柄本佑さん「妻にちゃんと伝えたのは1回」×平野啓一郎さん「父親が死んだ36歳になった時に書きたいと思った」ドラマ『空白を満たしなさい』特別対談

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公開日:2022/7/23

 柄本佑さんが主演を務め、阿部サダヲさんの怪演も話題の土曜ドラマ『空白を満たしなさい』(NHK総合)。第1話のNHKオンデマンド視聴数は、大河ドラマを除くドラマ第1位(放送以来7月20日時点)と高い注目を集めていることがうかがえる。3年前に亡くなった柄本さん演じる徹生が突然生き返り、戸惑いながらも自分が死んだ理由を探していくという本作の原作を手掛けたのは『マチネの終わりに』や『ある男』で知られる小説家平野啓一郎さんだ。そこで、柄本さんの原作との出会いや平野さんのドラマを観た感想など、お二人に話を伺った。

(取材・文=立花もも 撮影=川口宗道)

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愛する人を失ったとき生まれる、もっともシンプルな“もう一度会いたい”という想い

平野啓一郎さん(以下、平野) ドラマ、非常におもしろく拝見しています。柄本さんが演じる主人公の徹生は、3年前に死んだはずなのに生き返った「復生者」という設定。小説と違ってドラマでは、徹生が復生する以前から全国的にその現象が知られているという設定になっていますね。徹夫の再生後の手続きのために、役所の人間がやってくる、という場面は興味深かったです。妻の千佳(鈴木杏)をはじめとする周囲の人間はもちろんのこと、徹生自身も、自分が死んだという自覚がないので、激しく動揺しているわけですが、その姿が、的確に表現されていると感じました。実際、亡くなったはずの人が3年も経って甦ってくれば、最初は喜ぶというより、ただ動揺するしかないんじゃないですかね。

柄本佑さん(以下、柄本) ところが徹生にしてみれば、寝て起きたら3年の月日が流れていたという感覚なので、会社で自分の後任に園田(永岡佑)……自分の仕事を奪った男がおさまっていると知ったときも、激しい憤りを感じてしまう。あの場面を演じたときに「この人にとっては昨日の続きでしかないんだな」というのを実感しました。まわりから見てみれば今更と思うようなことも、彼にとってはいまだ生々しい現実なんだと。だから、戸惑いは抱きつつも、誰より普通に、地に足の着いたふるまいをしよう、と思いました。これ、時間の経過が3年というのが絶妙ですよね。

平野 3年って、悲しみは続いているけれど、どうにか乗り越えて前に進もうとしている時期だと思うんです。社会的にも、感情的にも、徹生が抜けた穴は埋まり、新しい生活が始まっている。だからこそ、生き返ってきたことにみんな動揺するし、苛立ちすら覚えてしまう。その姿を描きたかったんです。もうひとつ、徹生の息子である璃久の成長も描きたかった。昨日までは1歳だった息子がいきなり4歳になっている、ということが、自分一人が時の流れから置いていかれている現実を徹生に自覚させるのではないかな、と。

柄本 まさに、璃久(斉藤拓弥)と対峙する場面を演じながら「徹生にとっての3年は、この子の変化を通じてしか実感できないんだ」と感じました。

平野 逆に璃久はいきなり父親といわれてもピンとこないし、知らないおじさんがやってきたとしか思えない。その戸惑いも、ドラマでは上手に演じてくれていたと思います。僕の祖父は、第二次世界大戦のときビルマに出征していたのですが、家を出るときは赤ん坊だった僕の叔父が、復員したときにはやっぱり3歳か4歳くらいになっていて、「このおじさん、なんなんだろう」と思っていたそうです。そのことも、意識のどこかにあったのかもしれません。

柄本 そもそもどうして、復生者を主人公に小説を書こうと思ったんですか?

