主人公は乳酸菌と、菌を宿したOL!? 史実に基づいた前代未聞のお仕事小説『令和ブルガリアヨーグルト』宮木あや子インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/12/8

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年1月号からの転載です。

宮木あや子さん

 凄まじい小説である。ヨーグルトをテーマに小説を書こうと思ったからといって、誰が擬人化した乳酸菌(ブルガリア菌)を語り手にしようと考えるだろう。彼なのか彼女なのかわからないその菌と、菌を身体に宿す(=つまりヨーグルトを食べている)由寿という女性の視点が交互に描かれる小説『令和ブルガリアヨーグルト』。さらに作中作として、菌を擬人化したBL大河ロマン小説が随所に挟み込まれ、菌の生態と歴史を学びながらその関係性に萌え、20代OLの成長に胸を打たれるという、壮大な物語が展開されていく。

取材・文=立花もも 写真=太田太朗

「昔から、物におしゃべりさせるのが好きだったんですよ。昔、メールなどに使われる通信プロトコルを擬人化して小説を書こうとして、止められたこともあります(笑)。でも、人間にとってただの物質やシステムでしかないものが意思をもってしゃべったら、かわいくないですか。ヨーグルトを題材に小説を書くことにしたのは、明治ブルガリアヨーグルトがちょうど50周年を迎えるからですが、乳酸菌がおしゃべりしてくれたら楽しいなあと今回の設定を思いつきました。森には菌糸のネットワークがありますし、人間も生物である以上は、身体に遺伝されていく記憶があるんじゃないかなと思ったので、前世の記憶をもったまま増殖する乳酸菌が広い視野で語るという設定に。とはいえ、菌が語るだけでは物語として成立しないから、明治をモデルにした会社・明和で働く由寿をもう一人の主人公にしたんです」

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誰かに背負わされるのではない 自分だけの役割をみいだす

 製菓部門志望だった由寿は、ヨーグルトについてさほどの知識はない。営業に配属され、広報として東京に異動になった経験を通じて、乳酸菌がもたらすものだけでなく、食品会社が社会で担う役割についても学んでいく。その一つが“おでん先輩”の存在だ。阪神淡路大震災で電気もガスも交通網も軒並み機能しなくなったとき、慣例を破って独断で支援に向かい、被災者にあたたかいおでんを配ったという、明和伝説の営業。

「執筆にあたって、明治の社員さんたちに取材させてもらったとき、実際、そのような方がいたと聞きました。でもこれは、お話の最後の最後で、そういえばという感じでぽろっとこぼれた話なんです。誇らしいことだけれど、とりたてて主張することではない、有事に手を尽くすのは当たり前だと思っていらっしゃるみなさんの姿勢も、物語では描きたいなと思いました。いい意味で、大企業の社員であるという自覚が強いんですよ。会社に対する忠誠心と、商品に対する深い愛。そして、その会社の一員として恥じないふるまいをしようという矜持があるんです」

 そんな同僚たちとの出会いが、由寿を変えていく。「女のくせに」と言われるのが当たり前の、古い価値観に縛られた田舎で育った彼女は、兄以外の家族が大反対するなか、大学に進学し、上京して就職をした。金銭的に余裕がなく、お金を使うような趣味もない彼女は、何事にも消極的だ。そんな彼女が、社内報の明和ブルガリアヨーグルト50周年特集のため、関係社員に行う取材を通じて、誰かに押し付けられるのではない、自分の役割を自覚していく。

「由寿が自分を主張できないのはある意味仕方がないことで。一時間かけなきゃスーパーにも行けないような土地に住んでいた女の子が、いきなり東京に出てきたら絶対に疎外感を覚えるじゃないですか。作中にも書いたことですが、“好きを仕事に”“本当にやりたいこと”“女性の権利”なんて言われても、まず生きるためにお金を稼がなきゃいけなくて、自分を守るためには自立するしかない場所に生きてきた由寿にとっては、そんな啓蒙はよその世界の話に聞こえてしまいますよね。だけど東京にいる以上、由寿は自分とまるで違う人たちが言う“私たち”の中に入っていかなきゃいけないわけで、傷つかないために心を閉ざしてしまうこともあるでしょう。とくに彼女は、東日本大震災で避難所や仮設住宅での暮らしを経験しているから、あたりさわりなく人にあわせるのが得意。それは決して悪いことではないんだけれど、あと一歩、彼女が自分の存在を確かにするために奮闘できたら、と」

