禁忌の森に潜むものは“起こりうる悪夢”を描くバイオホラー『ヨモツイクサ』知念実希人インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/7

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年7月号からの転載になります。

知念実希人さん

 気鋭の新人が相次いでデビューしているのに加え、他ジャンルで活躍している書き手も参入し、ますます盛り上がりを見せている国内のホラー小説シーン。この波にまた一人、新たな人気作家が加わった。『ヨモツイクサ』はミステリー界でヒットを連発する知念実希人さんが、初めてホラーに挑んだ作品だ。

取材・文=朝宮運河 写真=種子貴之

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「別にジャンルにこだわっているわけではないんですよ。これまでミステリーを中心に書いてきましたが、自分にとって面白い小説を書きたいというのが一番のモチベーション。ホラーは読むのも観るのも大好きで、いつか挑戦したいと思っていました。医師として得た経験や知識も、ミステリーだけでなくホラーにも役立つだろうという気がしましたしね」

 その言葉のとおり『ヨモツイクサ』は、生物学的な仮説に現役医師作家ならではの知識を盛り込んだ、本格バイオホラーになっている。

「人間や幽霊の怖さを描いたホラーがよく書かれているのに対して、この手の理系ホラーは今あまり多くないですよね。しかし瀬名秀明さんの『パラサイト・イヴ』や高野和明さんの『ジェノサイド』のような、生物学的知識に裏づけられたエンターテインメントには代えがたい魅力があるし、ああいう作品をもっと読みたいと思っている人も多いはずです。何よりも僕自身が読みたいので、自分で好きなタイプのホラーを書くことにしました」

リゾート開発が進む森林で何かが起こっている

 舞台は手つかずの自然が残る北海道中央部。大雪山国立公園からほど近い山奥には、近隣住民から「黄泉の森」と呼ばれ、古くから禁忌の地として畏れられている森林があった。その森にリゾート施設を建設するため、作業員が足を踏み入れる。

「この小説は中心にある“仕掛け”を最初に思いついたんです。最後まで読んでいただけば分かりますが、クライマックスである意外な事実が明かされます。あのアイデアをもっとも効果的に生かすために全体のストーリーを組み立て、舞台やキャラクターを設定していきました。ヒグマが生息し、深い森が広がる北海道は、いろいろな意味でぴったりの舞台でした」

 主人公・佐原茜は、道央大学医学部付属病院に勤務する外科医。7年前、両親と祖母、姉の椿が神隠しのように失踪してしまい、その事件が深い心の傷となっている。ある日、椿の婚約者だった旭川東署の刑事・小此木から、リゾート施設開発工事の作業員たちが消えたと知らされる。ふたつの事件には関係があるのではないか、茜の胸は騒ぐ。

「主人公の茜はホラー映画でおなじみの“戦う女性”のキャラクターです。今回、彼女はとてつもない敵と渡り合わないといけない。そのためには自ら事件に関与していくような、強い動機が必要でした」

 ヒグマ撃ちの名手である猟師・鍛冶とともに森に入った小此木は、土に埋められた作業員たちの死体を発見。食い荒らされた内臓などの様子から、大型の動物に襲われたらしい。鍛冶が執念深く追いかける大型のヒグマ、アサヒがこの森に潜んでいるのだろうか。

 一方、茜は同期の法医学教授・四之宮に頼み込み、搬送されてきた作業員の解剖に立ち会っていた。大学病院内の人間模様や解剖シーンなどのディテールが、物語に力強いリアリティを与えている。

「ホラーは“これは自分のいる世界で起きているんじゃないか”という、リアリティがあるほうが怖いですよね。逆に距離がある世界の物語だと、安心感が生まれて怖くない。その点、誰でも見聞きしたことのある医療現場というのは、フィクションと現実を橋渡ししてくれる便利な存在なんです。幸い病院や大学のことならよく知っているので、今回もリアリティを強めるために活用しました」

