倉庫で盗品が見つかった!返しに行くため車で出発だ。「目的地までおよそ750kmです」 浅倉秋成『家族解散まで千キロメートル』試し読み【3/6】

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/18

浅倉秋成さんの最新作『家族解散まで千キロメートル』(略称:家族千キロ)が3/26に刊行されます。
教室が、ひとりになるまで』では高校のクラスに隠された〈嘘〉を暴き、『六人の嘘つきな大学生』では就職活動の〈嘘〉に切り込んだ浅倉さん。最新作は、「高校」「就活」に続く人生の転換期「家族」を題材とし、そこに埋め込まれた〈嘘〉の謎を解き明かします。
発売に先駆けて、衝撃の1行で終わる95ページまでを特別公開! 
二度読み必至の仕掛けが潜む、驚愕と共感のどんでん返しミステリをお楽しみください。

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浅倉秋成『家族解散まで千キロメートル』試し読み【3/6】

 本当であれば今日、僕の婚約者も喜佐家に来てくれる予定になっていた。しかし日本全国、多くの企業が休みになる一月一日にどうしても仕事を休めなかった彼女の仕事は、警察官だ。八王子警察署交通課配属。彼女の父も、そして彼女の母も、警察官であった。
 結婚するなら警察官にしなさい。
 警視庁に内定が出たときから口酸っぱく言われ続けてきたそうだ。特殊な仕事なので伴侶も同じ境遇にある人を選ぶべし。女性の警察官はほとんどが職場で結婚相手を見つける─というのはやや眉唾ではあったが、とにもかくにも彼女の両親は警察官との結婚を強く望んでいた。
 市役所勤めの男と結婚したい。
 両親は反対こそしなかったが、賛成の意は一切表明しなかった。感触は決してよくない。なのでどうか、挨拶の際は慎重を期して欲しい。婚約者から伝えられた僕は念入りに準備をしたのち、まさしく取調室に向かうような心地でご両親に挨拶をした。仁王のような顔がしっとりとほぐれるまでに要した時間は四時間半。三日酔いになるほどの晩酌につき合った結果、僕はようやく了承を勝ちとることに成功した。
 君なら、よしとしよう。
 そんな僕の父が、窃盗で逮捕されたとする。破談は決して悲観的な妄想ではなかった。むしろかなり理性的に見据えた未来の姿だ。僕は胸に大きな空洞ができていることに気づく。
 僕の結婚が、なくなる。
 考えた瞬間、耳鳴りが始まる。指先から温度が消え、心が氷になる。
 そんな僕とは対照的に、あすなは大きな瞳をまた一段と大きくして惣太郎ににじり寄っていった。
「え、何? じゃああんたはこれ、隠蔽しようって言うの?」
「そうは言ってねぇよ! でも通報する前にやることが─」
「ないでしょ! こうなっちゃったらもうどうしようもない! 隠す? 捨てる? そんなことしたらもっと悪いことに─」
「一旦、考える時間が必要だって言ってんだよ! 親父にも事情を訊く必要がある。ひとまず正月休みが終わるくらいまで様子見て─」
「三日後に引っ越し業者来るんだよ!? 三日後! だったら早く警察に連絡するしか─」
「返しに行きませんか?」
 すっ、と、倉庫が静まりかえる。
 僕らは導かれるように、倉庫の入口付近に立っていた賢人さんへと、視線を向ける。
 賢人さんは、右手にスマートフォンを握っていた。画面をこちらに向けたまま、僕らを諭すように語り出す。
「今しがた調べ直しましたが、やはり宮司は明言しています。『犯人が反省し、日付を跨ぐまでにご神体を返すなら、被害届は取りさげる』。返せばいいんです。返せば、お父様が何をしたのだとしても、誰も罪には問われません」
 惣太郎もあすなも黙り込む。確かに宮司は先ほどのニュースでも明言していた。ご神体を今日中に返してくれれば被害届は取りさげる。忘れていたわけではない。しかし真剣に検討する気も起きなかったのは、それがあまりにも非現実的であったからだ。
 ここは山梨県都留市。返却先は隣県ではない。
