「もう二度とライブなんて出ない」そう心に誓い、ギターに一切触れないまま数年が経ち…/片岡健太(sumika)『凡者の合奏』

文芸・カルチャー

更新日:2022/7/20

 僕は片岡家の長男として生まれた。

〝もし男の子が生まれたら、やってみたいリスト〟が、僕が生まれる前から、父の中には存在していたのではないかと思う。野球やサッカー、キャンプ、釣り、サーフィンなど数えればキリがないほど色々な世界に、父は僕を連れ出してくれた。その度に僕は、純粋な好奇心を搔き立てられて、初めの一歩を難なくやり遂げた頃には「自分は天才かもしれない」と思っていた。

 しかし、どんなことでも歩みを進めていけば、Fコードのような壁は存在して、何度か挑戦するものの、乗り越えられずに僕が萎えるというのが、定番の流れだった。そして、そんな僕の真横を父親がすり抜けていき、軽々とその壁を乗り越えて、笑顔で手を差し伸べてくれた。自分が子どもだという自覚はあるが、子どもだから父より何かができないということを、素直に認められず父の手を素直に摑むことができなかった。その度に興味がないフリや、飽きたフリをして逃げ続けた。そんな感情が言葉になってしまったら、もう戻れない。このライブの最中に、僕は少しだけ冷めた大人になってしまったのだ。熱しにくく冷めやすいのではなく、何をやっても毎回父に勝てないことが、単純に悔しかったのだと、僕は認めた。

 来賓者による盛大な拍手のシャワーを浴び、嬉しそうな顔をした父が「いやー、緊張したけど、最高のライブだったな」と言ったが、それに対して「うん、そうだね」とかわいげのない返事をして、もう二度とライブなんて出ないと、心に誓ってステージを降りた。

 そして、ギターには一切触れないまま数年の時が流れた。父のギターブームも、とうに過ぎ去り、誰にも弾かれなくなった真っ黒のアコースティックギターには、たんまりと埃がかぶっていた。ある日、大掃除で模様替えをする際に、ギターを移動させた。誰もいない居間だったこともあって、何の気なしにギターを弾いてみると、いとも簡単にFコードが弾けるようになっていた。

 小学校の高学年になっていたので、物理的に手が大きくなったからなのか。それとも良い意味で力が抜けていたからなのか。理由は分からないが美しいFコードの音色が、埃まみれのギターから発せられた。

 できなかったことができるようになるのは、やはり嬉しいもので、さっそく寝室の掃除をしていた父を呼んできて、目の前でFコードを弾いて見せた。父は「おおー!スゴいなー!」と言って喜んだ。「やー、お父さんもあんまり得意じゃないんだよなー。Fコード」と言って目の前で弾きはじめた父のFコードからは「ガスッ」という鈍い音が鳴った。

 驚いた僕が「お父さん、結婚式のときはちゃんと弾けていたじゃん!」と言うと「あのときは歌とFコードだけだったからなあ」と、気の抜けた声で父が答えた。

 父はコードチェンジが苦手だったのだ。

 Fコードだけを必死に押さえ続けていれば、きれいに音は出るものの、素早くバレーコードの型を作ることができなかった。問題なく弾けているように見せていたが「ガスッ」という音は、上手に押さえられていない音だったのだとこのとき初めて気が付いた。「あのときは健太が他のコードを弾いてくれたから助かったよ」と言って、父は掃除に戻った。少しだけ寂しそうな背中には、萎れていく羽根が見えた。バレーコードを押さえた僕の人差し指には、錆びた弦の色が、生々しく着色している。

 その夜から、2階にある自分の部屋にギターを持っていって、毎日ギターを弾くようになった。僕が弾いていないときには、父が1階の居間で、また時折ギターを弾くようになった。2階で響くFコード。1階で響くAマイナー。

 ポロンポロン。

 何かが始まる音がした。

<第3回に続く>


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