本のプレゼンの競技大会。「全国高校ビブリオバトル」の事務局員になった、読裏新聞社社員・徳山美希だが…/珈琲店タレーランの事件簿7 悲しみの底に角砂糖を沈めて①

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/12

累計235万部突破!『このミス』大賞人気シリーズ『珈琲店タレーランの事件簿』第7弾。岡崎琢磨著の書籍『珈琲店タレーランの事件簿 7 悲しみの底に角砂糖を沈めて』から厳選して全5回連載でお届けします。今回は第1回目です。「全国高校ビブリオバトル」での苦情を受け謝罪に訪れた、読裏新聞社社員・徳山美希。美希は事務局員として、「全国高校ビブリオバトル」のイベント運営を担当することになり、決勝大会当日、プレゼンの順番決めの抽選でトラブルが起こる。いったい誰がなんのために細工したのか!? 女性バリスタ・切間美星が珈琲店タレーランに持ち込まれる7つの謎を解いていく――。ビブリオバトル決勝大会で起きた実際の出来事をはじめ、日常にさりげなく潜む謎のかけらを結晶化した大人気喫茶店ミステリー『珈琲店タレーランの事件簿 7 悲しみの底に角砂糖を沈めて』。シリーズファンはもちろん、はじめて読む人も楽しめる短編集! 恋人との京都旅行中に純喫茶タレーランを訪れた実希は、謝罪したい相手と待ち合わせをしている。それは実希が事務局員を務める「全国高校ビブリオバトル」で起こった出来事に関係する高校生で――。

※この物語は2020年1月に開催された全国高等学校ビブリオバトル決勝大会で実際に起きた出来事を元にしたフィクションです。出場された高校生の皆さんを疑う意図は作者にありませんことを、あらかじめご了承ください。

珈琲店タレーランの事件簿7 悲しみの底に角砂糖を沈めて
『珈琲店タレーランの事件簿7 悲しみの底に角砂糖を沈めて』(岡崎琢磨/宝島社)

ビブリオバトルの波乱

――あなたのせいで、あたしは負けたんです。

 彼女の悲痛な訴えが、わたしの耳にこびりついて離れない。

「ごめんね。こんなことに付き合わせちゃって」

 わたしが謝ると、恋人の枡野和将はごく軽い調子で答えた。

「気にすんなって。実希にとって、重要なことなんだろ」

 弱気な心に、温かい言葉が沁みる。わたしはテーブルの端に立てかけてあるメニューを手に取って広げ、うまく保てない表情を隠した。

 ここは京都市中京区にある、純喫茶タレーランというお店。窓際のテーブル席で、わたしは和将と向かい合って座っている。店内は和将がかけている眼鏡を曇らせるほどに暖房が効いており、控えめなボリュームでジャズミュージックが流れているのも心地よく、わたしは強張った体をほんの少し緩められた。

 普段は東京で新聞社に勤めているわたしがなぜ京都にいるかというと、週末を利用して和将と旅行に来たからだ。ただし、観光に疲れてふらりと立ち寄るにはやや不向きな立地の、町家の背後に隠れたこんな喫茶店にわざわざ足を向けたのは、約束があったためである。

 計画を立て始めた段階では、楽しいだけの旅行になるはずだった。そこに偶然加わったひとつの用事は、いまも緑がかった窓ガラス越しに見えている冬の曇り空さながらに、わたしの心を暗く重くしていた。

 白シャツに黒のパンツに紺のエプロンという出で立ちの、ボブカットのかわいらしい女性店員がやってきて、わたしと和将はコーヒーを注文した。店内にほかの客はなく、店員も現在は彼女ひとりのようで、ただフロアの片隅の古めかしい椅子の上ではシャム猫が背中を丸めてすやすや眠っている。

「それで、約束は十六時なんだっけ。まだ、三十分近くあるけど」

 和将が腕時計を見ながら言う。

「呼び出しといて、遅刻するわけにはいかないからね」

「そりゃそうだ。早めに着くに越したことはない」

「時間が近づいたら、あなたは席を移動してね」

 わかってるって、と和将は安請け合いの様相だ。

「それにしても、大変だね。スタッフとして関わった大会に出場した高校生に、謝罪をしなきゃならないなんて」

 わたしはあごを引き、テーブルの上の何もない一点を見つめる。

 彼女のほうから、謝罪を要求してきたわけではない。あくまでもわたしが望んだことなのだから、大変だなんて言ってはいけない。わたしから連絡し、会う約束を取りつけ、まだ高校生の彼女に心当たりのお店がないことを知ると、彼女の自宅からそう遠くない場所にある喫茶店を探して指定した。そこまで手配することも、示すべき誠意のうちだろう。

「わたしが悪かったの。生半可な気持ちで携わるべきじゃなかった。出場した高校生にとっては、とても大事な大会だったのに」

「思いつめすぎじゃないか。あまりいいことだとは思えない」

「あなたは大会を見ていないから、そんなことが言えるんだよ」

「本当に悪いのは、きみじゃなくていたずらをした犯人だろう」

「車に小銭を置いておくと、車上荒らしに遭う確率が増すと言うでしょう。たとえ悪意ある誰かがいたずらをしたんだとしても、それを招いたのはわたし」

 和将は不満げに口をつぐむ。特別区職員の彼とは、わたしがまだ駆け出しの記者だったころに、取材を通じて知り合った。いまは区役所に勤めているが、学生時代は法学を修めたと聞いている。彼なりに思うところはありつつも、わたしの頑なな一面を知っているだけに、言い争う気にはなれなかったのだろう。

「……せめて犯人がわかっていれば、きみひとりが責任を負うことはなかったのになぁ」

「仕方ないよ。ほかでもないあの子に、調査を中止させられたんだから」

「だけど、どうもすっきりしないじゃないか。そもそも僕は、きみが未成年者の罪を被ることを美徳だととらえているのなら、真っ向から異議を唱えたいけどね。それはさておくとしても、どういう事情でトラブルが起きたのかが把握できなければ、再発防止に努めることも叶わない。その点について、ほかのスタッフはそろいもそろって手を拱いているのかい」

「別に、再発を防止するのは難しくないから……わたしを含めスタッフはみんな、納得と呼ぶには程遠い状態だとは思うけど」

 わたしも煮え切らないのだと見て、和将は身を乗り出した。

「もう一度、一緒に考えてみないか。どうしてこんなことが起きたのか。いったい誰がやったのか」

「でも、もうすぐあの子が来ちゃうから……」

「まだ時間はある。その子に謝ってしまえば、すべては方がついてしまう。これが最後のチャンスなんだ。きみが、きみ自身を納得させるための」

 彼の熱弁に、心を動かされたわけではなかった。ただ、どのみち彼女が来るまでは所在ないし、もちろんわたしにも真相を知りたいという思いはある。それに、ありがたさよりはわずらわしさのほうが勝ってはいたけれど、これが彼なりの優しさであることも、わたしはちゃんと理解していた。

「わかった。じゃあ、あらためて一から話してみるね」

 わたしが言うと、彼は表情を引き締める。いまさら話を蒸し返すのはひどく場当たり的で滑稽だけれど、わたしの役に立ちたいという姿勢に噓偽りはないのだろう。彼のそういう計算高くないところが、わたしは決して嫌いではなかった。

 店員がコーヒー豆を挽く、コリコリという音が聞こえる。わたしは三週間前の大会で起きた、不思議な事件へと思いを馳せた。

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