危険な企画「文庫X」はなぜ共感をよび、全国650以上の書店に広がっていったのか? 仕掛け人が語った

ビジネス

更新日:2020/8/25

 岩手県盛岡市を中心に10店舗ほど展開する「さわや書店」の書店員が仕掛け、大きな話題となった「文庫X」。それは、

・値段が税込で810円であること
・ノンフィクションであること
・500ページを超える作品であること

 という3つの情報のみ、購入前に私たち読者に与えられるという企画だ。本はただならぬ雰囲気の手書きカバーに包まれビニールでシュリンクされ、決して中を覗くことはできない。あなたならこれを手にとるだろうか?

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 仕掛けた本人も“売れるはずがない”と思っていた「文庫X」。それがどうだろう、最終的に47すべての都道府県にある650以上の書店で展開されるまでになった。「ネット書店」では買えない、全国でたった5%の書店でしか入手できないという“読みたいけど手に入らない”状況が好循環を生み、「文庫X」を展開する書店にさらなる追い風が吹く。全国紙をはじめ、マスメディアに取り上げられたことで「文庫X現象」は大きく加速した。ネタバレはほとんどなかったという。

 この現象は、地方の一書店から発信された企画としては驚くべき影響力といえる。さわや書店は、これまでにも絶版寸前だった『天国の本屋』(松久淳、田中渉/かまくら春秋社)を仕掛け映画化にまで押し上げたり、『思考の整理学』(外山滋比古/筑摩書房)の200万部達成の火付け役となったり、『永遠の0』(百田尚樹/講談社)を見出し大ベストセラーに導いたりと、出版業界で数々の伝説を作り上げてきた知る人ぞ知る書店だ。

 そして7月7日、「文庫X」の仕掛け人・長江貴士氏がヒットに至るまでの道のりとアイデアの秘訣を分析し、本人の半生を踏まえた上で、「先入観」を捨て、「常識」に囚われず生き抜く力についてを綴った『書店員X 「常識」に殺されない生き方』(中公新書ラクレ)が出版された。ここで、7月18日に三省堂書店 神保町本店(東京都千代田区)で開催されたトークイベントの内容を紹介しよう。当日は、長江氏とさわや書店フェザン店店長で2年前に『まちの本屋』(ポプラ社)を上梓した田口幹人氏をゲストに迎え、三省堂書店の新井見枝香氏が聞き役として参加した。

 

文庫Xのヒットは想定外。もともとはホラー企画がメインだった

 モノを売ることに新しい可能性を見出した企画「文庫X」。それ以降、TSUTAYAの「NOTジャケ借」や日本航空の「どこかにマイル」など、中身の見えないモノを売る企画が生まれている。

「我々が期待していたのはもうひとつの企画でした。ホラー文庫を52タイトル選んですべてに同じ怖い顔のカバーをかけた。(さわや書店の)正面のメガネ屋さんからクレームがくるんじゃないかというくらいの売り場を作ったんですよ。そっちの方が話題になると思っていたので、文庫Xは予想外だった。あれはびっくりしましたね」と長江氏は話した。

 長江氏の頭の中には「店のお客さんのために何かやれ。それをより多くの人に広めるのが俺の仕事だから」という田口店長の言葉がありながらも、「“期待されていない”ことをやりたいというスタンスでいると毎回出すアイデアが“なんだこりゃ”になる」と話す。「文庫X」もその中で生まれた。

 

「文庫X」的企画の危険な面とは?

「文庫X」が外に広がったのには、田口店長の戦略があった。田口店長は、さわや書店と同じ想いで企画に賛同してくれる書店に絞って「文庫X」を広めていくことにこだわった。「売れているから」「話題だから」を理由に「文庫X」を展開したいという書店は断ったそうだ。

 オリジナルのカバーをかけ中身を見せずに本を売る「文庫X」のような企画にはリスクが孕む。「買ったけど僕は中身と違うと思う」という読者も当然現れる。そうなると、もうそのお店で本を買ってくれなくなるのだ。田口店長曰く「やらない書店の方が絶対正解」で、長江氏は色んな書店から電話がある度に、「危険な企画ですが大丈夫ですか?」と話したそうだ。実際、さわや書店には、苦情の問い合わせもあったという。田口店長は「ほんとに大変だったんだから~」ともらしたが、「(購入して)後から損したよなと思った人もいるかもしれない。それでも僕らと心中するつもりでトライしてもらえればいい」と、長江氏は話した。まずはトライしてみる、ダメだったらやめるそんなスタンスなのだ。

 

お客さんはどんな本を探してる? 「文庫X」の大波は“さわや書店の土壌”があってこそ生まれた?

 お客さんとのコミュニケーションを大切にするさわや書店。かといって単に全国の売れ筋書籍を薦めるのではない。お客さんがどんな本を探しているのかをキャッチすることがコミュニケーションだという。そのためには、長い時間をかけて信頼関係を築く必要がある。その過程で、書店員はお客さんにも育てられる。一方で、お客さんは自ら読みたい本を見つける力を養っていく。「文庫X」の大きな波が生まれたのも、信頼関係があってこそ、なのではと長江氏は分析。そこには、さわや書店の土壌が大きいと長江氏は繰り返したが、“さわや書店の土壌”とはいったい何を指すのだろうか?

