「おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃ」。『サラダ記念日』から36年、文語や口語、英語まで織り交ぜた短歌の多様化

文芸・カルチャー

更新日:2023/10/20

4
4』(青松輝/ナナロク社)

 口語短歌には歴史がある。

 俵万智(1962年~)のベストセラー『サラダ記念日』(1987年)の存在は、多くの日本人が知ることだろう。日常の言葉づかいで世界を詠み込んでいく、口語短歌の裾野を大きく広げた社会現象であった。俵と同じ世代の口語短歌作家に、穂村弘(1962年~)、枡野浩一(1968年~)がいる。彼らは短歌を作るだけではなく、雑誌の短歌投稿欄に投稿したり、短歌教室を開いたりして、若い年代に向けて短歌を広げていくことになった。のちに出版された書籍に『短歌ください』(穂村弘/2019年)、『かんたん短歌の作り方』(枡野浩一/2000年)がある。

 そして現在、短歌ブームと言われている。矢継ぎ早に歌集が出版され、書店の棚に平積みされ、次々と若手歌人がデビューしている。火付け役の一人が木下龍也(1988年~)であろう。2021年に刊行された『あなたのための短歌集』が11刷3万6000部(2023年4月時点)のヒットを記録した。筆者が若い歌人に「最近なに読んでるんですか?」と聞くと、彼らが名を挙げるのは木下の他に、千種創一(1988年~)、川野芽生(1991年~)がいる。

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 青松輝『4』(ナナロク社)は、そうした短歌ブームの中で刊行された。1998年生まれ、YouTube「ベテランち」(登録者数15万人)、「雷獣」(同9万人)名義で多彩な活動をしている。彼の短歌は、「口語短歌の現代版」と言っていい。歌にまとわりつく空気感がとにかく「現代」なのだ。10年後に彼の短歌のテンションがどのように変化しているのか楽しみになる。実際に短歌を読んでいこう。

愛のWAVE 光のFAKE どうしよう、とりあえず、生きていてもらっていいですか?

 青松の歌には英語が多く挟まれる。まるで音楽の歌詞、ラップである。「愛のWAVE 光のFAKE」と口ずさむように区切られた上句(575)と、一気に早口で畳み掛けた下句(77)を対比すると、「生きていてもらっていいですか?」が重くこちらに問いかけてくるのがわかるだろう。

 恋に恋……ぜんぶ終わった駅前で見ている遠いグリーンライト

「グリーンライト」は、信号機の「進め」ランプのことである。恋が終わった(それは、別れを告げられたのかもしれないし、告げたのかもしれない。上5の後の「……」の余韻はどちらを表しているのだろうか)駅前で「進め」と指示を与えられている。それは希望のような遠い光だ。

 おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃって生きてたらはちゃめちゃに光ってる夏の海

 語の繰り返しで思い返されるのは、〈にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった〉(加藤治郎)であろう。ひらがなの繰り返しは視覚的要素も強く、青松の「おりゃ」は結句「夏の海」の波にも似ている。

『サラダ記念日』から36年、短歌は多様化している。文語と口語、どちらを「自分の言語」とするかで、作家としてのスタイルを形成する第一歩が決められてしまう。青松は口語を選び、なおかつ、おそらく彼自身がいまこの瞬間に使っているだろう言葉を短歌に落とし込んだ。若い歌人たちがいま発する言葉、いま何をどのように表現していくのか。そこにはまさしく「現代の日本語」が現れる。注目していきたい。

文=高松霞

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