壇蜜さん「背徳的なことをして、傷つくのも得をするのも自分なら、動かないのは損」“亡き夫の遺骨”と暮らす日々を描いた『はんぶんのユウジと』

文芸・カルチャー

2020/1/1

 壇蜜さんの初小説『はんぶんのユウジと』(文藝春秋)は、27歳・結婚3か月にして夫が突然死してしまった「イオリ」が、「遺骨」とともに暮らす日々を描いた表題作をはじめ、亡き夫「ユウジ」の周辺を描いた連作短編集。これまでエッセイやコラムで活躍してきた壇蜜さんが、はじめて踏み込んだ創作の世界とは? 作品についてうかがいました。

■「粘土の人影」から生まれた、存在感の薄い夫

――表題作「はんぶんのユウジと」で、イオリは流されるまま見合い結婚しますが、夫のユウジが生きているときより、遺骨になってからのほうが“夫婦らしさ”を育んでいるのが印象的でした。ユウジの気配は、本人が生きているときより濃いですよね。

壇蜜 そうですね。イオリは、周囲から「哀れな女」と思われているけど、本人は全然、哀しくない。だけど、ともに生きた時間より思い出す時間のほうがこれからどんどん長くなっていくなかで、彼の存在をなかったことにはできないし、自分のなかに残った気配を消すことはできないまま生きていくんだろうなあ、というのを書きたかったので、どうしてもそういう描写になってしまいました。

――新婚早々、夫を亡くす妻、という設定はどんなふうに思いついたんですか。

『はんぶんのユウジと』(文藝春秋)

壇蜜 正確に説明しようと思ったらたぶん終電が終わっちゃうと思うんですけど……(笑)。ものすごく端的に言うと、あるドラマの現場で、中国から来た小道具のスタッフさんが「人影は最悪、僕が粘土か何かでつくるから」って言った冗談がきっかけです。私は、人影が必要なときは誰かが立たないといけないって思っていたんですよ。でも彼の言葉に「そうか、人影って人がいなくてもつくれるんだ」って気づいた。スタッフの方は仕事だから、足せるものは足すし省けるものは省く、というドライな思考。かたや私は、人影は人でなくてはならぬと思い込んでいる。その差異の発見がおもしろかったというか……そこからあれこれ考えているうちに「家族だったけどもう死んで存在しない人」「気配はあるんだけど輪郭があんまり思い出せない人」っていうユウジの存在に昇華していきました。

――たしかに、イオリにとってユウジはずっと「つかみきれない人」のままですよね。それなのに存在だけは大きく内側に残っている。

壇蜜 この小説を書いていたころ、『精霊の守り人』というドラマに出演していたんですけど、開始早々に槍で刺されて死んじゃうんですよ。その亡霊がのちのち、鈴木梨央さんが演じた娘を苦しめるんです。ユウジは亡霊になったわけじゃないけど、気配が人に影響を及ぼすってこういうことなのかなあ、と演じていて少しリンクしました。

――設定を思いついてからは、すぐに書き上げたんですか。

壇蜜 いえ、最初は叔母の目線で書いたんですよ。それこそ、かわいそうな姪を見守る観察日記みたいな感じで。でも、それだと遺骨とイオリの距離があまり近づかなくて、2人の関係みたいなものを描くならやっぱりイオリを中心に書いたほうがいいだろうということで描き直しました。母親がすぐに「次の人を探したほうが」みたいなタイプなので、唯一姪に寄り添って「もう少し時間をあげなさいよ」と言ってあげられる存在として描いたほうが、あの家族の変な感じも際立つかなあと。

――変、ですか? イオリの家族は。

壇蜜 一見、典型的な4人家族ですけど……。姉の「ユウリ」は出来がよすぎて、家を飛び出して行ってしまい、海外で結婚して帰ってこない。妹のイオリはぼんやりしていて、どうにもならないから、同じようにどうにもならない他所の家の息子と結婚させてしまおう、っていうその感覚は普通ではないですよね。少なくとも、いまの時代にはそぐわない。だから、舞台背景は90年代にしました。そういう家族観がギリギリ許されるような気がしたので。

――たしかにイオリはぼんやりしていますし、流されやすいんですけど、読んでいると「こういう人って意外といちばん強いんだよなあ」という気がしました。主張が何もないようで、誰より自分のやりたいようにやっていますよね。

