官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第66回】喜多リリコ『花一輪の逢瀬~とびきり甘い運命の恋~』

公開日:2014/12/9

 *  *  *

 その日の感動が、私の人生の彩りを変えた。

 私の、ごく平凡なОL、新堂(しんどう)奏子(かなこ)の単調な通勤ルートで唯一の楽しみと言えば、毎週替わる『SHIGENOフラワースタジオ』の大きなショーウィンドーのアレンジメントを眺めることくらいだった。季節の花がいつでも綺麗に飾られて、ロールスクリーンを背景に、まるで壮大な絵画を見ているようだ。

 花に特別な興味があったわけではなかった。生け花の経験もない。園芸やガーデニングが趣味だったわけでもない。中学高校と部活は美術部で、絵のモチーフとして花はよく選んでいたし、花の絵で賞に入選したこともあったけれど、好きだった絵でさえ美大に入ろうと思うほどではなかったのに、花となれば尚更だ。東京の女子大に入って、そのまま東京で会社の事務職についた。

 新卒入社から一年半、代わり映えのしない毎日を送る普通の会社の事務員がフラワースクールのアレンジメントを毎週楽しみにしていたという、ごく普通のありふれた話だったはずだ。

 けれど――その日私は出会ってしまった。滋野(しげの)世志乃(よしの)の作品に。

 ショーウィンドーいっぱいにヒマワリをあしらったアレンジメントだった。決して凝った作品ではない。その後、私は世志乃先生の作品に数多く触れることになるけれど、そのヒマワリのアレンジメントは、世志乃先生の作品としてはかなり独特な雰囲気のものだった。

(風が……)

 広大なヒマワリ畑の風を感じ、日差しを感じ、土の匂いを感じた。どこか懐かしいような、郷愁を誘うような。

  

 朝にショーウィンドーのアレンジメントを見て、その日の昼休みにスクールの門を叩き、終業後に体験レッスンを受けた。

「見学にいらした方ね。どうぞ、ゆっくり楽しんでいらして下さい」

 教室を出たところで、たまたまスクールの様子を見に来ていた世志乃先生と行き会った。

(うわ、本物の滋野世志乃……!)

 以前から世志乃先生のことは知っていた。テレビで観たこともあるしファッション誌の広告でも見たことがある。六十才くらいの上品な人だ。

「お花、好き?」

 にっこりと微笑んだその優しげな表情につられて、私は今飾られているディスプレイに惚れ込んで見学に来た旨を熱っぽく、勢いのままに伝えていた。後になって思い返すとずいぶん大胆なことをしたと思うけれど、その時は、あのヒマワリのアレンジメントに触れた感動の余韻が続いていたのだと思う。

「田園風景の……風の匂いを感じたような気がしました。本当に、風が吹いて来たみたいに」

 後で世志乃先生から聞いたところによると、その時の私は、それはもう目をキラキラさせて、頬を真っ赤にして、子供のような表情だったそうだ。

「あら。私もそう思ってたわ」

 世志乃先生はとてもエレガントに微笑んで、「うちで、働く?」と尋ねた。

「はい」

 私は、躊躇いなくそう答えていた。

 その瞬間に、高校選びにも迷い、大学を選ぶのにも迷い、就職先にも迷い、特にこれといった目標もなく働いていた私のごく普通の人生が突然に色合いを変えた。

 翌月から私はフラワースタジオのスタッフになり、事務の仕事をしながら、スクールのレッスンを受講し始めた。

 

 

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