私にとって自慰は安心感と接続する行為だった――17人の著者が「自身の身体」を語るエッセイ集『私の身体を生きる』

文芸・カルチャー

PR更新日:2024/6/11

私の身体を生きる
私の身体を生きる』(西加奈子村田沙耶香ほか/文藝春秋)

「自分の身体について、説明してみて」

 もしそんな質問を受けたら、あなたは何を思い浮かべるだろうか。妊娠や出産のことだろうか。セックスなど性行為にまつわることだろうか。身体の病気のことだろうか。それとも……。

私の身体を生きる』(西加奈子村田沙耶香ほか/文藝春秋)では、小説家、美術作家、コラムニスト、漫画家、発明家といったさまざまな職業の17人の女性(女性として生きる)著者が、「身体」をテーマにした短編エッセイをアンソロジー形式で書き連ねている。村田沙耶香藤野可織西加奈子能町みね子鳥飼茜といった第一線のクリエイターが参加しており、中には“逃れられない身体性”など人間の身体から着想を得た作品を発表している人もいる。

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 自分の身体というテーマを聞いた場合、私なら「産む、産まない、産めない」という女性の身体を語るうえで欠かせない出産のことを思い浮かべる。実際に作家の藤野可織のエッセイのように、そこに論点を置いたものもある。17人の書き手が選んだトピックスは実に多彩で、本書を通して読者もさまざまな視点から自分の身体を振り返ることになるはずだ。

 例えば小説家の村田沙耶香。彼女は芥川賞を受賞して、現在多くの国で翻訳されているヒット作『コンビニ人間』の著者として有名だ。『コンビニ人間』も主人公の身体がコンビニと同化していくようなシーンがあり、ほかの著作『殺人出産』や『生命式』などは、はたから見るとディストピアとも呼べる世界のなかで、身体がどのような扱いを受けているのかを描写した衝撃作とも呼べるだろう。そんな村田沙耶香は、自分の幼少期に訪れた性の目覚めについて振り返る。

当時の私にとって、自慰は安心感と接続する行為だった。

 この序盤の一文から、村田沙耶香の根底にある「性」は読者をも引きずり込んでいく。「ここまで明かしていいの?」と思いながらも、村田沙耶香の作家性と自慰は切り離せないのだと最後まで読んで納得した。

 一方で漫画家の鳥飼茜は、エッセイで自身の身体と折り合いがつけられない“ままならなさ”を吐露している。「身体は意識と同じくらいに主体的であるべきだ」と感じつつも、現実には受動的でコントロールできず受け入れ難いと感じている自分の身体。性欲の減退を切り口に語られる「心と身体の捩れ」の苦悩は、恐らく意外と多くの人が抱えている問題ではないだろうか。

 そしてもちろん、本書が語るのは出産や性に関することだけではない。最後の章でエッセイを紡ぐのは作家・作詞家の児玉雨子だ。彼女は自らの人生と、悩まされてきた入眠障害について語る。筆者である私も睡眠障害があるので、眠れないことがどのように人生に影響したのかを知っておおいに共感した。「死にたい」と「眠りたい」は同じことだったと語る児玉氏は、これからも一生ついて回る睡眠の問題との緩やかな付き合い方を見出そうとしていて、同じ悩みを持つ人間に一握りの勇気を与えてくれる。

 こうして本書を読み終えた時、私は読者に冒頭の問いを投げかけたくなったのだ。

「自分の身体について、説明してみて」
「『私の身体を生きる』で、どのエッセイが気になった?」

 ここから、読者が自らの身体と向き合う自分だけの物語がスタートするだろう。

文=若林理央

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