子どもの頃、度が過ぎるほど“真面目”だった僕は…【グレーを知らない子ども】/ナダル『いい人でいる必要なんてない』

文芸・カルチャー

更新日:2022/7/21

グレーを知らない子ども

 今、僕が「子どもの頃は真面目だったんですよ」と言っても、信じてはもらえないかもしれない。クズ芸人と呼ばれている僕に、その面影はない。だが、本当に僕は度がすぎると言ってもいいくらいに真面目だった。

 保育園に通っていた時には魚や虫が好きで、最初は「保育園なんて行きたくない!」と駄々をこねていた。それなのに保育園でカメを飼っていると聞いたとたんに、「やっぱ明日から行くわ!」とすぐに意見を変えるくらい柔軟な子どもだった。

 保育園の先生からは「真面目に話を聞く子です」なんて書かれていたし、直接言われたこともある。子どもの頃に大人からほめられると、良くも悪くも影響されるもので、「真面目だとなんか知らんけど大人は喜ぶらしい」と学んだ。こんなふうに書くとすごく頭のキレる子どもみたいだが、そんなことはない。ただ、まわりの大人が喜んでくれたから自分も嬉しくて、自分から真面目であることを望んでいった。ある意味、純粋な子どもだったと思う。

 小学校に入学して「いいことをしたらハンコを押してあげます」というお決まりの習慣も、真面目さに拍車をかけていった。いいことをしたら誰かに認めてもらえて、悪いことをしたりサボっていたりしたら先生から叱られる。そんな当たり前の生活を送っていたら、いつの間にか道を外れることが怖くなって、ずっと正しい安全なところにいようという意識が強くなった。

 小学6年生になると、道を外れないというのが自分の絶対的な正義になっていて、それを人にも押し付けるようになっていった。掃除の班が決まったら、自分がリーダーになって、みんなに掃除の指示を出す。あの頃の僕は、最高の掃除チームができたと思っていたけど、もしかしたら誰かは不満を持っていたかもしれない。

<第2回に続く>


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