前代未聞の将棋ミステリー! プロ棋士の夢を捨てきれなかった男の末路を芥川賞作家が描く

文芸・カルチャー

更新日:2020/10/23

死神の棋譜
『死神の棋譜』(奥泉光/新潮社)

 近年、将棋界が盛り上がっている。驚異的な強さの藤井聡太二冠の戦いをニュースで目にするたび、奥深い将棋の世界が気になっている人も多いのではないだろうか。そんな方に、ぜひ読んでみてほしいのが、『死神の棋譜』(奥泉光/新潮社)。本作は芥川賞作家がおくる、まったく新しい将棋ミステリーだ。

「魔の図式」が不可解な謎を呼んで…

 3段リーグを抜けられずプロ棋士への道を絶たれ将棋ライターとなった北沢克弘は、名人戦1日目の夜、将棋会館で数人の棋士と奨励会員らが詰将棋の図面を睨んでいるのを目にした。詰将棋とは、将棋のルールを用いた一種のパズル。与えられた譜面に基づき、一定の持ち駒を使うなどして、王手をかけて詰めるというもの。

 その図式は、どことなく不思議な印象。詰むことができないのに、「不詰め」と片づけられない何かがあった。これを持ち込んだのは、北沢と同期の元奨励会員だった夏尾。来る途中に見かけた弓矢に付いていたのだという。この「魔の図式」が、後に数々の謎を呼ぶ――。

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 実はこの図式、同じくプロ棋士になれなかった先輩ライターの天谷敬太郎が過去に目にしたものとレイアウトが似ていた。天谷によれば、この図式には北海道に拠点を持っていた「棋道会」が深く関係しており、魅入られた人間はみな、将棋界から去っていったのだという。天谷の弟弟子も図式を発見して以来おかしくなり、失踪してしまったと話した。

 そんな話を北沢は半信半疑で聞いていたが、図式を発見した夏尾が失踪したことにより本当なのかもしれないと思うように。とある女流棋士と協力して夏尾を探すこととなった。手掛かりは棋道会の拠点だった姥谷にあると考え、2人は北海道へ。ここから一気に世界観が変わるのが、本作のおもしろいところだ。

 現地で廃坑道に入った北沢が見たのは、なんと地下神殿に設えられた巨大な将棋盤。盤上には、自分がプロ棋士への夢を絶たれたあの1局が…。悔いても悔やみきれないあの日の勝負に今度こそ勝つため、北沢は死の恐怖に晒されながら将棋を指す。

 鎌を持った死神に怯えたり、自分自身が駒になったりと、異世界に迷い込んだかのようなこの戦いは迫力満点。勝負の行方はもちろん、北沢の命がどうなるのかも気になってしまう。

 そしてその後、物語は二転三転。新事実が判明するたびに新たな謎が浮上する。特に、夏尾の死が明らかになってからラストに向かうまでの疾走感がたまらない。読後には、夢を持つことの尊さや怖さを考えさせられるだろう。

 純粋に楽しい。もっと極めてみたい。そんな無邪気な気持ちから、夢は生まれることが多いものだ。でも、夢を持った瞬間に、私たちの背後には死神が立つのかもしれない。

 夢を追う中で失敗したり、自分には才能がないのだと気づかされたりすると、人は恐怖を抱く。それを表しているのが、北沢が運命の対局の場で死神に怯える描写なのだと思う。「夢を持つ」ということは、自分の人生や命を懸けるということでもあるのかもしれない。

 そんな風に「夢の扱い方」の難しさを考えさせられる本作は、熱くなれなくなった大人にこそ響く1冊だ。

文=古川諭香