【京極夏彦特集】作家デビュー30周年記念! これまでと今、そして「百鬼夜行」シリーズ17年ぶりの新作長編について語る<ロングインタビュー>

文芸・カルチャー

更新日:2023/9/15

妖怪文化復興のために尽力してきた日々

 95年1月には早くもシリーズ第2作『魍魎の匣』を、その4カ月後には第3作『狂骨の夢』を発表する。京極夏彦という希有な才能に、多くの人が気づき始めた。

「僕を拾ってくれた講談社の唐木さんという編集者が、新書版のノベルスが衰退していくのを憂えていたんです。新本格ブームで講談社ノベルスは売れていたんだけれど、全体的に売り場は縮小傾向にあった。じゃあノベルスという形態にどういう機能があるかをしっかり見極めたうえで、戦略的に作品をリリースしていきましょう、と話し合ったんです。シリーズ化したのも、分厚いのも、数カ月おきに刊行したのも、新書判の棚を守るために練った戦略ではあったんですね」

 もちろん読者は本の分厚さや、早い刊行ペースにのみ惹かれたのではない。複雑極まるプロットや妖怪や宗教をめぐる高度な議論を、一切薄めることなく一気読みさせてしまう作者の並外れた筆力に魅了されたのだ。

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「分かりにくいから簡単にしましょう、という考え方は理解できないですね。本は面白がろうと思って能動的に読むから面白いんです。『定本 柳田國男集』だって、小学生には読めない漢字がたくさんあって難しかったですよ。それを一生懸命読んだから面白かった。つまり書き手は、一生懸命読んでもらえるような工夫をするべきで、簡単に分かりやすくすることは、むしろ読者を作品から遠ざけてしまうことにつながる。その代わり読者が迷子にならないようプレゼンテーションはきちんとするべきだとは思いますが」

 読者を作品に誘うためのプレゼン。その一例が、文章は見開きページを絶対にまたがない、という京極作品独自のルールだ。ノベルス版から文庫版、豪華愛蔵版と判型が変わるたびに、全ページの文章に手を入れ、レイアウトを調整している。

「小説家になって驚いたのは、そうしたプレゼンテーションに関して無頓着な関係者が多いということでした。僕がデビューした頃はまだ手書きの作家も多かったですが、自分の文章が機械的に製品化されることに、何の違和感も持っていない。いや、それはおかしいだろうと。グラフィック的な部分は専門家に任せるとしても、改行や改ページすら自分で決められないのはテキスト製作の責任者としてどうなんだろうと思って。それをそのまま読者に提供しちゃう神経が分からなかった。精魂込めて作ったフレンチを中華の大皿に盛られたり、どんぶりに入れられたりするのはどうなのか。器がどんぶりしかないなら、美味しい丼物を作りたいでしょう。同じ材料だって料理の仕方は変わりますよ。小説は、書籍というパッケージにならなければ読んでもらえない。それはチームで作る商品ですから、テキスト担当としては最善を尽くしたい。で、結局DTP(パソコン上で印刷データを作成すること)までやるようになってしまった」

 民俗学的な要素に加え、緻密なプロットと大胆なトリックを兼ね備えた「百鬼夜行」シリーズは、新本格ミステリーの重要作とみなされるようになる。

「そうなのかなあ。僕はよく講演を頼まれるんですが、この30年でミステリーについて講演したのは多分3回くらいですよ(笑)。ほぼ9割がお化けの講演です。だから世間的にはあんまりミステリー作家と思われてないんじゃないですか。僕自身、ミステリーを読むのは大好きですが、ミステリー作家だという自覚はそんなになかったですし。“お化けを現出せしめる装置としての小説”を眼目に作ると、どうしてもトリッキーになっちゃうんですよ。ミステリーを目指したというよりお化けを書こうとしたら結果的にミステリーの構造に近づいちゃった、というのが正しいわけで、それじゃあ真剣にミステリーに取り組まれている方に申しわけが立たない(笑)。もちろん、まずは小説として面白くなければいけないわけですから、そこが一番難しいんですが」