 青森県十和田市までいったいどれだけの時間がかかるのか、すぐにはイメージすることすら難しかった。新幹線を使えば四時間程度で行けるのかもしれない。飛行機に乗れたのならもう少し速く移動できるだろう。しかし元日にチケットが取れるかどうかは不透明であり、そもそもこのサイズの巨大な荷物を公共交通機関で輸送することはできない。となれば我々が選べる交通手段は車だけになるのだが、そうなった際にはいったいどれだけの時間がかかるのか。
「……無理ですよ、遠すぎます」
 僕は少なからず冷めた声で言ったのだが、予想外に賢人さんは力強い声音で、
「間に合うんです」
 断言した。
「Googleマップ上では、正月の混雑を加味した上でも移動時間は十時間と表示されます。現在時刻が十二時十三分。すぐに出発できれば午後十時すぎには到着できる計算になる。多少道草を食ったとしても、日付は跨ぎません」
 すぐに動き出せば、間に合うかもしれない。
 ご神体を返せば、罪には問われない。
 諸問題を一掃する奇跡のような可能性に心臓は寸刻高鳴るも、すぐには前向きになれなかった。ご神体を持ち主のもとへ返却しに行くと言えば聞こえはいいが、身も蓋もない言い方をすれば犯罪の隠蔽に他ならない。
 あの父と僕たちが家族である限り、責任の何パーセントかは僕らにもあるのだ。
 だから身内の粗相は、甘んじて受け容れなければ、ならない。
 それこそが、家族なのだから。
 そんな美しすぎるお題目が側頭部のあたりをかすめていったとき、僕は目眩と同時に、目頭が熱を帯びていくのを感じた。さすがにこの理不尽は飲み込めないだろ。奥歯を噛みしめ、どうあがいても、そこまでの聖人にはなれないことを確信する。家族の解体まで残り三日。最後の最後までこんなものに泣かされ、諦め、これも運命と居直れるわけがない。これまでの人生を要約し、濃縮し、わかりやすく再提示するような出来事に、どうしようもない業に、さすがに流されたくない反発心が湧き上がってくる。
「持って行ってあげたほうが……神社のためかも」
 僕や惣太郎が口にしていれば都合のいい詭弁であったが、珠利さんの言葉となると少しだけニュアンスに温かみが生まれた。確かに、僕らがこのまま警察に連絡を入れたとして、このご神体が明日の祭までに神社に返却されるかどうかはわからない。都合のいいロジックを組み上げている自覚はあったが、僕の心は青森へと大きく傾いていく。
 倉庫内を、十秒ほどの沈黙が包んだ。
 あらゆるものを素早く天秤にかける。大義名分よりも美しさよりも、何より自分の本心に問いかける。やがて二つの部品が隙間なくかっちりと噛み合うようにして、一つの強固な答えが弾き出された。僕は言葉を濁さず、はっきりと口にする。
「……返しに、行こう」
 綺麗事を並べるつもりはない。僕はただただ、自分の結婚を、守りたかった。月並みな表現にはなるが、僕は婚約者のことが心から好きだった。あんなに心が清く、まっすぐで、そして僕のことを深く理解して受け容れてくれる人間は、この世界に二人といない。君と一緒にいるためなら世界を敵に回しても構わないという台詞はあまりに陳腐だが、今の僕にとっては少なからず本心であった。
「……マジかよ」
 惣太郎は頭を抱えたが、道のりの途方もなさに立ちくらみを起こしているだけであった。心はすでに固まっているようで、
「青森……青森かよ」
「悪いけど、載らない」苦しそうにこぼしたのは、あすな。「うちの車じゃ、とてもじゃないけどこの大きさの荷物は、載らない」
 我が家の駐車場には現在四台の車が止まっていた。母の軽、父のセダン、あすなの小型車、そして惣太郎のスポーツカー。しかしいずれの車も、どう考えても高さが足りなかった。後部座席を倒したらどうにかなるという問題ではない。
「タクシーなら」と母は提案したが、
「運転手にバレたらどうすんだよ」と惣太郎に却下される。「それにドライブレコーダーに写る」
