視覚障害を持つ女性と、殺人容疑者の奇妙な同棲生活。映画化もされた乙一のミステリー作品『暗いところで待ち合わせ』

文芸・カルチャー

更新日:2024/1/24

暗いところで待ち合わせ
暗いところで待ち合わせ』(乙一/幻冬舎文庫)

 自分の未来に対する希望が持てなくなった時、静かに諦めてひっそりと己の殻に閉じこもる人がいる。乙一氏によるミステリー小説『暗いところで待ち合わせ(幻冬舎文庫)』(幻冬舎)に登場する主人公・ミチルは、まさにそのような人物だった。私自身、過去に同じ選択をしたことがある。「何かを望む」ことを戒め、極力人と関わらず、ただ日々が過ぎていくのを外側から眺めている。そういう日々は、安寧をもたらすと同時に、言いようもない孤独をも連れてくる。

 ミチルは、信号無視した車に轢かれ、頭を強く打ったショックで視力を失った。父親は娘を心配し、可能な限り寄り添ったが、ほどなく脳卒中で命を落とした。白杖での外出を試みたこともあったが、車のクラクションを盛大に鳴らされたことが、ミチルに大きな恐怖心を植え付けた。以降、ミチルは一人きりの部屋で一日の大半を過ごすようになった。

 そんなミチルの部屋に、ある日侵入者が訪れる。侵入者の名前は、アキヒロ。「殺人罪」の容疑で追われていたアキヒロは、ミチルが視覚障害者であることのほか、もう一つ重要な理由から、彼女の家に忍び込んだ。

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 アキヒロは、職場の人間から受ける悪質なパワハラ行為に悩まされていた。結果、彼の中に芽生えた黒い感情は、思わぬ形でアキヒロを窮地に追い込む。そうして逃げ込んだ先で出会ったのがミチルだった。自分の未来を一切合切諦めてしまったミチル。自分の未来に希望を見出せないアキヒロ。だが、二人の出会いと不器用な交流が、徐々に互いの心持ちを変えていく。

 ミチルはわりと早い段階で、アキヒロの存在に気づいた。だが、大声を出せば危害を加えられるかもしれないと考え、気づかないフリを続けていた。とはいえ、見知らぬ人物が同じ家に潜んでいるかもしれないというのは、何とも言えない気持ち悪さがある。ミチルの中で“恐怖”よりも“怒り”の感情が強くなった時、彼女はアキヒロに対し、罠を仕掛ける。わざと自分の身を危険に晒し、侵入者がどう動くのか確かめたのだ。結果、アキヒロはミチルの命を救う行動に出る。また、その後も予測不可能な出来事が起こった際、アキヒロは躊躇なくミチルを助けた。そのことに気づいたミチルは、思わず「ありがとう」と声を漏らす。ここから、二人の奇妙な同棲生活がはじまる。

 物語は、ミチルとアキヒロの視点が交互に入れ替わる形で進んでいく。二人は互いに孤独を抱えており、自分が意図しない何かに押し流されるように闇の中へと行き着いてしまった。本書において、印象的なシーンがある。ミチルが作った二人分のシチューを、アキヒロが一緒に食べる場面だ。ミチルは、自分の席の向かい側にシチューをよそった皿を置く。しかし、アキヒロに対し「あなたの分です」と声をかけるわけではない。一方、アキヒロの側もミチルに何を確認するでもなく、無言で席につく。互いに言葉を発さず、意図を汲み、同じ食卓を囲む。その様を“奇妙”だと思う人もいるだろうが、私には少しだけわかる気がした。声を発し、意志を明確に示すことで、淡いつながりは時に呆気なく壊れる。それを二人は恐れたのではないかと、そんな気がしてならない。

“はたして自分のいていい場所はどこなのだろうかと、考えたこともあった。しかし必要だったのは場所ではなかった。必要だったのは、自分の存在を許す人間だったのだと思う。”

 ミチルはアキヒロの存在を許し、アキヒロもまた、ミチルの存在を許した。“求め合う”というのとは、少し違う。だが、こんなつながりから生まれる絆もある。絆は人に居場所を与え、未来に対する希望の芽を育ててくれる。

 アキヒロは、本当に人を殺したのか。なぜ、忍び込んだのがミチルの家だったのか。数々の伏線が回収される後半、ミチルとアキヒロは、己の未来に対する新たな一歩を踏み出す。たどたどしくも、覚悟を伴った一歩。その歩みを積み重ねることでしか、人は前に進めないのだと本書を通して感じた。

 踏み出してみようか。まずは、小さな一歩から。そう思わせてくれた物語に背中を押され、一歩を踏み出せた日から、およそ20年が過ぎた。過去の私のような人に、この物語が届けばいい。今すぐは無理でも、いつかきっと歩き出せる。本書を読み終えた時、そう思えたあの日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。

文=碧月はる

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