平野 徹生の父親は36歳で亡くなっていて、自分が同じ年齢に達することに彼は奇妙な感慨を抱いていますが、それは僕自身の境遇と重ねているんです。僕も、父親が36歳で死んでいて、そのくらいまでしか生きられないんじゃないかという想いを、ずっと抱きながら生きていた。いざその年を迎えたとき、その想いをテーマに小説を書いてみたいと思ったんですよね。それで改めて、愛する人が亡くなったときに人がいちばん強く抱く感情はなんだろうと考えたとき、単純だけど、やっぱり“もう一度会いたい”“会って話がしたい”ということに尽きるだろうと思いました。

 ちょうどその頃、東日本大震災が起きて、多くの人が、昨日までともに暮らしていた家族を唐突に奪われてしまった。彼らの願いも、きっと、ただ“もう一度会いたい”というものだったでしょう。さらに時を同じくして、僕自身に子どもが生まれたことで、僕の中で失われた命と新しく生まれた命のイメージが重なり合って、「復生者」という設定を思いつきました。

 でも、ただ愛する人が一人甦ってくるだけだと、よくある話に落ち着いてしまう。それよりも、日本各地でさまざまに復生の現象が起きたことで、社会システム全体が変わらざるを得なくなり、生きることと死ぬことの意味を人々が改めて問われる姿を、広いテーマとして描きたいと思った……というのが起点ですね。

柄本 徹生はただ死んだだけでなく、自殺したことになっていますよね。徹夫自身は、そんなはずがないと否定し続けているけれど……。第1話で徹生と千佳が再会したとき、いったいどんな感情が生まれるのかは、どれだけ考えてもやっぱり想像しきれなくて。千佳役の鈴木杏さんといろいろ話し合って、結果、その場になってみないと分からないから、現場で動いた気持ちに任せてみようということであのような形の表現に繋がったのですが、なぜ自殺という設定を選んだんですか?

平野 僕の身の回りで、親しい方も含めて、何人か自殺した方がいるんですが、残された人たちはみんな自分を責めるんですよね。「何かしてあげられることはなかったのか」「どうして気づいてあげられなかったのか」と。同時に、まわりからも責められるんです。「あんなに近くにいたのに、どうして気づかなかったの」って。ただでさえ傷ついているのに、ますます傷つけられてしまうその問題について考えたい、と常々思っていました。千佳の境遇にそれが反映されています。そして千佳には、悲しみや淋しさだけでなく、何も言わず自分を置いていった夫に対する憤りの気持ちもある。複雑な感情にどうにか折り合いをつけながら3年を過ごしてきた彼女は、手放しで夫の復生を喜ぶことはできなかっただろう、と思いながら書いていました。

物語における“悪”は社会の矛盾を突く存在

柄本 実は僕、ドラマの出演が決まる前に、原作を読んだことがあったんです。よく行く喫茶店のマスターが大変な読書家で、会うと必ず課題読本をくださるのですが、3年前に渡されたのが『空白を満たしなさい』でした。ちなみにマスターは、ご夫婦で平野さんのご著書をすべて読破しているほど作品がお好きだそうで。

平野 それは素晴らしい喫茶店ですね(笑)。

柄本 自分が死んだ本当の理由を探るうち、徹生は“分人”という考え方を知りますよね。人は、接する相手によって自然と異なる人格を生み出していく。それは決して多重人格という意味ではなく、あくまで本当の自分はひとつなんだけれど、その中に細かく分かれた“分人”というものが存在するのだ、と。この考えに、僕はけっこう、共感しました。

 というのも『きみの鳥はうたえる』という映画に出演したとき、監督に言われたことと似ていたんです。僕が演じる「僕」は、佐知子と静雄という2人の登場人物にそれぞれ個別で接するとき、あるいは3人全員が一緒にいるとき、そのすべてのシチュエーションでまるで違う顔を見せるのだ、と。確かに考えてみれば人って自然と顔を使い分けているなあ、とそのとき感じたことが、小説ではかなり具体的に言語化されていて、おもしろかったです。