壇蜜 意外と彼女は雑で強い(笑)。究極の鈍感ともいえますけど。両家の話し合いの渦中にいるのが耐えられない、と思ったら、具合が悪いふりをして抜け出す処世術ももっている。姉といつも比べられてしんどいし、いろんな人からあれこれ言われやすい彼女が、現実を変えることはできないけれど、その瞬間、その場から逃げるために悪い子になるくらいはできる。だから、ユウジが死んでも悲しくなかったんだと思います。感情をこらえるというより、流す術を知っているから。

■小説は、箱庭に好きなものを詰め込んでいく作業

――以前、『壇蜜ダイアリー』にかんする取材の際に、日記を書くときは「書きすぎないこと」を意識しているとおっしゃっていましたが、小説でも同じですか。

壇蜜 そうですね。私、好きなだけ書いていいよ、って言われるのが苦手なんです。あんまりよくない癖かもしれないけれど、原稿用紙何枚分で、って言われないと書けない。だいたいこれくらい、と自分で箱の大きさを想像してそのなかにどんどん好きなものを詰めていく作業のほうが好きなんですよ。だから今回もあらかじめページ数を決めていただいたなかに、まんべんなく出来事を時系列で並べ、描写し、セリフを入れて、編集者の方に読んでもらう、という作業を大事にしました。

――最初に全体像と構成を考える、ということですか?

壇蜜 枯山水をつくる、みたいな感覚に近いですね。大きい石を並べたり波紋を流したりするみたいに、ここに経験を入れ、ここに感情を入れ、そうしたらここが空くからセリフを入れて、というふうに文章を並べていく。そうすると、ここは書きすぎだなとか、ここは足りないなとかがなんとなく見えてくる。……たぶんね、リカちゃんハウスやシルバニアファミリーで遊びすぎたんですよ、私。子どものころから、自分でキノコの断面図におうちを描いたりしてましたし、自分だけの箱庭をつくってそこで誰かを遊ばせる、っていう脳から抜け出せていないんだと思います。

――なるほど。登場人物を動かすのも、ドールハウスで人形遊びさせるのと似た感覚なんですね。

壇蜜 だから小説を書くこと自体に、それほど抵抗や不安はなかったんです。箱庭に詰めていく作業を、もっと丁寧にやればできるんじゃないかな、という予想があったから。

――実際、書き終えてみていかがですか。

壇蜜 つじつまの合う作り話ができてよかったなあと思います(笑)。

■弱い人ほど、簡単に一線を越えられる

――2話の「タクミハラハラ」は、ユウジの弟・タクミが主人公です。ユウジが亡くなる前の話ですけど、やはりここでもユウジは、存在感は薄いのに気配として色濃く描かれていますね。

壇蜜 ユウジはタクミのことを、ヤンチャで好き勝手してるとか、小遣いあげないと来ないとか言ってたけど、逆はどうだったんだろうって思ったんですよね。タクミはお兄ちゃんをどう思っていたんだろう、って。私、“一方そのころ”の話が好きなんです。

――ユウジには兄もいるなかで、なぜタクミを?

壇蜜 ものすごく私事なんですが、この小説を書いていた当時出演していた『4号警備』というドラマで、共演した窪田正孝さんが、タクミみたいだなあと思いまして……。窪田さんって、熱血漢なんですよ。私のような者にも、「(アクションシーンで)思いきりぶつかってきてください!」とか言ってくださるところとか、ばっと頭を下げるところとかが、「はんぶんのユウジと」で書いたタクミの姿にリンクして。タクミも、熱い子なんですよね。でも余熱で副作用を起こしてお腹が痛くなっちゃうタイプ(笑)。なんか似てるなあ、と思ったらキャラクターに厚みが出て、書ける気がしました。

――「にびいろ八分咲き」では、イオリとタクミが思いもよらぬ形で関わっていくことになりますが、そこに壇蜜さんの「背徳感への抵抗」みたいなものがある気がしました。

壇蜜 いちおう、テーマとしては「ミャンマーじゃ普通のことだぞ」っていう(笑)。背徳的なことをして、傷つくのも得をするのも自分であるなら、動かないでいるのは損かなと思うんです。そして弱い人ほど、意外とすぱっと決断できるし、一線を越えられる。強い人ほど、難しいんですよね。守るものや背負うものが多いから。弱い人にはそれがないから、思いきれる。弱い者同士が連携して何かを乗り越えようとしたとき、とんでもないことをしでかすという構図は、「事件」として描かれがちだけど、いい方向に転ぶこともあるよっていうのを描きたかったですね。

■かわいい子ほど、人には言えない傷を負ってることがある

――断章的に描かれた「パット エミデテ テレルフターリ」では、「タクミ」の彼女「リカ」と友人の「イチカ」の意外なやりとりが描かれます。

壇蜜 あの2人は、一迅社の百合ものを少し参考にして書きました(笑)。

――百合、ですか?

