日々のすれ違いやセックスレスにより加速する心と体の渇き。時を重ねるごとに離れゆく夫婦の姿を描いた、村山由佳の長編小説『Row&Row』
公開日:2023/5/8
毎日一緒に暮らしたい。片時も離れたくない。通常は、そう思えるほど愛した人と「結婚」を決意するものだろう。しかし、いざ「毎日一緒」の生活がはじまった途端、互いのバランスが崩れ出す夫婦は少なくない。
“たまたま二本の線がぶつかったタイミングで、いわば勢い余って籍を入れたような結婚だった。
その一瞬の交点を経て後は、時がたてばたつほど互いが離れてゆく心地がする。”
村山由佳氏の恋愛長編小説『Row&Row』(毎日新聞出版)の一節である。“時がたてばたつほど互いが離れてゆく”――私自身、離婚経験者の一人として、この感覚を身をもって知っている。
本書で描かれる主人公たちもまた、小さな歪みが重なった末、大きな隔たりに心をすり減らす日々を送っていた。広告業界の第一線で働く妻の涼子と、自宅1階を店舗として美容院を営む夫の孝之。二人は、涼子が心に深い傷を負ったタイミングで知り合い、そこから恋愛へと発展、やがて結婚に至る。
仕事が順調な涼子に対し、孝之の美容室の集客は芳しくなかった。妻より収入が低いことで、自尊心を損ねる男性は珍しくない。そこに些細な行き違いや生活リズムのズレ、仕事に対する理解度の違いなどが重なり、二人の歪みを広げていく。
涼子と孝之のすれ違いは、心だけにとどまらない。二人は、とある理由から長い間セックスレスに悩んでいた。愛する者同士が互いの同意を得て行うセックスは、かけがえのないコミュニケーションの一つである。しかし、何らかの理由でセックスレスに陥った場合、互いへのリスペクトと歩み寄りの気持ちがなければ、問題を解消するのは難しい。
心と体の渇きは、かつて二人の間に存在したはずの温度をじわじわと下げていく。そんなタイミングで、孝之は趣味のロードバイクを通してある女性と出会う。女性の名前は美登利。美登利は、のちに孝之の店でネイリストとして働き出すのだが、そのことをきっかけに、涼子と孝之の関係が大きく揺らぎ出す。
「良き妻でありたい」とあらゆるものを飲み込み続ける涼子の姿が、かつての自分の面影と重なった。自分さえ黙っていれば。自分さえ我慢していれば。でも、その我慢は永遠には続かない。長く長く引き伸ばされてきたぶん、どこかで一気にはじける。
「どうして自分だけが我慢しなければいけないんだろう」
そう感じることが増えるたび、積み重ねた小石はぐらぐらと揺れ出す。そして、賽の河原の石積みのように、外部の刺激がひとたび加われば、いとも容易く崩壊を起こす。
本書において、夫婦間ならではの隔たりを、著者は「川」と表現している。
“修正がきく程度の小さな行き違いならともかく、互いの間に大きな川をはさんで対岸を見つめながら日々を過ごす夫婦は、もはや他人より遠い存在だと言えはしないか。”
触れられるほどそばにいるのに、心はどこまでも遠い。二人でいる時に感じる寂しさの方が、一人のそれよりよほど孤独だ。
交点を目指すのか、これまでとはまったく別の方向に向かうのか。自分の舵の方角を決められるのは自分だけだ。涼子は、自分で舵を取った。誰のせいにもせず、「自ら招いた結果なのだ」と思い定めて。
私自身は、離婚から丸2年が経過している。にもかかわらず、未だに元夫に対して恨みがましい感情を抱いていた。本書に描かれた涼子の姿を通して、そんな自分の在り方を問われた気がした。
「あなたは、いつまでそこで立ち止まっているの?」
間違えたらやり直せばいい。何度だって、舵を切り直せばいい。
簡単なようでいて、誰もが忘れがちなこと。過去に執着するがゆえに見えなくなってしまうことを、本書は思い出させてくれた。
私も、私の船を漕ぐ。自分が望む方向に、自分が生きたい方角に。望めない交点を思い出して悔やむのは、もうやめる。願わくは、元夫もそうであってほしい。
再生の道は一つじゃない。夫婦の数だけ答えがある。だからこそ、未来を見据えて、自分のオールを握りしめよう。航跡を振り返って反省会を開くのは、もっとずっと後でいい。私たちの前には、「可能性」という名の広大な川が果てしなく広がっているのだから。
文=碧月はる