官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第41回】浅見茉莉『言って、イって ~官能作家育成中~』

公開日:2014/4/8

「さっさと押してくれない?」

 背中から聞こえた声に、中溝は我に返った。自販機にコインを入れたまま、突っ立っていたようだ。

 振り返ると、スリット文庫編集長の森岡美南(もりおかみなみ)が重そうなトートバッグを抱えて苛ついている。

「あ……おかえりなさい。すいません、どうぞ」

「なによ、奢ってくれんの?」

 いや、単に順番を先に譲るつもりだったのだが、言い返そうものなら「男がセコいことを言うな」とよけいな叱責を受けそうなので頷いておく。

 なにしろ森岡は強い。見た目こそ身長百五十センチの童顔女子だが、三十歳にして今どきの官能小説という企画を立ち上げて、自ら編集長の座に就いた。中溝を含め部下の男どもをソプラノの怒声で率い、売り上げを伸ばしている。

 森岡はミルクと砂糖の増量ボタンを押して、ちらりと中溝を見上げる。

「どう? 楠木先生は」

「えっ……あー……苦戦してますね」

「そんなことはわかってる。ああいう作風で、エロを書こうってのが無謀だからね」

 たしかに。中溝も痛感した。

 しかし本人は諦めていないし、文字どおり身体を張って書こうとしている。

「でも――」

「そう。でも、だ」

 森岡の指先が眼前に突きつけられ、中溝は思わず仰け反った。

「おまえがついてるんだから、責任持って書き上げさせるように」

「わかってますって」

 言われるまでもない。中溝もまた、諦めていないのだ。官能小説がものになるかどうかはともかく、恭司の作家としての才能は疑っていない。

 それならば、編集の中溝にできるのはバックアップすることだけだ。

「作家ひとりの命運がかかってるんだからね」

 森岡は中溝を睨むように見据えてから、トートバッグに振り回されるようにして通路を歩いて行った。

 それを見送って、中溝は胸の中で呟く。

 俺はそのつもりなんだけどね……向こうがどう思ってるか。

 あれ以来、恭司からはなんの音沙汰もない。

 これまでは、二、三日に一度はメールがあったのだ。内容は進捗状況がはかばかしくないというものではあったが。

 それすら途絶えたということは、恭司も遅ればせながらあの件を気にしているということなのでは――?

 それがふつうだ。ゲイでもないのに、男に前と後ろを弄られてあんあん喘いだ挙げ句に達してしまったなんて、仕事にかこつけても納得できることではないだろう。

 たぶん今ごろ、よくて後悔しきり、最悪の場合は中溝に対する不信感と嫌悪感でいっぱいになっている。

 今にも電話かメールで、仕事をキャンセルしたいとか、担当を替われとか言ってくるのではないかと、中溝は内心戦々恐々としている。

 いや、そんな連絡もしたくないくらいの状況だとか……。

 音信不通にしてそれっきりなんて、まともな社会人なら許されることではないが、中溝のほうもそれを責めにくい。下手に藪をつついて、一切合財を編集部にぶちまけられたりしたらと思うとぞっとする。

 恥をかくだけで済めば、まだいい。事と次第によっては、訴えられたりするのでは――。

「あ、いた。おーい、中溝! 電話! 楠木先生から!」

「えっ!?」

 フロアの出入り口から顔を覗かせた同僚が大きく手を振っていて、中溝はぎょっとした。

 来たのか、ついに……。

 ごくりとの喉が鳴る。

「早くしろって!」

 急かされれば急かされるほど重くなる足を引きずるようにして、中溝は編集部へ向かった。

 

 

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