 一連の事件を解決する手がかりは黄泉の森にある。そう直感した茜は鍛冶とともに山に入るが、そこで意外なものを発見。ヒグマよりもはるかに強力な“何か”が、この森に潜んでいることを知る。人を捕らえて神に捧げるという昔話の怪物・ヨモツイクサが実在するとでもいうのだろうか。

「序盤はヒグマもののように見えますが、アサヒの死体が見つかることで予想が裏切られる。じゃあ何が起こっているんだ、という新たな謎が生まれ、物語は予想のできない領域に入っていく。次々と謎を呈示して、読者の興味を惹きつけるという手法は、ミステリーでよく使われる手法ですよね」

生物学的な裏づけがリアルな恐怖を生む

 やがて茜と鍛冶は、森の中を寝間着でさまよう少女を発見。正気を失っているらしい、紗枝というその少女を病院に連れ帰る。ここから物語は新たなフェイズに入るのだが、あらすじを紹介できるのはここまで。真相を知る手がかりになるのは、四之宮が茜に語って聞かせた、ある生物学的な学説である。

「これは実在する学説です。未知の生命が存在する生物学的な裏づけ、特に森の生態系がどうなっているかは、かなり緻密に考えましたね。そこが一番苦労したかもしれません(笑)。ホラーだから怪物が出てきて終わりでもいいんでしょうが、そういう理屈があるほうが好みなんです」

 動物パニック風に幕を開ける第一章、さらに謎が深まる第二章を経て、第三章ではいよいよ森に潜むもの=ヨモツイクサの正体が明らかになる。と同時に、ストーリー展開も一気に加速、衝撃のラストに向かってノンストップで突き進んでいく。

「前半は何が起こっているのかという興味で引っ張って、答えが明らかになったら後はアクションと謎解き。途中でテイストを変えるのも、読者の興味を惹きつけるための工夫です」

 茜とともに黄泉の森を進む読者は、大自然が生んだおぞましい光景を目にすることになるだろう。黄泉の森、そこはまさしく人知を超えたものがさまよう異界だ。次々に襲いかかる危機の中、茜、鍛冶、小此木それぞれの思いや人生が交錯する。

「キャラクター一人一人に人生があって、それぞれ意思を持って行動しています。だからこそピンチになったり、傷ついたりした際に感情を揺さぶられる。小説はホラー映画と違ってビジュアル要素を入れることができないので、なおさらキャラクターを深く描くことは、大切だと思っています」

 終わりのない絶望と恐怖。その先に待っているのは、常識を覆すような恐ろしい真相だ。もしあなたがホラーファンなら、いや、普段あまりホラーを読まない人でも、誰かにネタバレされる前に本書を手にしてほしい。そしてこの衝撃を味わってみてほしい。

「医師としての経験、生物学の知識、ミステリー作家としてのキャリア。さまざまな武器を利用して、面白いホラーが書けたと思っています。怖い話が好きな人には刺さる作品だと思いますので、ラストまでハラハラドキドキしてもらえたらと思います」

 ただし、衝撃のシーンが過ぎても気を抜いてはいけない。最後の最後まで作者は“サービス”を怠らないからだ。つくづく意地が悪い、だからこそ最高に魅力的なホラーである。

「終わったと思ったらもう一撃、というのがホラーのお約束ですからね(笑)。読み終わったら眠れなくなる、夜トイレに行けなくなるような作品を目指したので、存分に怖がってもらえたら嬉しいです」

 ホラー作家・知念実希人の誕生をぜひ見届けてほしい。

知念実希人
ちねん・みきと●1978年、沖縄県生まれ。医師として働くかたわら、2011年に第4回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、12年『誰がための刃 レゾンデートル』で作家デビュー。主な作品に「天久鷹央」シリーズ、「仮面病棟」シリーズ、「祈りのカルテ」シリーズ、『硝子の塔の殺人』『崩れる脳を抱きしめて』『ムゲンのi』など。

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