2010年05月号 『ナニカアル』桐野夏生

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/5

ナニカアル

ハード : 発売元 : 新潮社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:桐野夏生 価格:1,785円

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今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

『ナニカアル』

桐野夏生

●あらすじ●

昭和17年、大戦中。『放浪記』『北岸部隊』などで知られる奔放な女流作家・林芙美子は、陸軍報道部の嘱託となり日本軍の占領するインドネシア・ジャワへ赴いた。「自分で感じる切実さしか書けない」「戦地を見て自分の切実さを試したい」という強い創作欲と、愛人である新聞記者・斎藤謙太郎と会いやすくなるかもしれないという“身勝手で不純”な理由を胸に、南方に向かった芙美子。病院船に偽装しての命懸けの渡航、記録を残すことを禁じられた日々、船の事務長・酒井との束の間の逢瀬。現地での、張りつく嫌疑と監視、疑心暗鬼、謙太郎との再会と、修羅の夜。そして日本に戻った芙美子は、ある「偽装」を行うことを決意した。時代に翻弄された作家・林芙美子の、熱く濃く秘められた愛と生の時期を大胆な想像力で炙り出した長編小説。

きりの・なつお●1951年、石川県生まれ。93年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞を受賞。98年『OUT』で日本推理作家協会賞、99年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、04年『残虐記』で柴田錬三郎賞、05年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞、08年『東京島』で谷崎潤一郎賞、09年『女神記』で紫式部文学賞を受賞。

『ナニカアル』
新潮社 1785円
写真=首藤幹夫
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編集部寸評

林芙美子を通して戦争の混沌を知る

文学というものの強さを知り、同時に弱さを思い知った。それは長年、茫漠と疑問でもあった太平洋戦争時における文豪たちの戦争との向き合い方が、本書を読んで実感できたことによる。活字表現は大衆にも国家にも大きな影響力を持つが、ゆえに戦争にも利用される。強さが弱さになるということ。しかし作家たちはその渦の中でもしたたかに生き、恋もした。弱さが強さになるということ。翻弄され、価値が目まぐるしく回転することが戦争なのだ。林芙美子は戦中、いくつもの従軍ルポを書いたが、ゆえに戦後、軍に協力したと批判される。そのことと、『放浪記』のような社会の片すみに生きる人々に寄り添う文学を書いてきた彼女のイメージとのギャップがずっと拭えなかった。その溝を、桐野夏生は膨大な資料をもとに解読し、作家の想像力を駆使して埋めてくれたのだ。随所に仕掛けられた謎の設定も見事。生きていたら林芙美子も納得であろう、その力量に脱帽!

横里 隆 本誌編集長。超名作バレエ漫画『アラベスク』の完全版Ⅰ・Ⅱが同時刊行されました。貴重なイラストを使用した特製ポストカード付き!

まったき女・林芙美子の業と愛

ニカアル」――このタイトルの意味を考えながら読んだ。林芙美子の人生を俯瞰したときに桐野さんが抱いたある疑問。それがそのまま題名に結実したのか。性格の悪さから文壇では嫌われていたという林芙美子だが、本書の彼女には好感を持った。戦時下における弾圧の中でも作家としての意地とプライドをかけて、常に第一線であろうとした芙美子。女性という「性」に対しても貪欲なまでに正直である。美しい人ではなかったが、艶っぽい人ではあったのだろう。男たちとの生々しい駆け引きの部分を読んでいると、女の私でも愛おしさがこみ上げてくる。芙美子亡きあと彼女の夫と結婚した姪・房江の手紙で始まり終わる、その構成も秀逸。芙美子の目線で描かれた物語に奥行きが出て、彼女を取り巻く人々の人生も立ち上がってくる。大胆な仮説に貫かれた本作だが、林芙美子を知れば知るほどリアリティを持って迫ってくる。そこに桐野さんの気迫を感じた。

稲子美砂 坂本龍馬特集で種々の龍馬本を読み、改めて気づいた彼の魅力多々。それにしてもすごいモテぶり。龍馬本は草食系男子にお薦めしたい

林芙美子の生き様に共感した

この本を読むまでは、林芙美子という人物は奔放で、自分を切り売りする露悪的な人物だと思っていた。でも『ナニカアル』の芙美子はキュートで、物書きであることに対して男顔負けの高いプライドを持ち、仕事も恋も子どもも家族も全部欲しいと思う“女”であった。バブル世代に育った私は、時代は違えどその生き方に思わず共感した。小説家・島尾敏雄夫婦を描いた『IN』の主題であった小説家が背負う“業”の部分は残しつつ、女性作家の自由な凄みを見せ付けてくれた。さすが桐野夏生!我らの姉さんだ。またこの本の魅力はフィクションとノンフィクションの混ざり合いにある。巻末の参考文献の多さを見れば、どれだけ調べ物をされていたのかが分かる。それを感じさせない手腕は見事だ。まるで自分が軍部の監視の中、女流作家として従軍記者になって湿気の多い南国を旅しているかのようなリアル感。桐野夏生の最高傑作の誕生だと思う。

