ヒトの脳が巨大化し発達したのは、火のおかげ?/AIは敵か?【最終回】

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公開日:2024/2/14

『AIは敵か?』(Rootport)最終回

AIに仕事を奪われる! 漠然と抱いていた思いは、「ChatGPT」のデビューによって、より現実的な危機感を募らせた人も多いのではないでしょうか。たとえば、バージョンアップしたGPT-4のアドバイスを受ければ、プログラミング経験のないユーザーでも簡単なアプリを作れるほど高い精度を誇ります。では、⽣成AIが登場し、実際に人々の生活はどうなるのか。本連載『AIは敵か?』は、マンガ原作者でありながら、画像生成AIを使って描いた初のコミック『サイバーパンク桃太郎』(新潮社)を上梓したRootport(ルートポート)氏が、火や印刷技術といった文字通り人間の生活を変えた文明史をたどりながら、人とAIの展望と向き合い方を探ります。


AIは敵か?

ホモ・ハビリスが火を生み出したか

 前回に引き続き、ヒトが火の通った肉をどのようにして食してきたかについて紹介します。

 霊⻑類学者・⼈類学者のリチャード・ランガムは⼤胆な仮説を提唱しています。⼈類が⽕の利⽤を開始したのは、アウストラロピテクスからホモ・エレクトスに⾄る過程のどこかの時点――ホモ・ハビリスの頃だったというのです。発⾒されている最古の囲炉裏が約79万年前のものであるにもかかわらず、⼈類は約200万年前から⽕を使っていたはずだとランガムは主張しています。

 思い出していただきたいのですが、アウストラロピテクスと私たちは肋⾻の形が違います。アウストラロピテクスは内臓が⼤きく、逆さにしたプリンカップのように裾の広がった胸郭を持っていました。⼀⽅、私たちの胸郭はホモ・エレクトスの時代から樽型です。これは、ホモ・エレクトスの時代にはすでに胃腸がコンパクトになっていたことを⽰しています。さらに、アウストラロピテクスは頑丈な顎と⼤きな⾅⻭を持っていました。⼀⽅、ホモ・エレクトスではこれが⼤幅に⼩型化しています。これは加熱調理した柔らかい⾷事を摂るようになったからではないかと、ランガムは指摘しています。

火は、ホモ・ハビリスのQOLを上げたのか

 作業仮説はこうです。

 アウストラロピテクスから少し進化して、道具の⼆次制作ができるようになった私たちの祖先――ホモ・ハビリスは、⽇常的に⽯で⽯を叩いていました。偶然にも⽕打⽯を叩いてしまうこともあったでしょう。⾶び散った⽕花が、枯れ葉や動物の抜け⽑に燃え移ることもあったでしょう。最初こそ、彼らも他の獣と同様に⽕を恐れたはずです。しかし、やがて(現在のオーストラリアのトビのように)⽕に近づきすぎなければ安全だ、燃えさしであれば持ち運んでも安全だと気づき、学習する個体が現れたかもしれません。

 ⽕を恐れなくなると、それだけで⽣存競争で⼤幅に有利になることが予想できます。

 ⽕のそばに放置しておけば、芋や球根はホクホクに焼けたことでしょう。野⽣のチンパンジーは⼀⽇の⼤半を咀嚼に費やしますが、柔らかな焼き芋を⾷べれば無駄な時間を節約できます。さらなる餌の探索や、異性への求愛、縄張りのパトロールなどに時間を使えるようになります。

 猿⼈たちは、⽕があれば冷え込む夜にも体温を維持できると気づいたでしょう。焚⽕のそばでは、⾁⾷獣を遠ざけることも容易になったでしょう。もはや毎晩樹上の寝床に登る必要はなく、地上で横になれるようになったかもしれません。⽊がない場所でも夜を越せるようになったとすれば、それはサバンナ全域に⾏動範囲が広がることを意味します。種⽕さえ持ち運べば、どこでも野営できるようになるからです。

人の脳が巨大化した理由

 こうして「⽕の利⽤」を覚えた個体・集団は⽣存競争で有利になり、やがて調理した⾷物に適応したホモ・エレクトスへと進化した――。これがランガムの仮説です。

 この仮説の弱点は、考古学的な証拠が⼀切ないことです。正しい仮説だと頭から信じるわけにはいきません。その⼀⽅で、ホモ・エレクトスの登場時期と解剖学的特徴という状況証拠は揃っています。荒唐無稽な妄想にすぎないと⼀笑に付すこともできない説得⼒があると、私は感じます。

 ⽕の利⽤が⼈類の進化にもたらした恩恵は「脳の巨⼤化を可能」にしたことでした。
⽕の利⽤には⾼い知能が必要なので脳が⼤きく進化した、というわけではありません。繰り返しになりますが(⽕の管理は難しくても)⽕を利⽤するだけなら、さほど⾼い知能は必要ないからです。問題は栄養学――消費カロリーと脳の燃費にあります。
脳は、極めて燃費の悪い臓器です。