 京極さんが「妖怪を現出せしめる」と言ったとおり、このシリーズには妖怪が現れる。といっても実体のあるキャラクターとして登場するのではない。読者は奇怪な事件の経過を通じて、その妖怪がどんなものかを肌で実感するのだ。

「お化けなんかいないですから。それを何らかの形で『そういうことね』と腑に落ちてもらえるところにもっていくよりない。小説は絵がないですからね、当時はお化けに向かない媒体だったんです。今は大丈夫なんでしょうけど。当時、“妖怪”やお化けに対する世間の関心は低かったし、誤解されてもいた。昭和40年代くらいから水木しげるさんの台頭によって知名度だけは上がっていましたが、理解度は低かったんですね。そういう現状をなんとかしよう、お化けはいいぞ、と」

 妖怪文化復興のため、京極さんは各種メディアで情報を発信。平成以降に巻き起こった妖怪ブームの中心的存在となる。京極さんらの尽力の結果、日本の妖怪は海外でも知られる存在となった。

「何もかも水木しげるさんのお蔭ですよ。水木さんが世界妖怪協会を立ち上げて牽引してくれた。弟子筋の僕らは全日本妖怪推進委員会としてゆるくお化けを推し進めてただけです。一方で、怪談は難しくて自分じゃ書けないから、怪談文芸を応援しようと東雅夫さんらと怪談之怪を結成したりもしました。ところが、ふと気づくとお化けの群れが自分たちを追い越してたわけですね。アニメもゲームも小説も妖怪だらけ、石を投げれば怪談師にあたるという時代になっていた。もう推進する必要なんかないじゃないか、これからはみんなが好きにお化けを楽しむ時代だよなあと、お化け友の会に名称を変えたりして(笑)」

京極夏彦さん

“探偵”と“憑物落とし” それぞれが担う役割とは

「百鬼夜行」シリーズにおいて非現実的な事件を解体し、日常を取り戻すのは憑物落とし・京極堂の仕事だ。名探偵(榎木津礼二郎)とは別にもう一人、事件の幕引きをする人物がいるところに本シリーズの独創性がある。

「ミステリーにおいて、探偵役は謎を解くわけですね。でも謎が解けることすなわち秩序の回復なのかといえば、それはない。解決は事件の終わりじゃないです。憑物落としって、構造的には同じなんだけど、解決ではなく、事件の終息こそが終着点になる。主眼は謎解きではなくて秩序の回復、もっというなら新たな秩序の獲得なんです。ミステリーの場合、多くその終息は読者自身に委ねられることになる。謎が解けたから、犯人が分かったから、“すっきりする”という構造になっているからです。その構造を調整するといわゆるイヤミスみたいなものも作れる。要するに探偵の智慧を借りて読者自身が憑物落としをしているんですね。このシリーズでは、作中現実の解体と再構築までを書かなきゃいけない。そうしないとお化けが涌きっ放しになりかねないからです。構造でいうなら、探偵の解決は複層化してあるレイヤー上の作業、平面の運動にすぎなくて、中禅寺はレイヤーの切り分けや破棄、再統合という深度のある作業をしてるんですね」

「百鬼夜行」シリーズの長編の多くは、デビュー数年間のうちに刊行されている。94年『姑獲鳥の夏』、95年『魍魎の匣』と『狂骨の夢』、96年『鉄鼠の檻』と『絡新婦の理』、98年『塗仏の宴 宴の支度』『塗仏の宴 宴の始末』。驚異的な刊行ペースだ。

「書き下ろし長編の執筆期間はどうやら3カ月見当なんですね。『魍魎』『狂骨』まではそのペースで、以降は他社の仕事も入るようになり、水木さんの下僕として世界妖怪会議で働いたりするようになったので少し空きます。『絡新婦』は第2回世界妖怪会議の時に、船の上で校正していた覚えがありますね。『塗仏』の『支度』は雑誌連載ベースだったので、本になるまでまた少し時間がかかりました」

