火事から一週間。疲労困憊で帰路に就くも、朝からほとんど何も口にしていないことを思い出す/キッチン常夜灯③

文芸・カルチャー

公開日:2023/10/6

キッチン常夜灯』(長月天音/KADOKAWA)第3回【全6回】

チェーン系レストラン「ファミリーグリル・シリウス」の浅草にある店舗で店長を務める南雲みもざは、ある冬の日、住んでいるマンションで火事に遭い、部屋が水浸しになる。住んでいるところに困っていると会社の倉庫の一室を借りられることになるが、勝手の違う生活に疲労はさらに溜まっていく。そんな時、みもざが訪れたのは路地裏で夜から朝にかけて営業するレストラン「キッチン常夜灯」だった。寡黙なシェフが作るのは疲れた心を癒してくれる特別な料理の数々で――。『キッチン常夜灯』は、美味しい料理とともに、明日への活力をくれる心温まる物語です。

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キッチン常夜灯
『キッチン常夜灯』(長月天音/KADOKAWA)

 火事から一週間が経った。

 これまでとは勝手の違う生活に、疲労もいよいよピークに達していた。

「ファミリーグリル・シリウス」はお手頃価格の洋食店である。メインターゲットはファミリー層だが、低価格帯のため、どこの店舗も午後になると学生やお年寄りの恰好のたまり場にもなっている。けれど、席が埋まっているというだけで、一日中忙しいということはめったにない。

 と、思っていたが、私が店長を務める「浅草雷門通り店」はまったく違う。場所柄外国からの観光客が多く、開店するとずっと満席が続く。何も日本まで来てハンバーグなど食べなくてもと思うのだが、どうやら仲見世あたりで和スイーツを堪能した後には、ハイカロリーな洋食が食べたくなるらしい。

 多い時で客の七割を外国人が占めるというのに、一人も語学堪能なスタッフがいないというのも悩みの種だ。もっとも店内には様々な言語が飛び交っていて、英語さえ堪能なら何とかなるというものではない。

「店長、見ました? 八卓のお客さん。レスラーみたいに腕がごついですよね」

「大村さんだったら持ち上げられちゃうかもね」

 人懐っこい学生バイトの大村さんに応じながら、私はそっとため息をつく。

 もしも何かあった時に、女店長の私にいったい何ができるというのだろう。力でかなうわけもないのに、毅然とした態度など取れるはずがない。この不安は私が店長に任じられた二年前からずっと続いている。

 店長は店の責任者。何か起これば前面に出て対応しなくてはならない。

 レジのトラブルや、こちらに非があるクレームの処理なら、さすがに入社十二年目となればそれなりに対応できる自信がある。

 けれど、明らかにいちゃもんとわかるようなクレームや、お客さん同士のトラブル、犯罪がらみの面倒ごとに対応できる自信など皆無だ。

 日々、少ないスタッフのやりくりに頭を悩ませながら、そんなトラブルが起きないように祈って過ごしているのが私である。

 これでは、大村さんのように大学生活を謳歌するアルバイトに「店長、いつも疲れているね〜」などと言われるのも無理はない。そもそもタメ口をきかれるのも、私に店長としての威厳がまったくないからに違いない。

 こうして毎晩、レジを締める頃には心身ともに消耗している。

 ラストオーダーは十時、閉店は十時半だが、どんなに急いで片づけても、店を出るのは十一時を過ぎてしまう。

 その夜、水道橋駅に帰りつくと、遅い時間にもかかわらず駅の周辺は賑わっていた。

 東京ドームでコンサートでもあったらしい。この街はイベントがあるたびに興奮冷めやらぬ人が溢れ、疲労困憊の私にはその熱気が少し煩わしい。

 空腹だったものの、その熱気から早く遠ざかりたくて、わき目も振らずに外堀通りを渡った。今夜も風が強く、ふっと火事の夜の記憶が頭をかすめる。あれ以来、どこかでサイレンの音が聞こえるだけで身構えるようになった。

 目の前の東京ドームホテルや遊園地のアトラクションの明かりが、この時間でも街を暗闇にすることなく、夜空に浮かんでいるのが心強い。しかし、明るいのは駅の周辺だけで、白山通りを渡ってビルの間に入ったとたん、コンビニの一軒もなくひっそりと静まり返ってしまう。

