官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第40回】松本梓沙(原作:冬森雪湖)『失楽園に濡れる花』

公開日:2014/4/1

「まぁ! 見事な出来だわ、筒井(つつい)さん!」

 中年の女の甲高い声が会場中に響く。おおげさに張りあげた声に、近くにいた人々が失笑を漏らした。

「華麗で、優美で。うちの教室始まって以来の天才ね」

「いえ、そんな……」

 英愛は小声で謙遜した。二人の前には、薔薇を中心にガーベラやテッセンといった大ぶりな花が華やかに活けられた花器が置かれている。英愛が活けたものだった。

 周囲には同様にいくつものいけばな作品が並んでいた。会場の入り口には「高尾流いけばな教室 展示会」と書かれた看板が立てられている。

 有楽町駅にほど近いビルの五階にあるその場所は、休日の昼というせいもあってか、そこそこの賑わいだった。

 中心は二十代から五十代の女性だったが、カメラを手にしたマスコミ関係らしい男もいる。流派の家元である高尾龍子(たかおたつこ)が先日、人間国宝に指定されたのを受けてだろう。

「ここで薔薇をテラコッタにしたところにセンスを感じるわ。この色が、ほかの花をうまく引き立てて……」

 放っておいたらいつまでも続きそうで、英愛は内心で気を揉んだ。女性は「若先生」と呼ばれる、高尾龍子の高弟の一人だった。

「あーあ、また始まったよ。若先生の金持ちびいき」

 英愛よりも数年早くいけばなを始めた若い女性が、こちらを見て苦笑している。その隣にいたべつの女性が肩をすくめ、あきらめたように溜息をついた。

「まぁ仕方ないよね、筒井さんは。大学病院の院長のひとり娘で、一流大学の学生。女優もかくやという美人で、かつ性格もいいとなったら、いけばなじゃなくても褒めるしかないじゃない」

 恥ずかしさとうれしさが入りまじった感情が、胸の中で小さく膨らんだ。と、同時にどこか居心地の悪い気分にもなる。

幼いころから何度も繰り返し、多くの人にいわれてきたことだ。完璧な美貌。才色兼備。父子家庭ではあるが、その父親から愛情と金銭的な豊かさを一身に注がれた奇跡のような存在――。

だが、そういった賛辞を聞いても、いつも素直に喜べなかった。誇らしくはあるのだが、あなたは私たちとはべつの世界の人間だと排除されているような寂しさや孤独感をまず覚えてしまう。

 入り口でざわめきが起こった。カメラを持った男が駆けていく。

高尾流いけばなの家元である高尾龍子その人が、そこには立っていた。八十一になる龍子は杖を手にしていたが、悪いのは足だけのようだ。眼鏡の奥の眼光は鋭く、肌にも張りがある。

 龍子は迎えに出た若先生の案内を受け、展示された作品を入り口側からひとつずつ見て回った。二人はやがて英愛の作品の前にやってきた。

「大先生、見て下さい。筒井さんの作品、見事でしょう」

 はしゃぐような若先生を振り向きもせず、龍子はじっと英愛の作品を見つめた。刺すような視線は粗を探しているようでもある。

「……醜いね」

 ぽつりと吐きだされた言葉に、英愛は耳を疑った。

「うわべばかりで空虚だよ。私はこういうのはきらいだね」

「だ、大先生……その……」

 若先生がいびつな笑みを貼りつけて、その場を取り繕おうとする。龍子はそれ以上、作品にも英愛にも一瞥もくれることなく、次の展示作品へと進んでいった。

「あの、筒井さん、気になさらないでね。大先生、ちょっと今日は……」

「いいんです。私、表に飾った作品をちょっと見てきますね」

 英愛は若先生に軽く一礼すると、会場を出た。先ほど英愛のことを話題にしていた先輩生徒たちの、底に悪意を感じさせる笑い声が背中に届く。

 十五歳のときから五年習いつづけた中で、英愛が龍子から評価されたことはなかった。龍子はこれまで何度も、英愛の作品に痛烈な批判を浴びせた。批判の中には頻繁に「空虚」という言葉が登場した。

 空虚とは何だろう。花は美しくあでやかであれば、それでいいのではないか。それが花の本分ではないのだろうか。

いけばなを習いはじめてから、何度も賞を獲った。それなりの人物に称讃されたこともあった。それでも龍子にだけは認められない。認めてくれない。

(もういけばななんて止めようかな。べつにこれを仕事にしたいわけじゃないし……)

 エレベーターで一階に降りた英愛は、出入り口のドアを目指した。その横にもいくつか作品が展示されており、中には英愛のものもあった。

 自動ドアから出た瞬間、何者かとぶつかった。相手はどうやら作品を眺めていて、ちょうど歩きだしたタイミングだったらしい。

「あ……っ!」

 建物の前に敷かれていた金網に靴のヒールが引っかかる。前のめりになった勢いでそこに体重がかかりヒールが折れて、体が前方に投げだされた。

「痛……」

 地面に膝を擦った。立ち上がろうとしたが、ヒールが折れたせいでかかとにうまく力が入らない。

(今日はもう最低……)

 涙が滲んできた。父に買ってもらった、気に入っていた靴だったのに、よりによってどうしてこんな日に壊れるのだろう。

「こんなことで泣くか?」

 頭上から声が降ってきた。低い男の声。あたたかい雨のようだった。

 

 

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