なぜ彼は下剋上を起こしたのか? 美将・陶隆房、過信と反転の人生
戦国三大奇襲のひとつとして高名な“厳島の戦い”。2万もの軍勢を擁する周防の大国・大内軍を見動きのできぬ平地僅かな島へとおびき寄せ、山側から奇襲、水軍で海を封鎖、5千にも満たぬ毛利軍が圧勝を収めた頭脳戦ともいえる合戦である。その戦で西国覇者への大きな一歩を踏み出した毛利元就、片や敗将として厳島を生涯の地としたのは大内軍勢を率いた陶晴賢。入道前の名を陶隆房──。
吉川永青 よしかわ・ながはる●1968年、東京都生まれ。2010年「我が糸は誰を操る」で第5回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞。改題した『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で翌年デビュー。著作に、吉川英治文学新人賞候補作『誉れの赤』『時限の幻』『義仲これにあり』『義経いづこにありや』『天下、なんぼや。』など多数。
「“負けた側からの戦国史を書いてみませんか?”というお話をいただきまして。節目、節目で決戦レベルのものがある、戦国が通史で読めるようなものを。すると初期段階の群雄割拠、下剋上の時代というものは絶対に外せない。そこで下剋上を体現した人って何人いるのかなと改めて数えてみたんですね。すると実…