 その後も数多くの連載・書き下ろしを抱えながら2003年『陰摩羅鬼の瑕』、06年『邪魅の雫』を刊行する。『邪魅』執筆時にはスケジュールは過密を極め、過労で倒れてしまうということもあった。それから17年、『鵼の碑』の刊行を、ファンは今か今かと待ち続けていた。

「順調にいけば『邪魅』から3年か4年で出せる進行だったんです。それが過労で倒れたり賞をいただいたりして少しズレて、東日本大震災でさらにズレちゃった。そしたら『水木しげる漫画大全集』の監修というとんでもない大仕事を引き受けることになり、それが丸々6年。日本推理作家協会の代表理事の任期が4年。合わせて17年ですね。その間も年に2〜3冊は本を出してましたから、とりわけサボってたという自己認識はないんですけどね。『水木しげる漫画大全集』の作業って、1日は24時間しかないのに35時間くらいかかるんですよ(笑)。その作業を進めながら、普通に連載もしてたんですから、そこそこ立派だと、まあ思わんでもない(笑)」

 今年5月には4年にわたって務めてきた日本推理作家協会代表理事を退任。怒濤のような日々がやっと終わり、『鵼の碑』の執筆が本格的に始動した。

「過去に何度か書いてるんですが、全部捨てて。昨年から新規で書き出したものの、本腰を入れたのは代表理事を退任して、諸々の引き継ぎを終えた5月以降です。結局トータルで3カ月くらい。ペースは変わってなかったですね。進歩がない」

新たな挑戦が詰まった17年ぶりの長編『鵼の碑』

『鵼の碑』のページを開いた読者は「百鬼夜行」シリーズに特有の、あの胸が高鳴るような感覚を味わうことになるだろう。過去のめくるめく読書体験が、鳥山石燕の描いた妖怪画とともによみがえってくる。

「とにかくヌエにしなきゃいけないですからね。蛇・虎・貍・猴・鵺の章に分けて、過去作のエッセンスをそれぞれに割り振ったりしてみました。まあただの目くらましなんですけど(笑)。そんなどうでもいいことをしちゃうんですよ、このシリーズは。だから面倒くさい。しかもミステリーでは“してはいけません”みたいなことは、できるだけやってみようと。なんだかわからないのがヌエですから」

 11年前に刊行された短編集『百鬼夜行 陽』にはすでに、『鵼の碑』のサイドストーリーが2編収録されていた。「墓の火」では日光を訪れた男が光る石碑を目撃し、「蛇帯」ではホテルのメイドが蛇を恐れる。この二つのエピソードが、本編にどうつながっていくのかも注目だ。

「僕は、物は捨てませんけど、ネタは躊躇なくぽいぽい捨てるんですね。そこそこ書き進めていた最初の構想はすぐに捨てて、二度目は連載ベースの構想だったのでこれも捨てて、その後、12年前にも書き出してたんですけど、これも捨てました。ただ、『墓の火』と『蛇帯』は書いちゃってるから、そこは変えられないんです。だから蛇と虎の章にはその残滓があるんですが、構造が別物なので、解体した古民家の部材を一部使った新築の設計みたいな妙な制約があって、実に面倒くさかったですね」

 今回、主な舞台となるのは日光。日光東照宮で知られる同地は、歴史的に見てもユニークな場所だという。

「日光東照宮があるという時点で特異なんですけど、それ以前から各時代の為政者と深く関わって生きながらえてきた土地ではあるんですね。長年そうだったので、そうなる以前の姿が見えにくくなっている。明治以降は一時荒廃するんですが、最終的には国立公園というポジションを手に入れて、国からの補助を受ける。興味深い土地です」

 土地の磁場に導かれるように、お馴染みの面々を含む、数多くの登場人物が日光に現れる。その中でも今作から登場したある女性キャラクターは、今後もシリーズに関わってきそうな鮮烈な存在感を放っていた。

「もうすぐ昭和30年になってしまいますからね。高度経済成長時代に入ってくると、今までと同じようなスタイルでは続けられないですよね。もしこの後も続けるというのなら、現代に橋渡しができるようなキャラクターは必要になるでしょうし」

