ヒャダイン新連載!【第1回】自分が間抜けなので、ビートたけし『間抜けの構造』を読んでみた。

更新日:2013/8/9

用意してくれた「間」を味わって、自分でその意味をじっくり考えるということが大切

 このまま指南書で終わるのかな、と思ってたら、違いました。本編はここからでした。映画の「間」の章。本当にたけしさんは映画が大好きなんだな、ということを再確認させられる濃い内容でした。映画は「間」の芸術、と断言し、「間」の作り方への思いやこだわりが細かく書かれています。映画制作において大きな「間」が、時間的な「間」と空間的な「間」。たけしさんは撮影よりも編集がお好きらしく、「早く編集したい」と撮影中も思っているとか。その編集作業で行われるのが「間」の調整で、何コマ詰める、とか何秒短くするとか、ものすごく繊細なこだわりで発注して映画を作り上げていくとのことです。たけしさんにくらべたらダニくらいの大きさですが、自分もクリエイターのはしくれ。このこだわりはものすごく共感しました。楽器の音を四分音符伸ばすか伸ばさないかでサウンドが大きく変わります。休符の使い方も大切だなあ、とも感じます。って、ドンガラガッシャンイケイケドンドンなサウンドが名刺になっている自分が言っても説得力ないですが・・・。

 さて、たけしさんは映画における空間の「間」へのこだわりも書いています。この空間の「間」に監督の個性が出るということらしいです。ご自身いわくたけしさんは平気で「間」を作るタイプ。ストーリーの説明が十分になされていない状態でもお構いなし。なぜなら観た人に色々と考えてもらいたいから、とのこと。なるほど。確かに最近説明過多のメディアが多いなと思います。かくいう自分もこないだ金曜ロードショーで「ハウルの動く城」を観たんですが、3回目にも関わらずやっぱり理解が難しくて、まだ自分には早いのかなあ、なんて考えたり、説明サイトをググってアレはコレでそういう意味だったんだ、ということを他人の知識を借りて納得したりしたんですよね。これ、いけないことですね。宮崎駿監督が用意してくれた「間」を味わって、自分でその意味をじっくり考えるということが大切なんですよね。反省。即物的すぎる、俺。たけしさんもそれを「間」を埋めようとする病、とバッサリ。特に最近色んなメディアがその病にかかっていると危惧されています。確かに行間の美学みたいなものが風前の灯火になっている感はありますね。うん。俺に言われたくない。その通り!「間」が美しいものであることをガツン!と教えてもらいました。曲作りに反映させます。はい。

advertisement