 お腹が減った。

 考えてみれば、朝からほとんど何も口にしていない。

 朝食を食べないのはいつものことだが、今日はバイトが二人も風邪で欠勤してしまい、休憩どころではなかったのだ。

 賄いは食べそびれ、口に入れたものと言えば、大村さんが買ってきてくれたエナジードリンクのみ。我ながら燃費のいい体だ。

 毎晩仕事を終えたとたん、麻痺していた空腹感に襲われる。すぐにでもどこかの店で食事をしたいが、何せその時間はどこもラストオーダーを過ぎている。空腹とはいえ、居酒屋は少し違う気がして、私は時に終電を気にしながら家に帰るしかない。これはきっと飲食業界で働く者の永遠の悩みに違いない。

 私は今夜も空腹にふらつく足をやっとの思いで前へ進めていた。

 ふと思う。「店長」という役職はまるで鎧だ。

 勝手にずっしりと重い責任を押しつけられ、常に前線に立たされる。けれど鎧を着ているから大丈夫というわけではない。店長だからこそ向けられる言葉の刃に傷つき、スタッフとの意識の差が矢のように胸に突き刺さる。店を出て鎧を脱ぎ棄てれば、私の体は満身創痍だ。

 ようやく倉庫にたどり着くと、金田さんに渡されている鍵でひっそりとビルに入った。

 金田さんは私が帰宅した時にはたいてい眠っている。早朝から店舗の設備点検に出かけることも少なくなく、毎晩十時には布団に入るのが習慣だそうだ。

 とりあえず何かをお腹に入れようと、金田さんの台所に直行した。

 あるものは自由に使っていいと言われているけれど、職場が飲食店のせいか、家でまで料理をしたいとは思えない。これまではコンビニを冷蔵庫がわりに使い、休みの日の外食が唯一の楽しみという生活だった。

 金田さんは几帳面な性格で、台所はいつもきれいに片づいている。毎日自炊をしているそうだが、買い置きの習慣がないらしく、余分な食材やインスタント食品はほとんどない。

 やはりコンビニに寄ってくるのだったと後悔しながら、唯一見つけた魚肉ソーセージのフィルムをむいた。

「あれれ、みもざちゃん。おかえり」

 突然、声をかけられて振り返ると金田さんが立っていた。

「すみません、起こしてしまいましたか」

「いやいや、明日は休みだから本を読んでいたら、すっかり夢中になってしまってね」

 本社勤務の金田さんは、急なことがない限り週末が休日だ。一方の私は、週末は平日よりもずっと忙しい稼ぎ時である。

「ごめんね。冷蔵庫、空っぽだったでしょ。今夜は総務の涌井さんと一杯やってきちゃったんだ。明日、買い出ししてくるよ。夜中でも簡単に食べられそうなもの」

 金田さんが心からすまなそうな顔をするので、私は慌てて両手を振った。

「あっ、自分で買いますから、お気遣いなく」

「みもざちゃんは料理しないの?」

「毎晩遅いですから。休みの日は気分転換に外に出たいですし」

「この仕事だとそうなっちゃうよね。寮の頃もみんなコンビニ弁当ばっかりだったもんなぁ。ゴミが溜まる溜まる」

 金田さんは眉を下げて笑った。学生寮とは違い食事の世話はなく、寮夫の仕事は掃除やゴミの回収が中心だったようだ。

「このあたりって賑やかかと思ったら、意外とお店が少ないですよね。コンビニも駅を逃すとほとんどないし」

 金田さんはう〜んと唸った。

「そうなんだよね。大通り沿いのお店も意外と早く閉店しちゃうし。ああ、でもね、前にすぐ近くで美味しい料理を食べたんだよ。真夜中だけど、そこだけやっていたんだ。ええと、なんていう名前だったかな」

「すぐ近くですか?」

「うん、一本横の細い通り。三年くらい前かな。横浜店で水漏れがあって、閉店間際に呼び出されたんだよ。色々と手配して、帰ってきたのがもう真夜中。お腹が空いちゃってさ、通りを一本間違えたんだよね」