平野 みんな、子どもは純粋で誰に対しても分け隔てなく接するものだと思っているでしょう。それなのに大人になるにしたがって、社会的な配慮とともにいろんな顔を使い分けるようになる、と考えがちです。でも、僕は逆だと思うんです。実は子どもって、ものすごくナチュラルに分人化する。大好きなお母さんとお父さん、仲のいい友達に対しては、露骨に異なる態度を示す。それが、柄本さんのおっしゃるように、自然な状態だと思うんですよね。子どもを園に迎えにいくと、よそのお母さんの顔を見たときより嬉しそうに僕に駆け寄ってきますが、それはそうじゃなきゃ困るじゃないですか(笑)。コミュニケーションを繰り返すうちに、好きな人、そうでもない人の区分けが生じるのはごく当たり前のことなのに、なぜかみんな、分け隔てることはよくないことだと思いこんでしまう。

柄本 確かに、うちの子は先日5歳になり、ようやく、僕との間にもコミュニケーションが成立するようになりました。きっと、他の人を相手にしたときとは異なる“分人”が芽生えているはずですが、それが悪いことだなんて誰も思いませんよね。

平野 小説でも、登場人物の性格は首尾一貫してしかるべき、と考えられがちですが、むしろ誰に対しても平等に接するキャラクターのほうが、リアリティに欠けていると思うんです。たとえば『アンナ・カレーニナ』を読んでいると、アンナの言動は、夫と不倫相手、妹など相手によってまるで変わりますが、むしろその描写が彼女の人間性を深める効果をもたらしている。小説でも、対人関係によって人格の違いを書き分けていこう、と思ったのが分人という概念に至る最初のきっかけですが、『空白を満たしなさい』ではさらに強く意識して書いていた気がします。

柄本 それによって、ご自身になにか変化は生まれましたか?

平野 そうですね……。僕はわりと事前に全体的な構想を練ってから書き始めるタイプなのですが、会話を書くときは、相手が何を言うかによってその人の反応が変わる、ということがあり、より登場人物が生きているという感覚を得られるようになりました。

柄本 ああ、ちょっとわかります。僕は台本を読んだだけではどう演じるかを決められなくて、やってみなきゃわからないというタイプなんですが、それはやっぱり相手の反応があってこそ、だからなんですよね。目の前の相手次第で、引き出される自分も変わっていく。それはふだんの生活だけでなく、芝居を通じても実感していることかもしれません。

平野 お芝居だと、相手によってちぐはぐな反応を示しても、一貫性がないとは思われにくいのがいいですよね。同じ人が演じている、というだけである程度の同一性が保たれる。

柄本 映像は、情報量が多いですからね。やってみなきゃわからない、というところでいうと、阿部サダヲさんが演じた佐伯……徹生が自分を殺したと思っている男と再会する場面で、なぜか、古い友人に会ったかのような感覚に陥りました。ずっと行方を追っていた、というのもあるかもしれないんだけど、彼に対する攻撃的な気持ちとは別に、不思議な懐かしさというか、自分のことをよくわかってくれている友人に出会えたような気持ちになったんです。それは、原作や台本を読んだときには、生まれなかった感情でした。

平野 佐伯は、阿部さんが熱演してくださって、SNSでも「気持ち悪すぎる(ほめてます)」みたいなコメントをたくさん見かけました(笑)。僕はどちらかというと、嫌な人を書いているときのほうが、筆が乗るんですよ。嫌な気持ちにさせられるということは、その人が社会の価値観に抵触し、矛盾を突くようなふるまいをしているということ。佐伯は一方的に、徹生の根幹を否定するような言葉をぶつけ続けるけれど、本当は佐伯のほうが正しいのかもしれない、と思わされる部分もある。そういう、世の中で正しいとされているものを否定して、社会が蓋をしている問題をこじあけて問いを提示していく人物がいなければ、物語は魅力的に展開していかない。佐伯がいなければ、徹生という人物も生きてこないのだと思います。