 即座にレンタカーという言葉が喉まで出かかったが、こちらもあまりよい発想ではなかった。タクシー同様ドライブレコーダーに記録が残ってしまうし、そもそも一月一日に飛び込みでレンタルできる見込みはかなり低そうに思えた。そして何より、この家の近くにレンタカー屋など存在しない。
 宅急便で送ってみればと珠利さんも控えめにアイデアを出してくれたが、失礼ながら論外であった。今日中に届けられないし、あらゆる箇所に輸送の履歴が残る。
 動揺と興奮が落ち着き始め、やはり不可能なのではないかという不安が腰元あたりから這い上がってくる。徐々にコートのない冬の空気に鼻水が止まらなくなってきたところで、
「アルファードになら、たぶん載る」
 惣太郎は木箱を見つめながら言った。
「今日はあっちの車に乗ってきたけど、浦和の家にはアルファードがある。この前帰省したときに乗ってきた、大型のミニバン。三列目を倒せば、たぶん普通に載せられる」
「でも─」と僕は尋ねる。「浦和に車を取りに行ったら」
「往復で四時間以上かかる。だから行って帰ってはできない。でも、どうにか浦和までご神体を持っていくことができれば─」
 望みはあるかもしれない。
 Googleマップで再度検索をすると、浦和の惣太郎の家から十和田白山神社までは車で八時間から九時間と表示される。ならば理論上、午後三時までに浦和に着くことができれば、一月一日中にご神体を返却することは十分に可能であった。すでに議論したとおりタクシーやレンタカーは利用できない。それでもどうにか浦和までの足を欲するならば、
「……誰かに、車を借りるしかない」
 あすなはそう言うと、地元に明るい喜佐家の三人を順番に見つめた。
「……誰なら、頼める?」
 この頃になると僕らの意見は完全に一致していた。青森を目指す他ない。
 しかし誰ならばこの木箱を浦和まで運べるだろうかと考え初めると、地獄のような選択肢しか残されていないことに気づいてしまう。誰もいないわけではない。二組ほど輸送に適した車を持っている人物は思いつくのだが、どうしたって気は進まない。非常時なので贅沢は言えない。言えないのだが、それにしたってもう少しましな候補がと考えてみるのだが、結局最後まで二組しか思いつかなかった。
「……戸田さんか、広崎さん」

 僕らは一度部屋に戻り、防寒具を纏ってから再び倉庫に集まった。
 木箱の蓋を閉めて持ち上げると、庭に放置されていた台車の上に載せる。木製ということもあって想像よりもずっと軽かったが、サイズが大きいので一人では持ち上げられなかった。二人でも心細い。男性三人でようやく安全に持ち上げることに成功する。数十万円するものなのか、数百万円するものなのか、あるいはそれ以上か。正確な価値がわからない上に、このご神体には家族の命運がかかっていた。決して軽率には扱えない。台車を押す係は僕と賢人さんが担うことになる。二人して台車を自宅の敷地内から車道へと押し出したとき、
「全員じゃ行けねぇだろ」と先頭を歩いていた惣太郎が振り返った。
 母、惣太郎、あすな、賢人さん、珠利さん、そして僕。六人全員が乗車できるサイズの車は限られる。万が一、戸田さんか広崎さんに車を貸してもらえたとしても、浦和で乗り換える惣太郎の車にはラゲッジスペースの関係で四人までしか乗ることができない。メンバーを選抜する必要があった。
 車の所有者である惣太郎は当然外せない。ご神体を持ち上げるためには最低三人の男性が必要という知見を得ていたため、僕と賢人さんも同行する必要があった。
「私は残る」と言ったのはあすなで、彼女は家で父に関する情報を集めると宣言した。「お父さんを見つければ色々とわかると思うから、私はどうにかして今の居場所を突き止める」
 重要な役割から逃げたいという弱気な選択でないのは、切羽詰まった表情から容易に推察できた。彼女なりにやるべきことを見極めたのだろう。事実、父を捜す人間は必要であった。どのようなつもりで盗んだのか、そこに同情できる余地はあるのか、はたまた僕ら家族をさらに失望させる見下げ果てた動機があるのか。推理するまでもなく、当人に訊けば自ずと事情はわかる。
