旅に行けなくても、わたしは自由! コロナ禍&ポストコロナの鬱屈を晴らす世界の料理の“おいしい”カフェ物語

文芸・カルチャー

公開日:2023/4/19

それでも旅に出るカフェ
それでも旅に出るカフェ』(近藤史恵/双葉社)

 遠くに出かけられないコロナ禍という時間に、翼をもがれたような不自由さを感じていた。旅もできない。外食もできない。思うように人にも会えない。そんな時間が少しずつ終わりを見せようとしているのに、未だに身体が縮こまったまま、元に戻らないでいる。

 そんな人にこそ読んでほしいのが、『それでも旅に出るカフェ』(近藤史恵/双葉社)。世界の珍しいメニューを提供するカフェを舞台としたコージーミステリーだ。『ときどき旅に出るカフェ』(近藤史恵/双葉社)に続く物語だが、コロナ禍を描き出す本作だけを読んでも、きっと共感させられる。どこにいたって、誰といたって、自由な自分でいたい。読めば、そんな思いがふつふつと湧き上がってくるに違いない。

 物語の中心となるのは「カフェ・ルーズ」。オーナーの葛井円があちこちを旅して知ったいろんな国のスイーツや飲み物を再現している評判のカフェだ。円の元同僚で常連の奈良瑛子は、コロナ禍に入ってから長らく休業を続けるこのカフェのことを心配していた。営業が再開したら、また足繁く通おう。そう思っていた矢先、瑛子は思いがけない形で、円のレシピと再会することになる。

advertisement

 円が作るのは、日本ではそこまで知られていなくても、その土地で長年愛されている味だ。濃厚なのに、軽く、甘さも控えめなエストニアのチーズクリーム・コフピーム。キャラメルみたいな風味のする、ロシアの発酵乳・リャージェンカ。さくさくのパイ生地の間に分厚いカスタードと生クリームの層のある、スロベニアのブレッドクリームケーキ。ボリュームたっぷりのポルトガルのサンドイッチ・フランセジーニャ……。世界各国の料理を知るだけでも、旅の気分が味わえるから不思議だ。食べたことのないものばかりだが、どの料理も美味しそう。「どんな味なのだろう」と想像するだけでワクワクさせられる。

 それに何よりも、円という人間を知れば知るほど、その人柄に惹かれてしまう。円の店を訪れるのは訳アリな客ばかり。結婚した人、結婚していない人、専業主婦、外で働く人、働けないでいる人、子どもがいる人、いない人……。それぞれの苦労はあるのに、どうしてかお互いを理解することができずに、大切な人とすれ違っている。そんな客たちに円がかける言葉が私たちにも沁みてくる。そっと優しく寄り添ってくれるような円の言葉と、その料理に心が癒されるのを感じるのだ。

「旅をすることはわたしにとって、ようやく手に入れた自由だったんですけど、でも、最近、思ったんです。旅に行けなくても、わたしは自由なんだって」

 この物語では、円を苦しめるような出来事も巻き起こる。それでも、円は毅然とした態度でおかしいことはおかしいと言う。世の中がぼんやり前提としているもののおかしさに静かに抗う円の姿には憧れさえ抱いてしまうことだろう。

 コロナ禍が少しずつ終わりを迎えている今、人と関わる機会も増えてきた。それは喜ばしいことであるはずだけれど、時にはモヤッとした気分にさせられることも少なくない。大きな理由があってもなくても、なんとなくうまくいかない、と感じる瞬間が増えている気がする。だが、そういう時は、円のことや、「カフェ・ルーズ」のことを思い出したい。ああ、こんな店主の、こんなカフェが本当にあればいいのに……!「甘いだけ、優しいだけじゃない場所で、今日は自分をいたわりたい」——帯に描かれているその言葉の通り、そんな気分の日に、是非とも手にとりたい1冊だ。

文=アサトーミナミ

あわせて読みたい