柄本 役者も、悪役を演じるほうが楽しいという人は多くて、阿部さんも、とても楽しそうに演じてらっしゃいました(笑)。エピソードを追うごとに凄みが増していくので、すごかったです。僕は悪役らしい悪役を演じたことはない……と思っているのですが、できあがった作品を観て「あれ? 俺のやった役、やたらと主人公ににらまれてるな、もしかして悪い役だったの?」と気づいたことはあります(笑)。でも最近は、勧善懲悪スタイルの時代劇と違って、型にハマったわかりやすい悪役というのがあまり描かれない傾向にある。そのぶんやりがいもあるし、演じているさなかはそれが“悪”だと気づきにくいのかもしれません。

「“朝ドラ”の主役というのはこんなにも家族に幸せをもたらしてくれるものなのか」

平野 柄本さんのご家族は全員が役者ですよね。ご結婚された安藤サクラさんも、役者一家に生まれ育っている。お互いの仕事について意見を言い合うことはあるんですか?

柄本 父からは言われますね。ダメだったときだけ、メールがきます。「あんな芝居やってんならやめな」とか「見たよ。もう慣れちゃったの?」とか。

平野 それはキツいですね。

柄本 もう本当にイヤです(笑)。でもそれは、僕が息子だから言うのではなく、劇団員に対するのと同じ扱いなんです。もちろん家にいるときは普通の父親として接してきますけど、芝居に関しては、姉や弟のことも劇団員として見ているのかもしれません。そんなふうなので、きょうだい間には、ともに父に立ち向かう同志のような感覚が芽生えていて、お互いの芝居についてあれこれ言うことはありませんね。僕、自分の芝居を観るのが苦手なんですけど、それと同じくらい、家族の出ている作品を観るのも、得意じゃないんです。

平野 安藤さんとは、いかがですか?

柄本 妻とも、あんまり話しませんねぇ。不自然じゃない程度に、あの作品はおもしろかったよとか感想を言い合ったりはしますけど。ああ、でも、唯一、妻にメールをしたことがあります。連続テレビ小説『まんぷく』のヒロインをやったとき、第1話のクレジットで彼女の名前が流れるのを見て「ああ、“朝ドラ”のヒロインというのはこんなにも家族に幸せをもたらしてくれるものなのか」と思って、「『まんぷく』をやってくれてありがとう」と送りました。

平野 それは素晴らしいエピソードですね。

柄本 わざわざちゃんと伝えたのはそれ1回きりですね。平野さんは、どなたに読まれるのがいちばん緊張しますか?

平野 そうですね……たとえば『空白を満たしなさい』だと、実際に、自殺しようとして未遂に終わった方、遺されてしまった家族といった、当事者が存在するでしょう。その人たちが読んだときに「これは違う」と思われてしまうのはつらいので、事前に取材は重ねています。扱う問題が切実であればあるほど、読んでくれた人の心が良い方向に動く作品であるように、と思いながら書いています。

 ただ、難しいのは、リアルを描けばいいかというとそうではない、ということ。たとえば映画『ロッキー』で描かれるボクシングの試合シーンは、リアルなら、途中で絶対止められるくらいボコボコにされていて、まあありえない感じですよね。でも、実際にボクシングをやっている人は『ロッキー』が大好きだったりする。逆に、『ミリオンダラー・ベイビー』とかは、リアルに見えるけど、「格闘技をやっている人の気持ちが全然わかっていない」と批判する格闘家にも会ったことがあります。リアリティというのは必ずしも描写がリアルであるということと同じではない、というのも意識しながら、常にその塩梅を探ってはいます。

“空白”とはいったいなんなのか? タイトルに込められた意味

柄本 リアルを知りたいだけなら、小説や映画を選ぶ必要はないですからね。物語を通じて思わず湧き上がる共感や熱情みたいなものが、リアリティに繋がっていくのかなとは思います。それで言うと『空白を満たしなさい』は、しっかり地に足の着いた重みがありながら、どこか爽やかで、キャラクターが生々しすぎないところがいいな、と思いました。ある種の軽さがあるからこそ、何度でも読み返すことができる。