「お前は残っとけ」
 惣太郎が突き放すと、珠利さんは二つ返事で留守番を決めた。彼女はあすなと異なり自宅待機を命じられたことに明らかに安堵していたが、それを咎めたいとは思えなかった。惣太郎と結婚した彼女の姓はもちろん喜佐であり、今では立派に僕らの家族だ。しかし本来ならば父の尻拭いをしなければならない立場ではない。ある意味では僕ら以上に、完全なる貰い事故の被害者であった。
「私はね、行くよ」
 母は予想外に強い口調で言うと、覚悟のほどを示すように毛糸の手袋を力強く引っ張った。
「家族のことは、お母さんの責任でもあるんだから」
 あすなと珠利さんを残し、僕ら四人は台車とともに走り始める。
 砂利が交じり、ひび割れも目立つアスファルトの上を走れば、木箱はがたがたと大きく揺れた。決して落とさぬよう、決して壊さぬよう、しかし一分一秒を無駄にせぬよう、僕らはぐらぐらと進み出す。
 僕が言葉にするまでもなく、おそらく家族の誰もが理解していた。ご神体が載るほど大きな車を持っているのは、戸田さんと広崎さんくらいしかいない、と。それでも敢えて皆が口に出さなかったのは、可能なら深く関わり合いになりたくないから。どちらもまったく違ったベクトルで癖が強い。道端で挨拶をするくらいなら構わないが、家族の一大事に積極的にコンタクトを図りたい人物ではない。
 最初に目指したのは、喜佐家のすぐ隣に位置する戸田家。
 実際は田んぼを挟んでのお隣なので、家屋までは数百メートルの距離がある。戸田さんは八十手前の男性。子供たちは全員巣立ち、四年前に妻に先立たれてしまった関係で、現在は広い戸建てに一人暮らしをしている。間違っても悪人ではないのだが、少々陰謀論に毒されやすい人間で、関わり方を間違えると大火傷をする可能性がある。電磁波やマイクロチップといったジャンルよりは、宇宙人やキャトルミューティレーションといった方面に造詣が深く、田んぼに異常が見られると猪や熊よりもまず宇宙人の仕業を疑うというかなり独特な思考を持つ人物だ。
 幸運なことにビニールハウスの中には、戸田さん愛用の軽トラックが停車してある。在宅だ。惣太郎は喜びのまま力強くインターホンを押したのだが、しかし応答はない。焦りを隠すことなくそのまま三度ほど連打。
「宇宙人です! 戸田さん、大きい宇宙人!」
 どうにか玄関口に出てきて欲しい思いから母は混じりっけのないを叫んだが、戸田さんが出てきてくれることはなかった。居留守を使えるほど器用な人ではないので、本当に不在なのだろう。
 諦めて再び車道に出た僕らは、もと来た道を戻るようにして広崎家を目指す。
 広崎さんの所有している車はトヨタのハイエース。おそらく八人近く乗車できる車両と思われる。車だけに注目するのなら、どう考えても戸田さんの軽トラックより使い勝手はいい。にもかかわらず広崎さんへの声かけを後回しにした理由はいたって単純で、有事の際の広崎さんは戸田さん以上に関わり合いになりたくない危険人物であったからだ。
 化け物じみたゴシップ好きである上に、信じられないほど、口が軽い。
 戸田さんの家を目指していたときとは異なり、今度は山道を緩やかに上っていく形になる。当然、運動不足の体には応える。ぜえぜえと息を切らしながら、一体全体どうしてこんなことをしているのだろうと理不尽に対してふつふつと疑問を抱き始めたところで、広崎家に辿り着く。
「広崎さん! 広崎さん!」
 この辺りの家の中では最もモダンなデザインの玄関から、ちょうど奥様が出てきたところであった。ド派手な赤いダウンジャケットを着ているところを見ると、外出の予定があると見える。
「広崎さん、車を、車を貸していただけないですか?」
 母はなるべくはっきりとした明瞭な発音を心がけていたが、もう一つうまく聞き取ってもらえない。車、自動車、使いたい、大丈夫ですか、お願いします。次々に表現を変化させてコミュニケーションを図るが、奥様は不可解そうに首を傾げるばかり。日本に住み始めてまだ数年。奥様が困ったように玄関を振り返ると、
