島本理生 Interview Long Version 2004年3月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

──島本さんの作品には状況設定や人物造形上の連続性がありますが、『生まれる森』を発表するにあたって意識した点はありますか。

島本 『リトル・バイ・リトル』では意識的に世界を広げる書き方をしたんですが、今回は主人公の内面や感情の描写に重点を置きました。デビュー以前の初期の頃に戻ったような作品です。デビューしてからずっと肩に力が入った作品を書いてきたので、最初のトーンに戻ったものをここで一作書いておきたいという気持ちがありました。

──あとがきに、「厳密には、この物語は恋愛小説とは言えないかもしれない」とありますが。

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島本 この作品を読んで真っ先に恋愛小説というふうに考える人は少ないと思います。主人公が恋愛をして感情的に盛りあがっている状況を描いたものではありませんが、恋愛というものは何なのかということについて考えながら書いた作品です。「恋愛」を強く意識して書いたという点において、恋愛小説なのではないかと思っています。

──世界が初期化されてしまったような、失恋にまつわる特別な時間感覚が綴られています。

島本 すべての関係性や状況が破綻してしまうと、1から2への変化はそれほど難しくありませんが、ゼロから1に上がるのはものすごく時間がかかるんですね。初期値のゼロから1にいかに移行していくか、その時間の流れを書きたかったし、読者に伝えたかったんです。

──「サイトウさんに触れるとわたしはきっと死んでしまうだろう」というような表現が2カ所出てきますが、これは比喩ではなく主人公の実感だと思います。失恋と死はパラレルな関係にあり、その奥に「深い森」のイメージがあります。

島本 恋愛というのはひとりでするものではなく相手がいて初めて成り立つもので、相手に影響される部分が大きいと思います。よい方向に関係が動く場合もあるし、逆に相手の感情に引きずられることもあります。それがときに絶望的な関係を生みだしたりもするのですが、片方が出ていっても片方はまだ「森」の中に残されている。その危うい感じが死という言葉に結びつくのだと思います。

──島本さんはこれまで、関係やコミュニケーションが発生する瞬間を描いてきたように思います。それは友人関係や恋愛関係であったりするわけですが、そうしたモチーフの首尾一貫性については、意識されていますか。

島本 私自身が、人間関係に対して慎重であることが影響していると思います。小説の中で何が面白いかというと、人間の生きている姿や人間同士の関係性の部分なんですね。特に登場人物が他者と関係していく最初の入り方はものすごく重要です。他人と積極的に関わる人もいればそうでない人もいるわけですが、どのような形であれ人間関係を形成していくことは基本的にその人にとって発展性のあることであると信じています。それが作品に一貫して出ているということなのだと思います。

──島本さんはディテールを細かく書き込んでいくタイプの作家だと思いますが、今回は複数の男と関係をもち、妊娠し、堕胎する若い主人公のシリアスな性体験が物語の中心に置かれます。

島本 派手な性体験は世の中にたくさんありますが、そうではなくてどちらかといえばおとなしいごく普通の女の子の性のありようがしっかり書かれているものが少ないような気がしたんです。人目を引くような派手な子ではなくても、性にまつわる騒動は起こりうることだし、そうしたことで悩む子は多いと思います。普通の子がそういった状況に陥るとどうなるかという点は意識しました。

──主人公とキクちゃんという、女の子同士の微妙な関係もこれまで島本さんがあまり書いてこなかった領域ですね。

島本 そうですね。いままで女友達が登場しないというふうにいわれることが多かったので(笑)。女の子同士の友情は男同士の関係とは違うものを含んでいると思います。疑似恋愛関係に近いような気がします。現実に、女の子の友達と接しているときでも、人によりますが、そういう関係が強い子がいますし。特別な印象があるんですね。そういう関係を1度しっかり書いてみたいと思って、主人公とキクちゃんの関係を描いてみたわけです。

──主人公とキクちゃんの2つの家族が出てきますが、親たちは物語の背景に後退して、主人公とキクちゃんの3人きょうだいの関係に焦点が当てられます。4人の登場人物が疑似家族的な関係をもつ物語としても読めます。