誰かと比べて恵まれていても罪悪感を抱く必要はない

 そこで一役を担うのが、由寿がネットで見つけたBL小説である。中世から近代にかけてのバルカン半島を舞台に、少年に擬人化されたサーモフィルス菌とブルガリア菌の関係に萌える読者はおそらく由寿以外に誰もいないのだが(ちなみにこの二つの菌が明治と明和のブルガリアヨーグルトには使われている)、その作者が誰なのかも本作の読みどころ。

「LB81OがBL801に見えちゃったんですよね……(笑)。あと、私の小説は真面目でちょっと重ためなA面と、軽くて笑えるB面と2パターンあるんですが、基本的にB面なこの小説のなかでもA面の文章を書きたくなった、というのもあります。オスマン帝国時代には農民に75%の税率をかけられたこともあり、さらには鉄道をつくるために無償労働されていたのに、それでもビザンツ時代よりはマシと言われるブルガリアがいったいどんな歴史を辿ってきたのか、最悪の時期を人々がどんな思いで生き抜いてきたのかも、書きたかったですしね。抑圧の歴史を重ねるなかで、それでもブルガリアの人々が日々の営みとして、自分たちの文化として、大切につくり続けてきたのがヨーグルト。だから、50年前に明治ブルガリアヨーグルトを商品化する際、ブルガリア大使館からは名前の使用を却下されているんですよ。国の宝を、他国民の作ったものの名に貸すわけにはいかない、と。その後、再三交渉を重ねて許可にたどりつくわけですが、製造する人たちの熱意だけでなく、ブルガリアの人々の想いも、この作品にはこめないといけないと思いました」

 抑圧の歴史、そして誠意をもって道を切り開いたパイオニアとしての会社の姿の両方が、由寿にも重なる。抜け出してなお地元の価値観に縛られ、自分だけが東京で満たされた生活を送ることに罪悪感すら覚えてしまう彼女が、会社の同僚たちとBL小説、二つの出会いを力に変えて殻を破っていく姿に、心が打たれる。

「彼女は被災者であると同時に、家族と一緒に生き延びることができて、住む場所もある“恵まれた”人でもある。女なのに大学に行かせてもらえた。大手に就職できたから東京で暮らすことも許してもらえた。だからそれ以上を望んではいけない、目立たず人様に迷惑をかけずに生きていなくてはならない。そんな呪縛をかけられている彼女を、最後には自由にさせてあげたいなと思っていました。私自身、東日本大震災が起きる三時間前に旅行でバリ島に行く飛行機に乗っていて、状況を知ったのはホテルのロビー。それからずっと無駄に豪華な部屋でテレビを呆然と眺めたまま、友達と一歩も動けなくなりました。私たちは何をしているんだろう、今すぐ日本に戻るべきなんじゃないか、でも帰ったところで何ができるだろうという罪悪感が、今も消えない。だから、自分一人が幸せになってしまうことに苦しんでいる由寿みたいな人に、それがあなたにとって必要なことなら手にしていいんだよ、と伝えることができたら少しは救われるんじゃないかな、と思いました。と、なんだか色々詰め込みすぎちゃった気がするけど、いろんな角度から楽しんでいただけたら嬉しいです。ヨーグルトを使ったレシピは全部私も実践したおすすめなので、ぜひ試してみてください」

宮木あや子
みやぎ・あやこ●1976年、神奈川県生まれ。2006年、『花宵道中』で「女による女のためのR-18文学賞」大賞・読者賞を受賞しデビュー。著書にドラマ化された「校閲ガール」シリーズ、『セレモニー黒真珠』『憧憬☆カトマンズ』『婚外恋愛に似たもの』『手のひらの楽園』など多数。今作には過去作『CAボーイ』とちょっとしたリンクも。なお、本書が原作の連続ドラマ「推しを召し上がれ~広報ガールのまろやかな日々~」が1月開始予定。

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