実に強度の不安を覚えたのか、珠利は小さな鼻を震わせ始めた。そして喉をしゃくり上げると、涙をはらはらとこぼす。
 あすなは面倒くさそうに天井を見上げてからため息をつくと、苛立たしさを隠すことなく珠利をきっと睨みつけた。
 元来根は優しいはずなのだが、あすなは人を慰めることを極端に苦手としていた。当人は親切にしているつもりなのだが、声が少しばかり低いのと、眼力がいささか強いせいで意味もなく相手を畏縮させてしまう。不得手だと割り切れたのが十代後半。慣れない励ましの言葉で鼓舞するよりも、いっそ突き放すほうが性に合っていると判断したのか、以降は年少の周相手にも言葉を尖らせるようになった。
「悪いけど、今はしっかりして」
「あの……もしこれ、最悪の場合、惣太郎の会社も─」
「わかんないよ。私にはわかんない」
 あすなはハイカラな染め方をした髪をき上げると、叩くと撫でるのちょうど中間の力で、珠利の頭をぽんぽんと何度か触った。
「喜佐の人間でもないのに、こっちの問題に巻き込んじゃって悪いと思ってる。ただ、今は少し聞いて。家の中からお父さんの手がかりを探して欲しいって言われてもぴんとこないのはわかる。でも、この家には一つだけおかしな点がある」
 珠利は顔を上げると、洟を一つ啜った。
「お父さんはとにかくいっつも家にいない。どこかに遊びに行っては、そこの戸棚にお土産だけを残す。それの繰り返し。家にいる時間が極端に短いから、当然この家の中にもお父さんの荷物はほとんどない─ほとんどないからこそ、引っ越し三日前だっていうのに、荷造りほったらかしにしてどっかに遊びに行くことができてるの。でもね─」
 あすなは視線を間取り図へと落とす。
「いくら何でも、荷物が少なすぎる」
 鉛筆に向かいかけていた手を止める。
 あすなは間取り図を持ち上げると、ひとつひとつの部屋を指差しながら説明を始めた。ここが両親の部屋、私の部屋、周の部屋、台所、浴室。惣太郎と珠利が結婚したのは今から三年前。珠利がこの家に来たのは今日が初めてではないが、居間以外の部屋に入った経験は皆無であった。
「倉庫はすでに見た。でもお父さんの荷物らしいものは特になかった。両親の部屋、今は物置みたいになってる元子供部屋、この辺りにないのなら、床下か屋根裏を漁ってでも─」
「この……これは?」
「昔使ってたトイレ」
 喜佐家は二回の改築を経て現在の形に落ち着いたものの、一九九二年に二度目の改築を行うまで、トイレは家の中に存在しなかった。用を足す際には家の外にある狭い木造の小屋に向かう必要があり、雨の日は体を濡らすことになった。現在ではまったくと言っていいほど見られなくなったが、防臭機能が不十分だった当時はまま見られる形式であった。
 あすなは外のトイレも同様に確認しなくていいことを伝えつつ、とにかく家中のありとあらゆる場所をひっくり返して構わないと口にした。引っ越しの準備は順調に進んでおり、小物の類はほとんど段ボールに収納済み。今こそ家の中をくまなく探すことができる絶好の機会に他ならない。父さんの荷物が見つかったところで、父さんの居所に繋がる情報は出てこないかもしれない。今回のご神体騒動の原因を突き止められるとも限らない。
「でも」と、あすなは語気を強める。「この家族の真ん中はずっとお父さんだった。お父さんを捜すことが、あらゆる問題を解決する一番の近道に違いない。少なくとも今の私たちにできることはこれしか─」
「あの……訊いてもいいですか?」
「何」
「惣太郎、倉庫から出てきたあれを見たとき、二回目って、言ってたと思うんです」
 あすなは沈黙する。
 明らかに、触れられたくない話題であった。あまりにも事情が込み入っており、なおかつ喜佐家の誰もが、まだあの事件の全容を飲み込めていなかった。語りたくないというのも本音なのだろうが、語ろうにも語れないというのが実際でもある。珠利もあすながその話題に対して決してポジティブな反応を見せていないことは承知している様子であったが、しかし引き返すことはしなかった。
「以前もあったんですか? こういうこと」
「ちょっとごめんだけど、今、説明してる時間はない」
 あすなは急いたように、廊下へと繋がる襖に手をかける。
「必要なことは後で絶対に話すから、今はとにかくお願い。それと最初に一つだけ約束して欲しい」
「……約束?」
「この家から仮にどんなものが出てきても、それを他の家族には伝えないで」
 意図をはかりかねた珠利は黙したが、喜佐家で育ってきた人間であれば、あすなが何を危惧しているのかは自ずと理解できる。かつてあすなの父、喜佐義紀は、妻子のある身でありながらとある女性との不貞行為に及んでいた。浮気相手との関係は完全に清算されたはずであったが、その後も密かに通じていた可能性は否定できない。文通や、贈り物の形跡などが見つかったとして、それを家族の誰か─とりわけ母さんが知ることになれば、彼女は大いに傷つくことが予想された。
「何かを見つけたら、まず私のとこに報告に来てほしい。お願い」
「……わかりました」
 珠利はあすなの提案どおり間取り図をスマートフォンのカメラ機能で撮影すると、あすなとともに居間を飛び出した。二階に駆け上がり、廊下を走り回り、戸棚という戸棚を開けては閉める。屋根裏を探し、天井付近を強引につつくような音も響いた。かと思うと強度を探るように、こつこつと床を叩く音も響かせる。床下に繋がる継ぎ目を探していた。
 この日の最高気温は摂氏七度。最低気温はわずか二度。
 居間では石油ストーブが稼働していたが、それでも完全には暖まりきらない。断熱機能が貧弱な喜佐家の中に、快適と言える場所は少なかった。動き回っていれば多少は体も温まるだろうが、快活に過ごせる気温ではない。二人は定期的に暖を求めて居間に戻ると、しばし炬燵で体を温めてから再び居間を出た。
 広い家ではない。調査を始めてから一時間もすれば探すべき箇所にはあらかた手が伸びてしまい、徐々に手詰まりの気配が見え始めてくる。あすなは居間の中央で腕を組むと、次なる一手を考えるように目を閉じた。壁面の一点を見つめ、つま先でとんとんとバスドラムを小刻みに叩くよう、床を鳴らす。
「あの」
 珠利が勢いよく居間に飛び込んできたが、あすなの表情に期待の色はわずかばかりも存在していなかった。もとより、あすなは他者に期待することをよしとしていない。あらゆる物事を自分で決定したいと願う気持ちを自己中心的であると誹られることもあったが、彼女の本質はどこまでいっても強さであった。事実として彼女は、これまでの人生の多くの局面を独力で乗り超えてきた。
 どこか珠利に物足りない印象を覚えていたあすなが、彼女に対して過剰な期待を抱けないのも無理からぬことであった。どうせ、取るに足らない発見を口にするのだろう。どこか冷めた表情で珠利を迎えたあすなだったが、一枚の紙を見せられると途端に目を見開いた。
 短冊形の白い和便箋に、ボールペンの文字がさらさらと躍っている。
「これ、どこに?」
「倉庫の中です。一応と思って探したら、端っこのほうに落ちてて」
 あすなは、珠利の手の中に収まっている紙切れを険しい表情で見つめていた。いつまでも腕を組んだまま紙を受け取る気配がないので、自分が紙面を読み上げるべきだと判断したのだろう。珠利は甲高くも小さな声で、ゆっくりと紙面を読み上げた。

