萩本欽一の愛読書は「教育の本」。欽ちゃんが思わず脱帽した子どものお茶目な発想とは?【私の愛読書】

文芸・カルチャー

更新日:2023/7/27

萩本欽一さん

 さまざまな分野で活躍する著名人にお気に入りの本を紹介してもらうインタビュー連載「私の愛読書」。今回、ご登場いただいたのは『ありがとうだよ スミちゃん 欽ちゃんの愛妻物語』(萩本欽一/文藝春秋)を上梓したばかりの萩本欽一さん。普段はあまり本を読まないという萩本さんが選んだのは、子どもの言動をいきいきと捉えた一冊だった。

取材・文=野本由起 撮影=川口宗道

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子どもには、大人では気づかない発想がある

──今回、愛読書として吉岡たすくさんの『小さいサムライたち』(PHP研究所)を挙げていただきました。この本との出会いについて教えてください。

萩本欽一さん(以下、萩本):ぼくは、活字を読むとしたらほとんどが短いエッセイ。この本は、確かぼくの弟子が持ってきてくれたんだったかな。「大将向きのエッセイがあります」と教えてくれたのがこれだった。それから、たすくさんの本は読むようになったね。この本はシリーズ第2弾、第3弾とあるんだけど、それも読んだ。

 ただ、本を読むっていうのは、いろんないい話、いい展開を知ってしまうってことでしょう? いいものを知ると、人間ってパクるものなの。だから、テレビに出始めた頃から映画や舞台は観なくなったね。よく「いろいろなものを観て勉強しろ」って言うけど、有名になったってことは勉強も終わりってこと。よそからパクっちゃいけないから、本もあんまり読んでないね。

小さいサムライたち
『小さいサムライたち』(吉岡たすく/PHP研究所)

──『小さいサムライたち』は、お子さんの教育に関する本だそうですね。

萩本:そう。たすくさんは小学校の先生だったからね。子どもはやっぱり発想が違うよね。大人では気がつかないことがいっぱいある。「○○ちゃん、君のお洋服、ボタンがひとつずれてるんじゃないかい?」と言ったら、「先生、心配ないよ。2時間目は体育の時間だからそこで服を脱ぐ。その時、直すから」なんてね。大人には出てこない発想でしょう。会社で「お前、ボタンがひとつずれてるぞ」と言われて、「大丈夫です。家に帰ったら脱ぐのでその時に直します」なんて大人はいないもの。子どもに気づかされたなと思って。

 一番好きだったのは、「○○君、朝からずっとポッケに手を入れたままだね。体育の時間だから手を出したほうがいいんじゃないかい?」と言われた子どもが、「先生、悪いけど今日は出せないんだ」って。「そうなの? でも体育だよ」「うん、出せないんだ」「なぜなんだい?」「今日はね、久しぶりにパパと学校に来る時、手をつないだんだ」って。そういうのを読むと、勝手に「あ、お父さんは船乗りだったのかな」なんて想像しちゃうじゃない。本には書いてないけど、お父さんが「おい、学校に行くのか」って子どもと手をつないで一緒に校門まで歩いて、「じゃあな」ってまた船に乗って行ったのかなと思って。ほろっとしちゃうよね。このドラマがたまんない。やっぱり子どもや普通の人の何気ない言葉がいいんだよね。そう思ってから、テレビにも素人に出てもらうようになった。

誕生日もクリスマスもやらない。萩本家の変わった教育法

萩本欽一さん

──萩本さんは、テレビ番組の中でお子さんと話す機会も多かったですよね。

萩本:そう。ぼくが初めて司会をした『スター誕生!』(1971年から放送開始。萩本さんは80年まで司会を担当)も、子どもにインタビューすると本当にウケまくったね。でも、ぼくは子どものインタビューをするのが好きじゃなかったの。大人として会話をしたほうが、子どもの性格が出るんだよ。