 体重のわずか2%しかない私たちの脳は、⼀⽇に消費するエネルギーの約20%を⾷います。さらに筋⾁や消化器官とは違い、脳をあまり使っていないときでも消費エネルギーがほとんど変わりません。眠っているときですら、ずっとカロリーを要求し続けるのです。
私たち⼈類は、霊⻑類でもっとも体脂肪率の⾼い動物です。これは脳の燃費の悪さによるものかもしれません。⾷糧不⾜で⾝動きが取れないときでも、脳にはエネルギーが必要です。ただ横になって眠っているだけでもカロリーを消費するのです。私たちの⾁体は、飢饉に備えて、飽⾷のときには可能な限りカロリーを蓄えるよう進化したのかもしれません。

 要するに脳は、偶然や奇跡で巨⼤化するような器官ではないのです。

 ある動物の脳が⼤きく進化していたら、そこには何かしらの理由があるはずなのです。
ヒトの脳が巨⼤化した要因として、現在もっとも有⼒視されているのは「マキャベリ知性仮説」です。ひとことで⾔えば、賢くなるほど群れの中の「政治」で有利になるから脳が⼤きくなったという仮説です。

 たとえばあなたがサルだとして、1匹の友達と⼀緒に暮らしていたとします。覚えておくべき⼈間関係(サル関係)は1ペアだけ。その友達と仲がいいかどうか、過去に恩や仇があるかどうかだけです。ところが、群れのサイズが⼤きくなると、覚えておくべき関係は指数関数的に増えていきます。3匹の群れなら3ペア。4匹の群れなら6ペア。5匹の群れなら10ペアです。さらに「この3匹は仲がいい」のような組み合わせを覚える必要もあるでしょう。群れのサイズが⼤きくなるほど、把握すべき関係性は複雑化し、⾼い知能が必要になります。

 このことを証明するかのように、私たちが学校の教室やランチタイムのカフェで交わす会話の⼤半は「知り合いの誰か」の噂話です。電⾞の中吊り広告を⾒れば、週刊誌には著名⼈のスキャンダルが満載です。

 さらに、賢くなるほど噓をついて仲間を騙し、利益をせしめることも容易になります。ここには⼀種の軍拡競争が存在します。嘘で利益を得るやつが集団内に増えるほど、その嘘を⾒抜く能⼒に⻑けた個体が有利になります。嘘をつく能⼒とそれを⾒抜く能⼒の間で「正のフィードバック・ループ」が成⽴し、嘘をつくこともそれを⾒抜くことも世代を経るごとにどんどん得意になっていくはずなのです。

 マキャベリ知性仮説に基づけば、⼤型霊⻑類にとって「⼤きな脳を持つこと」の利益は計り知れません。もしもカロリーを極端に浪費するという⽋点さえなければ、ゴリラやチンパンジー、オランウータンなどのすべての霊⻑類が⼈類並みに脳を肥⼤化させていてもおかしくないのです。

火の最大の恩恵は、カロリーの摂取効率アップ

 ⽕の利⽤は、この消費カロリーの⾜枷を取り払った――と、ランガムは主張しています。

 加熱調理したエサは、⽜や⽺、⽝猫はもちろん、昆⾍にとっても吸収効率のいいものでした。咀嚼の回数が減ったことや両⼿が⾃由になったことは、さらなる⾷糧探索・収集を可能にし、⾷事の回数すら増やすことができたかもしれません。⽕の利⽤によりカロリーの摂取効率が⾼まったからこそ、私たちは燃費の悪い臓器・脳を巨⼤化させることが可能になったのかもしれません。その脳を使って焚⽕を囲みながら⼀族の神話を語り継いだり、マンガ『寄⽣獣』を楽しめるようになったのかもしれません。

 ランガムの仮説が正しいとすれば、⽕の利⽤は⼈類の運命を変えました。

 森の中⼼部から追い出された「弱い集団」が、出アフリカを何度も繰り返すほど成功した動物へと進化し、やがて⾃分⾃⾝よりも(少なくとも特定分野では)賢いAIを開発できるまでになったのです。

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Rootport(るーとぽーと)
マンガ原作者、作家、ブロガー。ブログ「デマこい!」を運営。主な著作に『会計が動かす世界の歴史』(KADOKAWA)、『女騎士、経理になる。』(幻冬舎コミックス)、『サイバーパンク桃太郎』(新潮社)、『ドランク・インベーダー』『ぜんぶシンカちゃんのせい』(ともに講談社)など。2023年、TIME誌「世界で最も影響力のある100人 AI業界編」に選出される。
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