犯罪者を「脳トレ」で更生? 行動をコントロールするのは「自分の意識」ではない? 私はどこまで私なのか―『あなたの知らない脳』

科学

2016/12/12

『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』(デイヴィッド・イーグルマン:著、大田直子:訳/早川書房)

「このところ自分のことがよくわからない。(中略)わけのわからない異常な考えが次々と襲ってくる。」「いろいろと考えた結果、今夜、僕は妻のジェシーを殺すことに決めた。……僕は彼女を心から愛しているし、彼女は僕にはもったいないくらいの素晴らしい妻だった。冷静に考えて、こんなことをする具体的な理由を挙げることはできない。……」

 これは、1966年に米国のある男性が綴った遺書。彼はこれを書いた後、銃の乱射で13人を殺し、33人を負傷させた。自身はその場で銃殺。彼はいったいどんな理由でこんな犯行に至ったのか? 警察が調査を行うが、これといった動機はみつからない。ところが、検視官が彼の遺体から脳を取り出すと、動機に繋がる驚きの原因が判明した。直径2センチほどの腫瘍が、感情の制御に関与する扁桃体を圧迫していたのだ。つまり、犯行は、彼の意志とは関係なく、脳の異常が引き起こしたということに。果たして、彼を罪に問うことはできるのだろうか? また、罪が認められたとして、どのくらい重い刑に処することができるのだろうか?

あなたの知らない脳 意識は傍観者である』(デイヴィッド・イーグルマン:著、大田直子:訳/早川書房)は、“人間の行動をコントロールしているのは、自分の意識ではない”という説を述べた脳科学ノンフィクション。冒頭の米国の男性の話は本書からの引用だ。神経科学者である著者は、「脳が変わると、人が変わる」として、この例を挙げているのだ。

“人間は生き物なのだから生まれた時から個体差がある、すべての大人に正しい選択をする平等な能力があるというのは、すてきな考えだが間違っている”と喝破する著者。そして、冒頭に挙げた男性について、自らの内に湧き出す次のような疑問を読者にもぶつけてくる。どの程度「彼のせい」なのだろうか? 誰だって自分の行動を制御できなくなる可能性はあるのではないか? いやいや、腫瘍のある人には罪はないというのも違う、意識的でない犯行すべてで罪は軽くなるのか? etc.

 さらに著者は、「脳に適した前向きな法制度」を提唱。その一案として、罪人を刑務所に閉じ込めておく代わりに、次のような刑を紹介する。それは、脳を社会の一員にふさわしいものに変え、更生、出所させようというもの。脳の前部前頭葉を活性化させるトレーニングを行えば、衝動を抑制する力が強まり、我慢ができるようになるという。

 具体的には、まず、被験者に脳内スキャンを施し、モニター上に表示されるグラフ画像を見せる。この画像は、欲求に関する脳領域がどのくらい働いているかが一目でわかるものだ。そして、チョコレートケーキ(大好物という設定)の写真を見せる。写真の登場でケーキを食べたい欲求が高められるとモニターのグラフは大きく上がる。被験者が意識的に、本当はケーキを食べたいが我慢している状況をイメージすると、グラフは徐々に下がっていく。欲求を自分で下げられることを、視覚化して学習し、脳に我慢を覚えさせるのだという。

 著者は、その前提として、脳に変化を加える場合は、「本人をできるだけ変えずに」、困った行動だけに焦点を当てることが大切だ、とも言っている。確かに、人格を丸ごと変えてしまったら、自分が自分でなくなってしまう。が、自分の範囲とは、いったいどこからどこまでなのだろうか? まるで哲学のようだ。

 日本も、死刑廃止論や刑務所の維持費用、再犯率など、刑罰への様々な問題は人ごとではない。果たしてこの先、この脳トレが、受刑者の更生プログラムのひとつとなることはあるのだろうか。もし実用化されるなら、医療技術や研究が進むたびに、「本人である」線引きも変わるはずで、年ごとに、罪と罰の関係は変わっていくのではないか。

 ひとりの人間の責任範囲はどこまでか? 加えて、人が人に対してどこまで刑罰を科すことが可能なのか? 絶対の正解はない。さらに、“私はどこまで私なのか”と問い出すと、それはそれは深い沼なのだ。

文=奥みんす