平野 まあ、そもそも死んだ人が甦るというのが、ありえない話ですからね。これは技巧の話ですが、哲学的な問題を深く描こうとするなら、物語の道筋はできるだけシンプルにしたほうがいいんですよ。積層的にテーマを重ねることによって、深読みしようと思えばいくらでもすることができるけれど、表層の物語だけを楽しもうと思えば、それもできる。テーマも複雑、物語の構造も複雑だと、読者が随所でつまずいて先に進めなくなってしまう。

 だから『空白を満たしなさい』では、どういうしくみで人が甦ってくるかというところは、全然追求してなくて、あくまで人と人との対話を通じて、浮かび上がってくる何かがある、という書き方をしてます。映像は情報量が多いから納得しやすい、という話がありましたけど、文字の場合は情報量が多すぎると、混乱しますからね。

柄本 『空白を満たしなさい』というタイトルも、いろんな深読みができますよね。徹生が死ぬ直前に何が起きていたのか、という空白。3年間、死んでいた間の空白。そしてそれ以上に、息子の璃久との間に生まれる空白を埋めるための物語だったのだな、と読み終えて感じました。このタイトルは、どこから生まれたんですか?

平野 作中にも書きましたが、人が自殺する直前には“空白の30分”といわれる時間があって、未遂で助かった方のお話を聞くと「なんで自分が自殺しようとしたか覚えていない」というケースが少なからずあるんですね。衝撃で忘れてしまったのか、心神喪失の状態にあったのかは、わかりませんが、「死ぬつもりなんて全然なかった」と主張する方もいる。じゃあ、なぜそこまで追い詰められてしまったのか、死ぬ直前の空白を探ることで解き明かされていくしくみにしたかった、というのがひとつです。

 もうひとつは、子どものころ、テストの問題によく「次の空白を満たしなさい」という文言が書かれていて、それがいつも脅迫的に感じられていたんですね。

柄本 僕のときは「埋めなさい」だった気がします。

平野 そうみたいですね。だからときどき「『空白を埋めなさい』を読みました」って感想ももらいます(笑)。

柄本 なるほど!(笑)

平野 おっしゃるとおり、早世した父と息子の関係もまた描きたかったことのひとつなので、読み取っていただけて嬉しいです。僕の作品はこれまで映画化されたことはありますが、連続ドラマという長い尺でしっかり描いていただくのは初めてなので、最後までとても楽しみにしております。

柄本 小説に登場するゴッホの自画像が、ドラマの現場でずらりと飾られているのを見たとき「確かにこれほど多くの自画像を描き重ねる人というのは、根本に深い不安を抱えているのかもしれない」と、作中に書かれていることを肌で納得しました。折に触れて、何度も何度も、自分の何かを確かめようと彼はもがいたのだろうな……と。そういうところも含めて、原作とドラマをあわせて楽しんでいただけると、僕も嬉しいです。

ヘアメイク:星野加奈子 スタイリスト:林道雄
衣装協力:インターナショナルギャラリー ビームス 03-3470-3948

土曜ドラマ「空白を満たしなさい」
NHK総合:土曜夜10時より放送中

©NHK

【原作】平野啓一郎
【脚本】高田亮
【音楽】清水靖晃
【出演】 柄本佑 鈴木杏 萩原聖人 渡辺いっけい うじきつよし 藤森慎吾 ブレーク・クロフォード 田村たがめ 斉藤拓弥/風吹ジュン 阿部サダヲ
(ゲスト)井之脇海/本田博太郎 野間口徹/木野花 国広富之 滝藤賢一 ほか
【制作統括】 勝田夏子(NHKエンタープライズ) 落合将(NHK)
【演出】 柴田岳志(NHKエンタープライズ) 黛りんたろう

過去の放送はNHKオンデマンドにて配信中
放送後1週間はNHKプラスでも見逃し配信中

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