「おぉ、喜佐さん」とタイミングよく旦那さんが現れる。「あけましておめでとう」
 反射的にあけましておめでとうございますを返しながら、僕らは早速車を貸してもらいたい旨を伝えた。
「え、何々、車? 何があったの」
「ちょっと、諸事情ありまして、どうしても埼玉まで行きたくて」
「埼玉? そりゃ無理だよ。今からコレと車で名古屋だから」
 言うやいなや広崎さんは奥様の腰にぬるりと手を回し、ぐっと抱き寄せた。抱き寄せられた奥様は勢いのまま広崎さんと口づけを交わし、嬉しそうに微笑む。
 広崎さんは小規模ながら農機のレンタル会社を経営している社長。浅黒く日焼けした五十代中盤の男性で、休日は奥様とともにゴルフに行く姿を度々目撃されている。奥様の名前はマイカさん。フィリピン出身の女性なのだが、広崎さんが彼女とどこで出会ったのかはわからない。結婚は三年前。マイカの旦那が将司じゃかっこつかないから、これから俺はリックでいこうと思うんだ。広崎リック。意味不明な宣誓は町内の人間にとって記憶に新しい。以降、リックさんと呼んであげるとたいそう喜ぶ。
 大好きなものは奥様とゴルフとビール。それから、近隣住民のゴシップ。
「何々、何だか、ただならないじゃない。急に埼玉だなんて。それにその大きいの何?」
「あ、いや」
「ちょっと─」俯いてしまった母に助け船を出すつもりで口を開いたのだが、うまく二の句が継げない。「複雑な、事情があって」
「複雑な事情? 何よ複雑な事情って。新年一発目から気になるじゃない」
 いたずらに広崎さんの好奇心ばかりを煽ってしまう。
 この段になり、ようやく僕らは言い訳というものを何一つ考えていなかったことに気づかされる。慌てていたばかりに、理論武装があまりになおざりになっていた。一月一日、謎の木箱を台車に載せ、埼玉まで行きたいので車を貸してくれと頼み込もうとすれば、広崎さんでなくとも誰だって怪しみたくなる。
 すみません、やっぱり何でもないですと言ってこの場を後にできたら楽だったのだが、戸田さんが不在の今、広崎さんは僕らにとって唯一の希望であった。
 焦れた惣太郎が、とにかくお願いなんでと力業に出ようとしたところで、
「はじめまして」と賢人さんが前に進み出た。「喜佐あすなさんと結婚することになりました、高比良賢人と申します」
「おぉ、あすなちゃん結婚するんだ。喜佐さん、こりゃあ上物の男だよ」
 広崎さんはぐわっはっはと高笑いしながら母のことを覗き見た。
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。実はですね、僕らはとある大会に参加する予定だったんです」
「……大会?」
「ええ、それも全国大会です」賢人さんは淀みなく、堂々と語った。「この大会は家族でエントリーする必要があり、今回僕ら『チーム喜佐』は、ご覧の四人のメンバーで挑むことに決めました。お母様、惣太郎さん、周さん、そして僕」
 突如として始まった完全なる法螺に、僕らは内心震えていた。賢人さんの話がどこに向かうのかもわからない。しかしを露呈させるわけにもいかないので適当に頷き、どうにか話に信憑性を持たせようと、そのとおりなんです、ええ、まったくもってそのとおりです、というような表情だけを作ってみせる。当の賢人さんはすでに腹を決めているらしく、まったく隙を見せない語り口で、
「今日の朝、最後の作戦会議を終え、いよいよ決戦の舞台である浦和に向かおうとした僕らは、悲しい手違いに気づきました」台車の上の木箱を示す。「こちら、競技で使用する大事な道具が、会場の浦和ではなく、僕らのいる山梨に届けられてしまっていたんです」
「はぁー」と広崎さんは、納得したように唸った。
「もちろん、本来であったなら僕らは電車で浦和の会場まで行く予定でした。しかしこの荷物を持って電車には乗れません。そこで、ご迷惑を承知の上で、現在広崎さんにお願いをしているという状況です。僕らはこの大会に向けて入念に準備をしてきました。我々にとって大会制覇は、まさしく悲願なんです」