 喜佐様
 ひとまず五万円失礼いたします。残りの四十万円については、また後日、正式にご神体の引き渡しが済んだ際にお願いできればと思います。くれぐれも内密に、そして厳重に保管をお願いします。

 読み上げると、珠利は動揺から体を震わせた。
「これ、お義父さんが別の誰かとやり取りして、あの箱を保管してた─ってことですよね?」
「……外部の誰か」
「窃盗団とか」
 珠利は咄嗟に口にしたが、あすなに見つめ返されると矢継ぎ早に弁明を始めた。
「すみません。さっきテレビで神主さんみたいな人がそんなこと言ってたんで、つい。でもこれ、そういうふうにも読めるメモで。何だか……」
「お父さんが、外部の誰かと結託してた、か」
 あすなはぼそりと呟くと、しばらく可能性を吟味するように黙り込んだ。これまでの状況とメモの内容を参照してみれば、父さんが外部の何者かと協力関係にあったと見るのが自然であった。しかも金銭の授受が発生していた形跡が読み取れる。果たして取引相手は珠利が口にしたように窃盗団であったのだろうか。
 車で移動中の惣太郎たちにも、このメモの存在を共有すべきではないか。
 珠利が提案すると、あすなは伝えてあげて構わないと返した。あすなが漏洩を恐れているのは、父さんの不貞行為に纏わる情報。今回のご神体騒動に関するものであれば止める必要はない。どころか、積極的に全員で共有してよいと考えていた。
「それと、もう一ついいですか?」
 珠利は炬燵の上に置いたままになっていた間取り図を手に取ると、中央辺りの一点を細い指で示した。
「ここって……」
「あぁ、この向こう側ね」
 あすなはよくある質問を耳にしたといった様子で歩き出すと、居間の壁面を拳で二度ほど叩いた。軽快な音ではあったが、不意の物音に持っていたものを落としそうになる。珠利は気を取り直して、そこがと言葉を続けようとしたが、あすなは興味なげに話を続けた。
「ここは改築したときの影響で意味のない二重構造になってるだけ。たぶん、ものすごく薄い空間だろうけど、図面のとおり向こう側には意味のない空洞がある。耐震性を確保するために柱を動かせなかったからこうなったってお父さんからは聞いてるけど─」
「その、そこが─」
「この向こう側はどこにも繋がってない。空気が通るようにはなってるけど、四方を壁で嵌め殺しにしちゃったから─」
「行けるんです。たぶん」
 聞き間違いをしたと思ったのか、あすなは小さく首を傾げた。
「反対のこっち側の壁の一部、扉みたいになってるんです。だから、きっと行けます」

(つづく)

作品紹介

家族解散まで千キロメートル
著者 浅倉 秋成
発売日:2024年03月26日

〈家族の嘘〉が暴かれる時、本当の人生が始まる。どんでん返し家族ミステリ
実家に暮らす29歳の喜佐周(きさ・めぐる)。古びた実家を取り壊して、両親は住みやすいマンションへ転居、姉は結婚し、周は独立することに。引っ越し3日前、いつも通りいない父を除いた家族全員で片づけをしていたところ、不審な箱が見つかる。中にはニュースで流れた【青森の神社から盗まれたご神体】にそっくりのものが。「いっつも親父のせいでこういう馬鹿なことが起こるんだ!」理由は不明だが、父が神社から持ってきてしまったらしい。返却して許しを請うため、ご神体を車に乗せて青森へ出発する一同。しかし道中、周はいくつかの違和感に気づく。なぜ父はご神体など持ち帰ったのか。そもそも父は本当に犯人なのか――?

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