日本で能力主義が浸透しない理由とは? 『タテ社会の人間関係』でスッキリわかる日本社会のカラクリ

更新日:2017/5/8


 社会のグローバル化や不景気の影響により、年功序列、終身雇用といった日本独特の平等主義から、欧米型の能力主義、成果主義へと変革をめざす企業はめずらしくなくなった。入社シーズンのこの時期、そのプレッシャーから不安を感じている新入社員も少なくないだろう。だが実際のところ、そういった雇用形態で成功しているケースはどれほどあるのだろうか?

 変えたくても変えられない日本独特の社会構造を、社会人類学の視点で分析した中根千枝氏の『タテ社会の人間関係 単一社会の理論』(講談社現代新書)を読むと、事はそう単純な話ではないことがよくわかる。この本が、発売から50年経った今も売れ続けて117万部のロングセラーになっていることも、それだけ多くの共感を呼んでいる証といえるだろう。

■個人の属性の「資格」より所属する「場」に偏っている集団意識

 本書で中根氏はまずこう述べている。社会集団を構成する要因を「資格」と「場」の2つに設定すると、日本人の集団意識は「場」に偏っている。ここでいう「資格」とは個人の属性で、家柄や血筋、学歴、地位、職業、老・若・男・女の相違、資本家か労働者かといったことも含まれる。これに対して「場」は、一定の個人が属する地域、所属機関、職業組織を意味する。日本人はこの「場」における存在認識が強く、自分を社会的に位置づけるときも、個人の属性ではなく、会社名や組織名を強調して「ウチは」「オタクは」とよく口にする。言われてみれば確かに、自分の周りにもそういう表現をする人は多い。

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 さらに企業が従業員の考え方、思想、行動を規制することで、仕事を通じた閉鎖的な社会集団が構成され、「ウチの者」「ヨソの者」意識が強くなっていく。人間関係の強弱も、接触する時間の長さに比例するため、最初に5年、10年勤続して手に入れた個人の位置や発言権などの社会的資本を捨てて転職し、たとえ地位や給料があがっても、その好条件を上回るほどの社会的損失を覚悟しなければならないという。

 入社2、3年目の転職組が多いのは、その損失が少ないためだ。言い換えれば、最初の就職から約5年内外で直接接触をとおして形成された人間関係は、その人の集団所属において決定的な意味をもつのである。

 こうしたことから「場」への所属意識が高い日本人は、二つ以上の集団に属するのが困難な単一主義ともいえる。

■序列意識が強い「タテ」の関係が基本の社会構造

「場」の共通性によって構成された社会集団では序列意識が強まり、「タテ」の関係を重視した社会構造となる。会合での席順も典型的な序列習慣だ。同じ実力と資格を有する者であっても、年齢、入社年次、勤続期間の長短で序列による差が生じるのが日本社会の現実なのだ。

 序列によるタテ社会では、同種・同類のヨコの関係の希薄さや、同類同士の敵対関係をまねく。この並列競争は日本の近代化、工業化に大きく貢献したが、何かが売れるとどの会社もいっせいに真似して共食いする不当なエネルギーは、国全体の浪費だと一刀両断する。

 序列偏重の社会では、人の能力差を判定する雇用制度が存在しなかっただけでなく、一般人の生活においても能力差に注目する習慣が身についていない。それは「働き者」とか「なまけ者」といった“努力差”には注目しても、結局は「誰でもやればできるんだ」という“能力平等観”が根強く存在しているためである。

■「能力差」を認めない根強い人間平等主義

「能力差」を認めようとしない日本人の性向は、極端な人間平等主義と密接に関係していると中根氏は指摘する。そして弱き者も貧しき者もそうでない者と同等に扱われる権利があると信じ込み、実際には損な立場にいる者のことに口を出すべきではないとタブー視する日本社会には、エセ同情者が多いと嘆く。

 同列に立つと闘争関係になるため、タテ組織のリーダーは一人に限られ、交替も困難になる。またタテの人間関係を前提とするため、天才的な能力より人に対する理解力と包容力を持っている年長者のほうがリーダーに適している。リーダー自身の能力よりも、リーダーがいかに自分の部下の能力をうまく発揮させるかが重要になるからだ。

 このように人と人との関係を優先する日本人の価値観に合致しているのが、年功序列や終身雇用といった制度なのだから、そう簡単に変えられるものではないだろう。実際、企業がいくら能力主義や成果主義を声高に叫ぼうとも、この50年で日本社会の変わらない面がいかに多いか、本書を読むとよくわかる。

■外国人が理解できない日本人の非論理性

 理論より感情を優先する人間関係重視のタテ社会では、欧米のように「契約関係」にもとづく社会活動も絶望的で、論理的活動においてもマイナスだと中根氏は断言する。たとえば反論や批評をすると議論に発展するのではなく、感情をぶつけ合ってケンカ腰になるのは国会が典型的ないい例だ。

 和を重んじて反論や批評を嫌う日本人の非論理的な会話は、外国人のインテリの間にはまず存在しないという。楽しいだけの無防備なおしゃべりは、序列の厳しい生活で神経の疲れを癒すために貢献しているにちがいないと締めくくっているが、なかば皮肉にも聞こえる。なぜなら、日本人の非論理性こそが国際性の欠如につながり、グローバル化や社会構造変革の障壁になっている原因といえるからだ。

 将来の夢や目標を抱いている新入社員はもちろん、組織で働きながら漠然とした違和感や疑問、理不尽を感じている人は、日本社会の構造や日本人の特性を客観視して、冷静に物事を判断するためにも、ぜひ読んでおきたい名著である。

文=樺山美夏