壇蜜 絶対にありえないと思っていたマイノリティの事象が、だんだん自分にとっては普通のことになってきて、むしろ正解になっていく、という過程が描かれることが百合コミックには多いんですよ。リカとイチカが必ずしも恋愛関係に陥るわけじゃないけれど、その可能性もありうるという伏線を張りたかったんです。

――人間なんて、どう転ぶかわからないよ、と。

壇蜜 そうですね。マイノリティのセンスがあるのは、イチカではなくリカのほうだと私は思います。彼女は、自分がかわいいということを含め、男にモテるとはどういうことかを熟知している。だから守られて、我儘を聞いてもらって当然、みたいな態度もとるけど、反面、裏切られて傷ついてきてもいるし、男女間の汚い部分を見てきている。反動で、女性とのピュアで耽美な関係に憧れる部分はあると思います。

――タクミという彼女がいながら男の先輩に媚びを売る(ように見える)リカを、最初、イチカはものすごく嫌悪するじゃないですか。でも、リカの人となりを知ると見え方が変わる。その反転をこの短さで描いているのがとてもいいなと思いました。

壇蜜 かわいい子ほど、ひどい目に遭ってるというのが私の体感で。みんな「かわいいからっていい思いして」と思うけど、得をすることばかりじゃなく、外にはひけらかせないほどのトラウマを抱えていることもある、というのをわかってほしい気持ちはありました。作り話でもいいから、「かわいいだけじゃない」という側面を描いて、現実もそうかもしれないって思ってもらえたら、人はもう少し他人に優しくなれるのかなあ、って。

――どうしても、わかりやすいところだけ見て判断し、安心したくなってしまいますけど、この小説は、誰かの「人には絶対見せない」部分こそが大事だということが描かれている気がしました。

壇蜜 “一方そのころ”の視点がいっぱいあると、読み進めてもらえるかなあと思いながら書いていました。けっきょく自分は自分にしかなれないし、あくまで自分の立場を通して見た相手しか描けないけど、それがうまく表現できていたらいいな、と。

■「分け合う」ことは決していいことばかりじゃない

――イオリがユウジを想って〈私たちは本当に「半分こ」が下手だ〉と言う一文がとてもよかったんですが、「半分こ」をモチーフにしたのには何か理由があるんですか。

壇蜜 喜びや悲しみをわかちあうと得するような気持ちになるし、「半分こ」ってとても素敵なことのように思えるけれど、意外と損しているってことを書きたかったのかな。イオリとユウジがわけあったハンバーグも、肉汁がこぼれて形もくずれて、たぶんおいしくないと思うんです。だから本当は、半分こなんてしないほうがいいんだけど、しちゃったから、しょうがなく生きている。そういう人たちを描きたかったのかな、と思います。きょうだいも多いほうがいいって思われがちだけど、血をわけてもいいことはそんななかったな、って割をくっちゃった人たちを。骨壺も、血縁も、わけながらずっと続いていくけど、全部けっきょくうまくいっていない。それが「半分こ」の結果なんだぞ、ってことが言いたかった。

――半分にしたことで、イオリのなかにもずっとユウジは、気配として残り続ける。最後まで彼がどういう人だったのかはわからないままですが、わからなくてもいいのかなあ、という気もしました。誰の目を通すかによって、人の姿は変わるので。

壇蜜 どんなに想像しても、私もユウジの顔ってなかなか思い浮かばなくて。でも粘土から生まれて、骨になって終わっていくということは、この人は個性のないままでいいんだろうな、と思いました。そのかわり、イオリの儚さそうで意外とふてぶてしいところとか、タクミのかわいいんだけど頼りないところとかが際立てばいいな、と。

――この小説を刊行されたあとに漫画家・清野とおるさんとのご結婚を発表されましたが、いま改めて思う、理想の夫婦像はありますか。

壇蜜 どうでしょう……。奇しくもものを描く人と結婚したので、できることならお互い邪魔しあわない程度に、つくっているもののなかに影響できる2人でありたいとは思っています。たとえば今回の小説だと、ユウジの顔は私自身、どう頑張っても思い浮かばなかったんですが、線の細いシルエットや眼鏡をかけている風貌は、当時まだお友達だった夫に近いものがあると思ったんですよね。だから、この人とは何かあるのかなあという予感はしていました。彼が少なからずモデルとして、ぼんやり薄くのばされた形で作品に存在してくれているのは嬉しいことですし、そういう関係がこの先も続けばいいなと思います。

取材・文=立花もも 撮影=花村謙太朗

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