岸本亜紀 伊藤三巳華のコミックエッセイ『視えるんです!』、谷一生『富士子 島の怪談』ともに2010年幽ブックス新刊、5月発売予定です

読むのが苦しいのに読んでしまう

読んでいて、苦しかった。比喩でなく、息を詰めたり歯を食いしばったりしてしまう。そしてそれでも尚、読み進めたい。ここには林芙美子という凄まじい生き物がいて、怖ろしいのに引き寄せられてしまうのだ。林芙美子の動きは獰猛で、論理を軽々と凌駕している。戦争に賛成でも反対でもない、ただ書くものがあるから行って書く。男に対しても貞操や情をもって向かうのではなく、もっと衝動的に求める。そして周囲に波乱を巻き起こしておいて、素晴らしい物語を生み出す。か細い論理を頼りにして生きているわれわれからすればモンスターであり、“共感”などという生やさしいものはこの小説にはない。あるのは強大なものへの“畏怖”と“憧れ”なのだ。だがそのモンスターにも家があり、そこに寄り添って生きた者がいた。強大とはいえ、神話的存在ではなく生き物。その描写があるからこそ、われわれ読者は彼女の威力を生々しく思い知ることができるのだ。

関口靖彦 高校の同窓会に出席。35歳のおっさんたちは随分くたびれていて、自分も周りから見たらこんななんだな……と消沈。一次会で帰りました


女って欲深い。なかでも作家は最強だ

当時の作家たちがどのように戦争に利用されていたのか、その様子はかなり現実のそれに近かったのではないだろうか。『放浪記』の作家・林芙美子がひとりの女性として、作家として、戦地で過ごした日々の記録。この物語が未発表の小説なのか、現実の手記なのか、どちらであれ、そこで芙美子が感じたであろう感情や欲望が生々しく伝わってきた。わがままで、したたかで、逞しい。なんとも魅力的な女性である。女の激しさ、作家の業を抽出して結晶にしたような芙美子の生涯に感服しきり。

服部美穂 1特の「精神科医・名越康文が読み解く浅野いにお全作品分析」ぜひご覧ください。真藤順丈さんの最新作『バイブルDX』好評発売中!

戦争を生きた女流作家の姿が眼前に

戦時下において作家たちはどのように生きていったのか。今の時代に戦争が起きたら、林芙美子が現代に生きていたら――。本作は史実をもとに描かれた「小説」だが、語り口に引き込まれてゆくうちに、まるで芙美子の言葉を聞いているような錯覚をおこした。作家として本土へ戦況を伝える使命を負い、女性でありながら激戦地へ赴く芙美子。占領地と化した異国の緊張感と、どこか退廃的でエキゾチックな風景。あくまで女として生きた、逞しい女流作家の姿がいきいきと脳裡に浮かびあがる。

似田貝大介 京極夏彦さん『冥談』への感想が続々と届いています。今月23日にはMF文庫『厠の怪』&『怪談実話コンテスト傑作選 黒四』が刊行

女にしかわからない女の強さ

浪記』『浮雲』などで知られる作家・林芙美子の人物像が、この作品を読んで、がらっと変わった。これまで個人的に、スキャンダラスな女文士というイメージが強かったのだが、彼女の激情の人生の裏にみえる、素直で正直で、愛らしい一面に、同じ女性として魅力を感じた。何かがあるはず、と何かを探しながら、ひたむきに人生を生き抜いた林芙美子。どこまでが史実なのかも含めて、「林芙美子」という女性に興味を持った。そして名作の数々をじっくり読み直してみようと思う。

重信裕加 先日、数年ぶりに酒で意識をなくし、財布も失くした。消えてしまった現金○万円で、あれも買えたこれも買えたと、まったく反省の色なし


太く短く、を地で行く女性

とにかく“濃い”の一言。女のある一部分を煮詰めて煮詰めて熱い飴にしたような物語だった。林芙美子の激情は、戦時下のためなのか彼女の資質のためなのかわからないけれど、生命力にあふれ、とても魅力的だと思う。こうガツガツと生に貪欲な人って、今の日本ではなかなかお目にかかれない。彼女の恋愛に共感はできないけれど、うらやましいと思うのは、緑敏さんと彼が丹精こめて育てた庭のある家を彼女が持っていたこと。あんなに奔放に生きておいて帰るところは静謐なんて、ずるい。

鎌野静華 WEBダ・ヴィンチ連載陣・カンニング竹山さんのDVD『カンニング竹山単独ライブ 放送禁止Vol・2』、相当おススメです!

“ナニカ”の正体をつかむよりも

どこまでも傲慢な芙美子が自分のちっぽけさを突きつけられ、それでも失わなかった気高さはとほうもなく美しく、決していいひとではない彼女をいとおしくおもえたのはその瞬間があったからだろう。ほんとうのところがどうかなんて、外側からはわからない。だけど内側に立ってさえわからなくなるのがほんとうで、けっきょくはなにを信じたいかだけ。ナニカアルという予感はひとを惑わせ疑心に落とすけれど、美しさを見出すことだってできるから、芙美子の物語はどこまでも魅力を増していく。

野口桃子 大正更紗、トルコ石に翡翠の帯留め、バンジェルのダイヤ。作中の小物の数々にうっとりしました。絵馬ちゃんの気持ちがよくわかる


圧倒的な密度の、女の業のその上に

帯の通り「女は本当に罪深い」。作家の創作欲と並行してある濃い恋情。酒井との交情を「それがあれば謙太郎との辛い恋も堪えられる」とする一見矛盾する感覚も痛切に響く。そして、それら自分の不純さも、偽装をおこなう行く末も、芙美子は真っ直ぐ見つめ、悟りも孕んだ眼で回想し客観視する。そして更にその物語を姪の手紙が挟む。房江が確固たる誇りをもち家族を語ること、痛々しくもあり、泣けた。二重の外からの視点を見事創りあげ、なお烈しさを失わない物語を紡いだ著者の凄みを感じた。

岩橋真実 23日発売文庫『山の霊異記赤いヤッケの男』に『岳』の石塚真一さんが帯文を寄せてくださいました!山の妙味がつまった怪談実話集、ぜひ

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