夢を諦めることの途方もない痛み…大人にならざるを得なかった全ての人たちに送る「青春の終わり」の景色

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/11

青春をクビになって
青春をクビになって』(額賀澪/文藝春秋)

 どうして学校では「諦めなければ、夢は絶対に叶う」だなんて、そんな綺麗事ばかりを教えるのだろう。青春はいつか終わる。残酷な教えを信じ込んで、ただがむしゃらに夢を追い続けた日々にも、きっと終わりは来る。「諦めなければどうにかなるはず」「ここでやめたら何も残らない」と踏ん張っても、起死回生が望めない時、一体、どうすればいいのだろう。そんな時、私たちが本当に知りたいのは、どうやって次の一歩を踏み出すかということ。夢の諦めかたは、誰も教えてはくれない。

 だが、この小説——『青春をクビになって』(額賀澪/文藝春秋)は、教えてくれる。夢破れた者たちが、どうやってその現実と向き合うかということを。その痛みがどれほど途方もないものなのかを。ずっと青春に浸っていたかったのに大人にならざるを得なかった全ての人たちの心に、この物語は深く突き刺さるに違いない。

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「夢を追う人」というと、なぜだか、俳優やミュージシャン、スポーツ選手、漫画家などを目指す若者をイメージしてしまうが、この本で描かれるのは、ある研究者の姿だ。主人公は、瀬川朝彦・35歳。博士の学位取得後、2年間は研究員として給与をもらっていたが、その契約が切れてからというもの、研究費という名目で月額1万円払うことで大学に籍を置いている無給のポストドクター(=博士研究員)だ。学生時代から古事記の魅力に取り憑かれて研究に没頭しているが、今では研究を続けるために、契約期間の限られた非常勤講師として働くことでどうにか食い繋いでいる。だが、その講師としての職さえも危うい。大学側からは「雇い止め」を言い渡され、途方に暮れていた矢先、ゼミ時代の先輩が大学の貴重な資料を持ったまま行方不明になるという事件が発生した。「45歳の高齢ポスドク」となっていた先輩は、講師の職を失い、なかばホームレス状態だったらしい。なぜ先輩は失踪したのか。10歳年上のその先輩に「10年後の自分」を重ね合わせていた朝彦は強い衝撃を受ける。

 好きなものを貫き通すのは、どうしてこんなにも難しいのだろう。この物語では、その苦難を、ポスドクを巡る問題とともにありありと描き出していく。研究者というと、「将来有望」「ゆくゆくは大学教授」と勘違いされがちだが、現実には多くの者たちが朝彦や先輩のように困窮し、不安定な生活を余儀なくされているらしい。教授職につけるのは一握り。だが、非正規雇用として研究に勤しむ彼らは決して努力を怠ったわけではない。朝彦は学生時代から同級生たちがどんなに遊んでいようとずっと勉強に励み、大学院に進み、懸命に研究を進めてきた。だが、先は見えなかった。大変なのも稼げないのも覚悟して、好きでこの世界に入ったのだから、文句は言えないのだろうか。もっとお金になるような、世の中の役に立つようなものを好きになればよかったのだろうか。好きなものを好きでいることが、時として呪いのように思えてしまう。「モラトリアムにまみれて怠惰でいたかったわけじゃない。世間を拒絶したかったわけじゃない。ただ、好きなものをとことん追求したかった」——そんな朝彦の叫びは悲痛に満ちている。

 こんなにも身につまされるとは思わなかった。ページをめくるたび、胸の奥で、鈍い痛みが揺らぐ。夢破れた者たちの身を引き裂かれるような苦悩が、まるで自分のことのように感じられる。だけど、歳を重ねた今は、こういうビターな物語がいい。綺麗事ではない、現実を描いた物語だからこそ響くものがある。これは、朝彦だけの物語ではないだろう。世の中の多くの人たちが悩んでいる、「青春の終わらせかた」を巡る物語だ。今、夢を追っている人も、すでに夢破れた人も、夢と現実の狭間で身動きが取れなくなってしまっている人も。この物語が見せる、青春の終わりの景色を見れば、自分のこれからを考えずにはいられない。あなたなら自分の青春とどう向き合い、どう片を付けるだろうか。もしかしたら、この本は、あなたのこれからを決める一冊になるかもしれない。そう思わされるほどの衝撃が、この作品にはある。

文=アサトーミナミ

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