「前までは面白いことをやり続けようという感覚しかなかった。自己満足の部分があった。でも今はそうじゃなくて我々は商売。いかにお店に来てくれた方に楽しんでもらって、その結果、本を買ってもらうか、その1点しかない」という田口店長の信念がある。一方、長江氏は「人の思考から生まれた企画は自分の中に入れられない」と話す。「文庫X」も長江氏が『殺人犯はそこにいる』(※)に出会い、並ならぬ衝撃を受け、描かれているテーマが日本で生活している全員に関係があると感じて広めたいと思った。そんな実体験が企画のエネルギーになった。

 そして、さわや書店の先人たちの成功例によって生まれた、さわや書店がやっているからのってみようかなと面白がってくれるお客さんと「失敗を許してくれる」環境、それが“さわや書店の土壌”なのだろう。

「文庫X」ヒットの裏には、書店員さんたちの悔しい思いがあったという。『殺人犯はそこにいる』の単行本が発売された時に、「アノ本が売りたくて売りたくて売れなかった」「自分たちの手で売れなかった」その時の気持ちが力となり「文庫X」を後押ししたのだ。

 

新しい読書体験をつくった

 表紙を隠したことは「文庫X」という企画の本質ではなかったという。長江氏にとって表紙を隠すのは「先入観を取り除く」ための「手段」のひとつであって「表紙を隠す企画」をやりたかったわけでない。

「書店員X」がきっかけで、はじめて新書を買ったという人もいるだろう。書店で新書担当になってはじめて新書を読むようになったという長江氏。「そこのハードルってあるな」「文庫Xも小説じゃないけど、普段買わない本を買うきっかけになってくれたら」と考えた。

「文庫X」のカバーはすべて書店員による手作りだった。反響とともに売り場からはなくなり、生産が追いつかない。お客さんに「文庫X」の中身がバレないよう店頭で作業し、最終的に5000枚ものカバーが出来上がったそうだ。その時の様子を「自分たちでやっている感がすごい」と話した長江氏だが、それはまた書店員にとっても新しい体験になったのではないだろうか。

「文庫X」を境に、長江氏が仕掛けているから買っていくという人が増えたそうだ。「彼がやった企画についてくる人がたくさんいる」と田口店長は鼓舞した。書店員にファンがつく、それはリアル書店の理想のカタチなのではないだろうか。

 

長江さんが伝えたいことは本書の後半に

 『書店員X』のサブタイトルに「常識」に殺されない生き方とあるが、かつての長江氏は、「普通」に囚われて生きてきたそうだ。

「あえて外れなくてもいいんだけど、“普通”に違和感を持っているのに、普通から外れられない人は、それができないことだと思い込んでしまう辛さがある。普通じゃなきゃいけないって思っている時点で普通じゃない。ぼんやりしているものなのに、その“普通”というのがすごく強力」と長江さんは話した。大学を中退してはじめて長江さんの前に広がった視界。「普通」の呪縛から逃れた長江氏は、本書は「昔の僕みたいな人間をずっと意識して書いた」という。「生きづらいのに生きづらい理由がわからない。生きづらさの正体が何かわかるとそれだけで楽になる。この本を読んでそう思ってくれたらいい」と語った。

「長江くんは自分を持って強そうに見えて、実は、ものすごく弱いから武装している。変態なんだよ(笑)」という田口店長の言葉に長江氏は「超褒め言葉(笑)」と返し会場をわかせた。ぜひ『書店員X 「常識」に殺されない生き方』の後半で確認してみてほしい。

 最後に本書にある長江氏の印象的な言葉を紹介しよう。

「本」というものをこんなふうに捉えるべきだ、「読書」というのはこうあるべきだという、昔からある「先入観」に囚われているだけではないだろうか

 モノが売れないと言われる時代、「モノを買う」という行為そのものにどんな付加価値をつけることができるか、「モノ」ではなく「体験」を売った「文庫X」はその可能性のひとつを示した。

「『殺人犯はそこにいる』が売り場にそのまま置かれていたら絶対に手に取らなかった」と語ることはすなわち、僕たちが日常的に、自分の価値観を揺さぶるものと出合い損ねている可能性を示唆する。

 長江氏自らが「普通」から外れ、行きついた先で生まれた「文庫X」の成功体験から得た、強いメッセージを感じる。

 本書には、これまでに長江氏が影響を受け、彼を形作ったとされる興味深い書籍が紹介されている。いまをちょっとだけ変えたいという人に、勇気とヒントを与えてくれる。そして、猛烈に「文庫X」ひいては『殺人犯はそこにいる』を手に取りたくなるはずだ。

 

(※)『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(清水潔/新潮社)

 本書は、北関東で起こった幼女殺人事件を扱ったノンフィクション。著者の清水氏は、連続殺人事件と認識されていなかった5つの事件の関係性を見出し「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の存在を立証した。その過程で無実の罪で17年間も刑務所に入れられていた人物を釈放に導く。さらに、警察に先んじて、真犯人を特定し司法の闇をあぶり出していった。まさに清水氏の執念による傑作だ。

取材・文=中川寛子

 

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