『Masato』発刊記念 岩城けいインタビュー 少年の目を通して描かれる海外での暮らしと家族
公開日:2015/9/5
その結果、初お披露目となったムック本は販売数を伸ばして重版されるに至り、数カ月後に発売された単行本も順調に版を重ね、無名の新人作家の、しかもいわゆる純文学と呼ばれる分野の本としては近年稀な売れ行きを見せたのだ。
彗星のごとく現れた新たな才能に、文学界も注目した。デビュー作にして、三島由紀夫賞や芥川賞といった主要な文学賞にノミネート。さらには大江健三郎賞に選ばれ、ノーベル賞作家である大江から「これから仕事を始める新しい(若い)作家に自分の中篇小説を試みさせる規範ともなる」との激賞を引き出したのは特筆に値するだろう。
また、同年の本屋大賞では第4位にランクインしたが、エンターテインメント作品以外で新人作家のデビュー作が入賞を果たしたのは初の快挙であり、文学界だけでなく、広く一般の支持を得る力を持つ作品であると印象づける結果になったのである。
では、『さようなら、オレンジ』の何が、これほどまでに人々の心を掴んだのだろうか。
理由は様々あるだろうが、やはり母語が当たり前に通じる場で安穏と暮らす私たちには気づけない世界を垣間見せることで、言葉の重さに改めて気づかせてくれた点は大きいように思う。
そして、この度発表されたデビュー第2作目『Masato』で、人間と言葉の関係性がさらに深く掘り下げられたのだ。
ローティーンの少年が新たな言葉と出会ったら
「今回は、“男の子”を書いてみたかったんです」
舞台は前回と同じオーストラリアに置きながらも、主人公を12歳の少年・真人にした理由を、岩城さんはこう語った。
「大人になりかかっているような、まだまだ遠いような、それぐらいの年齢の男の子って、独特のかっこよさがあると思いませんか? 確かに、同年代の女の子に比べるとかなりどんくさいところがあります(笑)。だけど、女の子にはないかっこよさもある。たとえば、女の子が転んで泣いたら、声をかけて助けてあげたくなるけれども、男の子はそのまま泣かしておいてもいい。そのうち自分で泣き止んで、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を服の袖で乱暴にぬぐいながら、自分で起き上がっていきます。そういう姿を書きたいなと思いまして」
親の転勤によって突然オーストラリアに連れてこられたため、もちろん英語は全く理解できず、クラスの輪に入っていくこともできない。
そんな真人を容赦なくからかいの対象にするいじめっ子。人種的な侮辱に対し、言い返したいのに、言い返せないもどかしさ、くやしさ。
「言葉を奪われたら、人間は大変なストレスを受けます。これは大人も子供も変わりません」
だが、真人は男の子のタフネスを発揮して、自分で道を切り開いていく。
初めは腕力をふるうしか対抗する術をもたなかったが、少しずつ英語を覚え、友達もできて、いじめっ子とも言葉で渡り合うようになっていく。
そんな真人の日常を追体験することで、ほとんど知る機会がないオーストラリアの小学生の生活を知ることができるのも、本書のおもしろさの一つだ。
「オーストラリアにはいろんな国籍の人がいます。うちの息子の通う学校でも6カ国の異なる国籍を持つ子供たちが通っています。これが大都市メルボルンにある学校だと、親の国籍だけで80カ国に上る学校もあるそうです。人種や言葉はもちろんのこと、服装から宗教的なバックグラウンドがわかる人たちもいれば、一見しただけではどこの国の出身なのかわからないことも多々あります。とにかく、個々の持つ文化的背景が全く違うのですね。そんな環境だから、やっていいことと悪いことのルールがはっきりとしています。たとえば、この言葉を使うと即校長室に呼ばれるというように、誰にでも理解できる基準がある。逆に、それを守れば、自由にやっていい。結局のところ、多文化が前提である以上、ルールが曖昧だとクラスや学校を束ねていけないのです。これは国家レベルでも同じこと。一人ひとりが空気を読むことを求められる日本とはずいぶん違います」
『Masato』
父の転勤でオーストラリアに住むことになった真人が、現地の小学校で体験する十数カ月。異なる文化を持つ多様な人々との出会いによって鮮やかに変容していく少年の瑞々しい姿を、端正な筆致で描き切った待望の新作。