 金田さんは笑いながら頭をかいた。

「そしたら、ぼんやり明かりが点いた店があったの。嬉しくなって、誘われるように入ったんだよ。あの時のコキールグラタン、美味かったなぁ」

「コキールグラタン?」

「そう。ちゃんとした洋食屋だったんだ。帆立の殻に入ったグラタンだよ。まさか夜中にそんな料理食べられると思わないじゃない。グラタン、カミさんの得意料理だったんだよねぇ。何だかあの夜は夢を見ているような感じだったなぁ」

 本当に夢を見たのではないかと思った。でも、実際にそんなお店があるのならぜひ行ってみたい。真夜中に本格的な洋食を食べさせてほしい。

「今もやっているのかな。あれ以来、行っていないから」

 教えられた場所はここよりも一本外堀通りに近い路地で、横道を抜ければすぐの近さだった。

「さっそく明日、探してみます」

「うん。あるといいね」

 金田さんは戸棚の奥をあさると、「僕の非常食」と言って、甘納豆を一袋くれた。

「ありがとうございます」

「おやすみ、みもざちゃん」

 甘納豆なんて何年ぶりだろう。子供の頃、おばあちゃんがよく食べていたのを思い出す。何だか金田さんとの暮らしは温かい。

 私は甘納豆で空腹を紛らわせ、シャワーを浴びてベッドにもぐり込んだ。

 真冬のシャワーでは体は温まらず、布団の中でぎゅっと体を縮めて丸くなった。

 倉庫に来てからはシャワーばかりで、一度もバスソルトを使っていない。前よりも通勤に時間がかかり、その分早く寝なくてはと気持ちが焦って、とてもお風呂になど浸かる気にならないのだ。

 冷えた体はさらに意識を冴えさせる。遠くのほうで聞こえたサイレンに怯えながら、私はじっと息を殺して朝が来るのを待ち続けた。少しでも眠れることを願いながら。

 

 翌日の土曜日は快晴で、当たり前のように朝から忙しかった。

 予想はしていたが、昨日休んだバイトは二人とも来なかった。それはそうだ。病み上がりの体で、平日の倍以上忙しい週末の職場になど誰が飛び込むものか。

「ファミリーグリル・シリウス」の人気メニューはハンバーグとドリアである。

 チェーン店に違いはないが、大手企業が手掛けるファミレスチェーンとは違い、メニューには洋食しかない。それゆえ本格的な味を謳っているが、船橋にあるセントラルキッチンで仕込まれた料理を各店で仕上げて提供しているだけである。

 その仕上げも主にバイトがやっているのだから、セントラルキッチンで作られる料理がいかに優秀かわかる。

 定番のメニューしかない割にいつも賑わっているのは、当たり前の洋食ほど人気があるということだろう。それに世界共通だ。観光客で賑わう店で働いていると、ますますそれを実感する。

 その日の私は八面六臂の働きをした。ホールを走り回り、料理が出てこないと言われてキッチンのヘルプに入る。そうかと思えば、レジを打ち間違えたと呼ばれてお客さんに謝った。今日も賄いなど食べる暇はない。バイトの休憩を優先しなければ、彼らは不満を募らせて辞めてしまうし、本社からもきついお𠮟りを受けることとなる。

 激甘の缶コーヒーとエナジードリンクで何とか一日を乗り越え、午後十一時半、ようやく電車に乗り込んだ。

 土日出勤のいいところは、平日よりも電車が空いていることくらいだ。何か物足りないのは、倉庫に移り住んで以来、隅田川を越えることがなくなったせいだろう。毎晩、ガタゴトと鉄橋を渡るたびに、一日の終わりを実感してホッとしていた。

 けれど、今は東京ドームホテルの明かりがある。夜空に浮かぶ遊園地のシルエットがある。それらが近づいてくると、私は一日の終わりに安堵するのだ。

 さて、金田さんが教えてくれたお店に行ってみるか。

 不思議と疲れた体の底から、好奇心が湧きおこってくる。

 今夜もイベント後の若者たちで駅前は賑わっていたが、私は昨日よりもずっと堂々と彼らの間を通り抜けた。

 私はやっぱり飲食店が好きなのだ。子供の頃はあれほど嫌っていたというのに。

<第4回に続く>

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