【2024年本屋大賞3位】児童虐待の相談は年間20万件以上。『罪の声』作者・塩田武士が描く、児童誘拐された少年の空白の3年間の意味

文芸・カルチャー

更新日:2024/4/10

存在のすべてを
存在のすべてを』(塩田武士/朝日新聞出版)

 重厚長大な書物とはこういう本の為にあるような言葉だ。塩田武士『存在のすべてを』(朝日新聞出版)は、上質のミステリ小説でありながら、同時に、ミステリの定石を次々に覆していくような、志の高さと射程の長さが感じられる傑作である。塩田氏の代表作と言えば、第7回山田風太郎賞を受賞した『罪の声』(2016年)が度々挙がるが、子供が事件に巻き込まれる、という意味で同作と『存在のすべてを』には連続性がある。両作を読み比べてみるのも一興だろう。

 多面的な魅力を備えている本書だが、なんといっても設定の面白さに舌を巻く。まず、別々の場所で2人の児童が同時に誘拐されたら、という着想からして冴えている。誘拐を題材にした小説にはある程度定型があるが、塩田氏はそこをひとひねりしている。警察が最初の事件を「おとり」にして、ふたつ目の事件を解決しようとする展開も斬新だ。だが、2件目の事件では、警察の判断ミスによって犯人を取り逃す。被害当時4歳だった亮は行方不明になるが、3年後、彼の両親ではなく祖父母のもとに突如戻ってくる。

 実際に3年間亮を育てていたのは、天才写実画家の貴彦と、英語塾講師の妻の優美だった。亮は両親から虐待を受けており、どうしても2人が彼を受け入れざるを得ない事情があった。この設定から筆者が連想したのは、カンヌ映画祭で最高賞を獲った是枝裕和監督の映画『万引き家族』である。血縁の有無を問わない疑似家族を描いた同作では、虐待を受けていた幼女を、通りすがりの男性(リリー・フランキー)が目撃して、自宅で育てようとする。

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『万引き家族』は最後に警察が介入して幼女は元の家に返されるのだが、真におそろしいのは「その後」である。幼児は家庭に戻されても、再び虐待を受ける可能性が極めて高い。『存在のすべてを』でも貴彦は、亮が両親のもとに戻されたら、またDVやネグレクトが始まると判断する。結果、誰にも事実を明かさず、3人は全国各地をまわりながらひっそりと暮らすことに。そして3年後、亮の子育てを任せるに足る祖父母が、亮を引き取ることで、彼は安全な暮らしを手に入れる。

 亮は小学校には通えなかったが、絵を描くのが途轍もなく巧かった。それも、神童と言っていいほどの域である。そのうえで、画家として熱狂的な支持者/支援者を持つ貴彦の英才教育を受け、驚嘆すべきスピードで絵画の何たるかを吸収。高度な技術や難解な理論を貴彦から教わることで、亮は画家として自立、いや、覚醒していく。

 その後、人気写実画家・如月脩(きさらぎ・しゅう)の暴露記事が週刊誌に掲載される。そこでは、如月が先述の誘拐事件の被害者、つまりかつての亮だったことが明らかにされていた。そして、それを見た大日新聞宇都宮支局の支局長である門田次郎が動き出す。事件発生時、新米記者として同事件の取材に当たっていた彼は、30年前の未解決事件に惹かれ、その全貌を明らかにせんと各地を飛び回る。現場から長らく退いていた彼にとって、これが最後の取材となる。自他ともにそう自覚していたはずだ。

 事件をあらかた調べつくした門田が、取材の結果をどのような内容や形で世に出したかは、本の中では明らかにされていない。門田はここまで解明した事件の真実を新聞に書くのだろうか? 書くとすれば貴彦と優美をどのように記述するのか? できることなら『存在のすべてを』という本自体が、事件のあらましをありのままに描いたルポルタージュだったら……などと妄想を巡らせてしまう。

 貴彦は亮に〈うまい絵なんて描こうとしなくてもいい。大事なのは存在〉と言う。だが、度が過ぎた真摯さでもって絵と向かいあう2人を見て、優美は得も言われぬ不安に襲われる。真摯で真面目なのはいいが、それは一歩間違えれば、要領の悪さや鈍感さに反転しかねないのでは、と。実際、排他的で閉鎖的な画壇に取り入ってコネを得るような器用さを、貴彦は持ち合わせていなかった。ゆえに画壇での出世コースを外れ、かつての師に個展の開催を妨害されたりする。

 亮の祖父母や貴彦たちは、子供の将来を真剣に考え、文字通り無償の愛を注ぐ。その様子は感動的と言わざるを得ない。児童虐待に関する相談件数は、2020年には20万件を超えているそうだ。かつて、ネグレクトやDVが当たり前の環境に置かれた亮のように、今この瞬間も苦しんでいる子供は多いはず。かつての亮のような子供たちが、ひとりでも多く救われてほしい。そう願いつつ、筆をおくことにしよう。

文=土佐有明

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