──あえて子ども扱いしないということでしょうか。

萩本:大人と同等に扱うからね。だから、ちっちゃい子どもと付き合うのがうまくないんだよ。

 子どもにインタビューする時、よく訊いていた言葉があってね。「君の暮らし、どう?」っていうの。今の子は「わかんねぇ」「知らねぇ」って答えるけどさ、昔の子は「まぁまぁね」って言うんだよ(笑)。たまんないよね。小学3年生くらいの子が「君の暮らし、どう?」「まぁまぁね」。「まぁまぁ」ってことは、何かしら基準があるわけでしょう? 感動させるよなぁ。何もおかしいことを言ってないのに、なんでこんなにおかしくて、何かを感じさせるんだろう。逆に、コメディアンってなんてあざといんだろうと思うよね。ぼくが「まぁまぁね」って言ったってウケないよ。3年生っていいなぁ(笑)。

──思いがけないことを言いますよね。

萩本:ある時は、かわいい子がいたから「坊や、欽ちゃんと旅行しようか」って言ったの。そうしたら「ヤダよ」と言うんだよ。「じゃあ、お母さんも一緒に行く?」と聞いたら、それでも「行かない」。「じゃあ、お父さんも一緒に行こう」と言っても「行かない」。「妹がふたりいるのか。じゃあ、君と妹とお母さんとお父さんとぼく、それで旅行に行こうよ」と言ったら「そんなに乗れねぇよぉ」だって。「なんでこんなに冷静なんだろう」と思ったね。思わず「そうだなぁ、乗れないなぁ。じゃあ、旅行は中止しような」と言っちゃった。

 確かその子も小学校3年生くらいだったかな。「そんな人数じゃ車には乗れない」って、どうしてわかるんだろう。きっとしょっちゅう乗ってるんだろうね。その子が「ぼくも行く」と言うたびに、お母さんに「そんなに乗れないわよ!」って言われていたのかもしれない。そうやって自分も失敗したんだろうね。

『小さいサムライたち』を読んでから子どもにインタビューすると、こんな笑いが生まれるんだよ。コント55号みたいに笑いを作るのもそれはそれであるけど、やっぱり40歳、50歳になったらこの笑いを目指したいよね。ただ、そっちの笑いには完成形がないから、壁にもぶち当たるんだけどね。

萩本欽一さん

──萩本さんはお孫さんもいらっしゃいます。どのように接していますか?

萩本:子どもをあやすのが好きじゃないの。あんな嘘っぽいの、よくできるなと思って。息子の嫁さんが、「さあ、欽ちゃんだよ」って孫をぼくのほうに近づけようとするから、タバコをくわえてプーッとやったらすっ飛んで逃げてった。もう近寄ってこないね。ぼくは「ほら、おじいちゃんだよぉ」なんて、小さな子に言うのは嫌。全部逆をやりたくなるね。危険物だって教えておかなきゃ。

 うちの子どもたちに対してもそうだったな。うちは、子どもの頃からみんなと違う教育をしてきたからね。みんなと同じような誕生日もやったことがない。子どもたちには「我が家には誕生日もクリスマスも父の日も母の日もない」と言ってね。代わりに「今日は誕生日だ!」と本人が叫ぶと、家族全員で「へぇー」と感心する。面白いでしょう?

 ただ、何年かしたらスミちゃん(萩本さんの妻)から「あの儀式、もうやめたほうがいいよ」と言われちゃった。「なんで?」と聞いたら、「萩本家には誕生日がないというんで、かわいそうに思った友達がパーティを開いてくれているんだ」って。世間ってのは「あそこは変わった家ね」で済ませてくれないんだね。子どもたちもそれに甘んじているというから、不届きなヤツらだなと思った(笑)。

 他にも、うちの子どもが小さい頃に「自転車買って」と言うから、「大きくなったらね」って返したこともあった。そうしたら、机の上に乗って「大きいだろう?」って。そういう言葉が出ると「これはモノになりそうだな。よし、買ってやる」ってね。そういう教育をしてきたんだ。

──著書にもありましたが、やはり言葉を大切にされているんですね。

萩本:最近も好きな言葉を見つけたんだ。角野栄子さんという方が「私は旅が好きだ。どこか遠くに行きたくなる」と言ってね。それで「この間も公園で大木に手を合わせて、『あんた、たまにはどこか遠くに行きたいと思わないの?』」って。発想が若いよね。300年くらいじっとしている木に「遠くに行きたいと思わないの?」だなんて、ギャグとしてもいいじゃない。ぼくは、この笑いには気づかなかった。こういういい言葉に出合ったら、忘れないように他の人に時々話してるんだ。やっぱり、言葉ってのは面白いもんだよね。

<第26回に続く>

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