島本 今回は登場人物の家族関係の部分は抑えて、恋愛に比重を置きました。その結果、親は必要最小限、登場する形になりました。ただ恋愛のひとつの形として、相手の家族と丸ごと付きあう家族的な恋愛関係というのもあると思うので、そこは多少、書き込みましたが。1対1で男の人と関係を築くというより、むしろ相手の家庭やバックグラウンドを含みこむような形でのコミュニケーションが、主人公にとって必要であるように思いました。
 主人公の前に突然、雪生が現れたら、そのタイミングではぜったいに恋愛関係に陥らなかったでしょう。1対1の不安定な関係をサポートする第三者がいて、最初の関係が成り立つわけです。物語が終わった後、主人公と雪生は恋愛関係に発展しないまま終わるかもしれないと、書いていて思いました。この小説で重要なのは、新しく始まる恋愛ではなく、主人公が古い恋愛関係から離れていく、脱出するプロセスなんです。

──雪生の家族は母親との関わりに始まる病理を抱え込んでいます。主人公の中に「森」があるとすると、雪生の家族にも「森」はあるわけで、「森」を抱える人たちがシンクロし合う、そのような物語でもありますね。

島本 主人公の女の子は「森」を抱える人にシンクロしやすい性格なんですね。サイトウや雪生と彼女は似ている部分があると思います。サイトウとの関係は痛苦を伴うものですが、雪生の場合は彼を支える家族がいて、本人も何らかの問題を抱えつつも、積極的に生活していこうという意志がある。不安定でありつつも、希望のある関係に発展する可能性があるんですね。

──タイトルに含まれる「森」は人間の心の闇を象徴するネガティブな言葉ですが、「生まれる」という生成のイメージに絡めて使われています。ここには、誰の中にもある否定しようのない、見つめられるべき内部というような意味が込められているのでしょうか。

島本 ネガティブなイメージでとらえられがちな混沌とした状況や内面を「森」というふうに表現したわけですが、誰しもが「森」の中にいる可能性がある、誰もが最初は「森」の中にいて、そこに止まるか出ていくかの選択を迫られるわけです。「森」は生命が生まれる場所でもあります。それ自体はニュートラルな空間だと思います。

──「森」を抱えてしまった男と出会いシンクロしてしまった少女が、喪失感を乗り越えて「森」の外へ脱出する物語。物語の構造としてはシンプルというか、それだけで説明されてしまうわけですが、脱出して帰還してくるプロセスやそのプロセスの中での主人公の葛藤に島本さんの関心はあったということですね。

島本 あらすじにしてみると本当にシンプルなんですが(笑)、「森」の外に出ていくには時間がかかるわけです。その部分を丁寧に書いてみたいと思いました。

──主人公は大学一年生で、作者と主人公の年齢は重なっています。年齢設定についてはどのようにお考えでしょうか。

島本 上の世代というのは書けないですね。主人公は自分の同世代か少し下の世代になってしまいます。ただ今回16~17歳の女の子ではなくて、大人になるぎりぎりの年齢に設定したのには意味があります。子供時代・少女時代を終わらせて、大人の世界に移行する時期の世界との違和感を書いてみたかったんです。

──島本さんの作品には小説や映画の引用が多くなされますが、『生まれる森』でもハインライン『夏への扉』やヴィスコンティ『熊座の淡き星影』、ポール・オースター『ムーン・パレス』など、失意や喪失をテーマにした作品が引用されています。

島本 作中人物の置かれている状況や作品のトーンにつながるような作品を選んで引用しています。ビスコンティの映画に関してはDVDしか出ていないので、タイトルを出しても知っている人は少ないだろうと思って間接的に引用しました。映画は視覚的なイメージを補う効果があるので、特に意識して引用しています。

──島本さんは雨のシーンの使い方がうまいですね。たとえば『シルエット』の常に雨が降り続ける情景は、読者の心に深く印象づけられます。今回も雨のシーンが数箇所、効果的に使われています。

島本 雨の日って特別な感じがしますからね。子供の頃から、雨の日は本を読んだり絵を描いたりテレビを見たり、1人でじっとしているのが好きだったんです。じっとして気持ちが静かな状態になると、外側の風景に意識が働くんです。風景に対して敏感になるんですね。そういう風景の受け止め方はいまも変わりません