「そりゃ残念だとは思うけど、協力は─」
「正直に申し上げます」
 賢人さんは広崎さんの言葉を遮ると、少しばかり声の大きさを落とした。
「少々、手前味噌な話にはなってしまいますが、我々は目下のところ優勝候補の筆頭です。出場できればほぼほぼ間違いなく、優勝できます。浦和にこの荷物を持って移動するだけで、優勝が手に入るんです」
 賢人さんはそこで言葉を切り、
「優勝賞金が出ます」
 賢人さんの話に驚きそうになるが、顔に出すわけにはいかない。広崎さんが少しばかり前のめりになったのを確認した賢人さんは、ゆっくりと両手を揉んだ。
「ただ、僕らが求めているのは、お金ではありません。あくまでも名誉と、家族全員で大きな闘いを乗り越えたのだという達成感。これを求めて今日まで練習に励んできました。なので、です。このまま優勝できたとして、賞金が手に入った際には、ですよ? これはもう、僕らの難局を救ってくださった広崎さんにお渡ししても、ね?」
 と、こちらを振り返る。
 僕が大きく頷くと、広崎さんの目の色が、明らかに変わる。
「そう話してたんですよ」と僕が強ばった笑みで肯定すると、
「……優勝賞金はどんくらいなのよ?」と広崎さんが食いつく。
「えぇと、ですね─」そう言って賢人さんは間を取りながら、我が家の中で最も懐の暖かそうな惣太郎のことをちらちらと横目で見つめた。「おそらく、ひゃ、ひゃくま─」
「十万! 十万! 十万!」
 惣太郎がオークション会場のように繰り返しながら賢人さんを見つめ返すと、広崎さんは興味を失したように俯く。これではまずいと判断した賢人さんはもう一度、広崎さんに向き直り、
「二十万だったような」
 さっと表情が明るくなった隙を逃さず、無責任に決定打を放ったのは、
「三十万でした」母であった。
 根拠もなく釣り上がった優勝賞金に納得した広崎さんは、ぱんと一つ両手を叩くと、マイカさんに行き先の変更を伝えた。名古屋観光を楽しみにしていたらしいマイカさんはしばらく不平らしきものを口にしていたが、帰りに銀座で好きなものを買ってやると告げられると機嫌を直し、やはり執拗に広崎さんと唇を重ねた。
 時刻は十二時三十八分。
 ご神体返却のリミットまで、残り十一時間二十二分。
 僕らは慌てながらも、慎重に広崎さんの車へとご神体を載せ替える。荷室の扉を勢いよく閉めたところで、
「ところで、何の大会に出るの?」
 尋ねられた僕は慌てて賢人さんを捜したのだが、すでに車内に乗り込んでしまっており助けは求められない。すぐに答えなければ。僕はリアガラス越しに木箱を見つめながら、どんな競技ならこれだけの大荷物が必要なのかを音速で考えた。しかしどうにも中に眠るご神体の姿を頭から拭うことができず、さらには数時間前に見たテレビ番組に大会のイメージを引っ張られた。
 苦しみながらどうにか僕が捻り出したのは、
「……ニューイヤーロボット、コンテスト、です」

(つづく)

作品紹介

家族解散まで千キロメートル
著者 浅倉 秋成
発売日:2024年03月26日

〈家族の嘘〉が暴かれる時、本当の人生が始まる。どんでん返し家族ミステリ
実家に暮らす29歳の喜佐周(きさ・めぐる)。古びた実家を取り壊して、両親は住みやすいマンションへ転居、姉は結婚し、周は独立することに。引っ越し3日前、いつも通りいない父を除いた家族全員で片づけをしていたところ、不審な箱が見つかる。中にはニュースで流れた【青森の神社から盗まれたご神体】にそっくりのものが。「いっつも親父のせいでこういう馬鹿なことが起こるんだ!」理由は不明だが、父が神社から持ってきてしまったらしい。返却して許しを請うため、ご神体を車に乗せて青森へ出発する一同。しかし道中、周はいくつかの違和感に気づく。なぜ父はご神体など持ち帰ったのか。そもそも父は本当に犯人なのか――?

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