 昭和27年の夏に幕を開けたこのシリーズも、今作で昭和29年に到達した。もうじき高度成長期がやってくる。そんな時代の変化は、『鵼の碑』にも影響しているようだ。

「お化けは生活者が受容することででき上がるものです。解釈が変わるという以前に、暮らしの在り様で違ってしまう。土俗ホラーだとか民俗学ミステリーというジャンルはあって、どれも面白いですよね。おおむね民俗共同体が崩壊する前後のギャップがキモになるわけだけれども、その点に関してのみはやや大雑把な捉えられ方をしているように思います。『塗仏の宴』を書いた時は、最後の共同体としての家族を取り上げてみたんですが、『陰摩羅鬼の瑕』のほうはもう構成員を欠いた概念としての家にせざるを得なくて。『邪魅の雫』だと、お化けはもう個人に還元されちゃう。今回はその先をながめてみました」

『鵼の碑』で扱われた事件は、昨今の社会状況と響き合う部分がある。しかしあくまで偶然に過ぎないと京極さんはいう。

「毎度毎度世相のことなんか意識せずに書いているんですけどね。社会に対する警鐘だの啓蒙だの、そういう意図はまったく込められてない(笑)。ただ、並行して『了巷説百物語』という小説を書いてるんですが、天保時代の政治や経済のダメな感じって、今とあんまり変わらないんですよね。水木さんの風刺マンガや『サザエさん』の時事ネタなんかを読むと、これ現代のことを描いてるんじゃないか? と思うことがよくあるんですが、それって作者に先見の明があるわけじゃなく、結局僕らは数百年進歩してない証拠なのかとさえ思えちゃう。少しは歴史に学べよ僕ら、と思います(笑)」

『鵼の碑』を読み終えた方は、扱われている事件とその真相に驚愕するはずだ。この大胆さと革新性こそが『姑獲鳥の夏』以来私たちを熱狂させてきた「百鬼夜行」シリーズの魅力。前作と同じことはくり返さない、という京極さんのプライドを感じる。

「主題となるお化けのバリエーションは被らないように選んでますし、キャラクターという部材を流用しているのと、同一時間軸上にあるというだけで、そもそも別物ですからね。『絡新婦の理』はオートポイエーシス[*]理論をベースに組み立てたし、『塗仏の宴』はフラクタル構造を目指したもので、それぞれ形がまるで違います。ただ読者の方は乗っかってるいくつかの層のどれかを選んでお読みになるんでしょうから、同じに感じる方もいるでしょうけど。そこはお好きにお読みいただければ」

『鵼の碑』は講談社ノベルスと単行本で同時発売。もちろんそれぞれの判型に合わせて、文章が書き分けられている。ノベルス版で832ページ、単行本で1280ページという超大作だ。ぜひ好みの形で手に入れてほしい。

 ロングインタビューを締めくくるにあたって、『鵼の碑』の読みどころを尋ねてみた。京極さんがこの手の質問に正面から答えないのは百も承知である。

「読みどころなんてありませんよ(笑)。僕は自分の小説を宣伝するのが苦手なんですよ。『全力を振り絞って書きました。絶対面白いので読んでください』みたいなことは言えません。読まなくても良いです。ただ買ってはほしいですね(笑)。買った後は、踏もうが焼こうがお好きにしてください。長いなら飛ばし読みしてもらっても構わない。僕の特技は整理整頓ですから、最後だけ読めばなんとなく話は分かると思います」

[*]「auto(自己)」と「poiesis(制作・創出など)」を組み合わせた造語。自律的に秩序が生成されるプロセスのことで、生物学のみならず、さまざまな分野に伝播し研究されている。

京極夏彦
きょうごく・なつひこ●1963年、北海道生まれ。94年『姑獲鳥の夏』でデビュー。日本推理作家協会賞長編部門(96年『魍魎の匣』)、直木賞(2004年『後巷説百物語』)など受賞多数。「百鬼夜行」「巷説百物語」「書楼弔堂」など多くのシリーズで読者の絶大な支持を得ている。

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