不倫中に見た仏像の中指に着目したエロティックな理由とは? 読むと無性に美術館に行きたくなる原田マハの新作短編集『黒い絵』

文芸・カルチャー

更新日:2023/12/12

黒い絵
黒い絵』(原田マハ/講談社)

 原田マハ氏の小説を読むと、無性に美術館に足を運びたくなる。その作品のほとんどに、ゴッホやセザンヌなど実在した画家が登場したり、アートにまつわるうんちくが語られたりするからだ。だが、6本の短編を集めた『黒い絵』(講談社)は「ついに封印が解かれた、著者初のノワール小説集」というふれこみ通り、ドロドロした人間関係も直截的に描かれている。ノワール小説集とは、犯罪や暗黒街を題材とした小説のひとつの形式で、それに決然と挑んだのがこの短編集というわけだ。

 アートの専門家たちの交友を綴った「楽園の破片」、イタリアの文化遺産修復の現場を舞台にした「キアーラ」などは、過去作との連続性を感じさせるが、それだけでは終わらないのが本書の特徴。女子高校生たちの壮絶ないじめや、あけすけで露骨な性描写、不倫の泥沼にハマった女性たちの懊悩など、人間のダークサイドに焦点が当てられている。芥川龍之介『地獄変』へのオマージュである「オフィーリア」も出色の出来だ。

 むろん、全編がダークとは言わないが、これまでの原田氏の作品が「明」だったとすると、本作は「暗」が主軸となっている。淫靡で妖しく官能的で仄暗い。そんな印象を受ける。アーティストの情念が表出する場面も多く、その清濁併せ呑む作風は、確かに新境地といっていいだろう。特に、「深海魚」でのいじめの描写はえげつなく、嫌悪感を覚える読者もいるかもしれない。本書の最初に同編をもってきたことに、原田氏の覚悟が窺えるというものだ。

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 筆者の目を特に惹いたのは「指」と「向日葵奇譚」だ。前者は、美術の研究をしている女性が、偏愛する仏像の中指に着目した異色作。彼女は一緒に仏像を見た男性と不倫中であり、セックスの時に中指で優しく愛撫してほしいと懇願する。その情熱的で生々しくてエロティックな描写もまた、明暗で言うところの「暗」に属する。しかも、この短編のラストが、まことに奇妙な余韻を残すのだ。

 一方後者は、ゴッホを主人公にした演劇作品にまつわる話である。ゴッホを狂気の天才として描いた脚本家が、自分で書いた初稿に違和感を覚え、彼の人間くささに焦点を当てた作品にリライトする。話が進むにつれ、現実と虚構の境目が無化していくような、夢幻的で茫洋とした様相を呈しているのも独特だ。

 短編の中には、リドル・ストーリーに近い感触の作品もある。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了する類の物語である。あるいは、イヤミスのように、あえて後味の悪い結末を用意することもできただろう。だが、先出の「指」はそのどちらとも違う。官能小説とミステリを止揚したような、斬新で新鮮な作品なのだ。

 美術に精通/通暁し、その該博な知識を活かした作風で知られる原田氏。筆者も、最も愛読したのは、ピカソやルソーの絵を巡るストーリーが秀逸な『楽園のカンヴァス』である。同作は第25回山本周五郎賞を受賞した、折り紙付きの傑作でもある。

 だが、原田氏が描くのは美術だけじゃない、人間そのものなのだ、と本作を通して理解した。その行動や心理や発言を通して核心に迫る、という意味では、描写の対象が変わってもその筆さばきにブレはない。今後、原田氏がこのような作品を書き続けるかは未知だが、本作が、著者にも読者にも未知の可能性を示した、マイルストーンとなるのは間違いないだろう。

文=土佐有明

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