おばあちゃんの遺伝子/『運動音痴は卒業しない』郡司りか④

小説・エッセイ

公開日:2020/8/1

 定期的に「切なさ」がほしい。

 ヒットしている恋愛ものの映画や漫画を観察すると、もう戻れない時間を刹那的に感じる瞬間が大好物なのは私だけじゃないでしょう。

「切なさ」といえば、大好きだった遊園地の閉園を思い出します。

 小さい頃、宝塚ファミリーランドによく連れて行ってもらいました。背の低いおばあちゃんとなら手を繋いでも心地よく歩けます。

 すずらんのような形の観覧車に乗って、腰を下ろしたと同時に手に持っていたソフトクリームをなぜか手放す。おばあちゃんのお洒落なドッドのブラウスにソフトクリームが到着したら、ドアが閉まって上り始めて地獄です。

 昔からドジをやっては怒られます。大好きなヤクルトは必ず半分こぼすので1本飲めないことで有名だし、給食の牛乳ビンも手で引っ掛けては隣の子のランチョンマットをミルク漬けにします。

 けれど、おばあちゃんは「観覧車降りたらまた買おうね」と楽しそうに笑うのです。

 本気なのか冗談なのかわからない微妙なブラックジョークを言うのもおばあちゃんの遺伝子を引き継ぎました。

 一緒にハワイに行ったときも「私はここにしばらくいるんだから、日本からまたおいでや」とボケなのかボケているのかわからないことを言うもんだから尊敬します。もはや年齢まで味方にしている。

 誰よりも私の味方でいようとしてくれるおばあちゃんが私より先に死ぬことを、昔から意識しています。

 死がこわい。おばあちゃんが死んだら、私は学校を辞めるし、ご飯を食べるのを止めるし、寝ないし息もしないだろうと数年前まで思っていました。

 けれど、老いは緩やかに人を変えます。

 トランポリンのように体当たりしたら弾むふくよかなお腹も今では萎んで、小さな肩にもうおぶってもらうこともできません。少し怒りん坊になったし、前に話したことを忘れてしまうことも増えました。

 頼りになるおばあちゃんは、風吹けば揺らぐ小さなおばあちゃんへ形を変えたのです。

 互いに少しずつ違う人間になっていくことで、心の準備をさせてもらっているのかもしれない。おばあちゃんに頼り切りだった心が変化して、変わることは止められないのだと実感しました。

 宝塚ファミリーランドが閉園するとき、あのかわいい観覧車を部屋に置きたいと思って、一室だけ買わせてくださいと電話したのだけど、貰えるわけがありません。(電話する前に誰か教えてやってくれ。)

 今では大分県とミャンマーにあるんだそう。

 そういえば、先日私がけん玉をするだけの放送を見ておばあちゃんは爆笑しました。

「若い頃、私は野球でキャッチャーをやっていたけど、この子は誰に似たんや。さすが私の孫や。」と繰り返しながら。

 誰に似たんだろうね。

 長生きしてね、おばあちゃん。

<第5回に続く>

プロフィール
1992年、大阪府生まれ。高校在学中に神奈川県立横浜立野高校に転校し、「運動音痴のための体育祭を作る」というスローガンを掲げて生徒会長選に立候補し、当選。特別支援学校教諭、メガネ店員を経て、自主映画を企画・上映するNPO法人「ハートオブミラクル」の広報・理事を務める。
写真:三浦奈々