蘇った死者を葬(おく)る物語はこれまでの作品の先にあるもの
更新日:2013/12/4
“えいえん”という言葉はきっと、人によって変わる
一見、ストレートでピュアな少女の初恋と成長の物語がじつは、『冬のソナタ』や『羊をめぐる冒険』、さらにはチャンドラーやフィッツジェラルド、世阿弥の能にもつながっていた─。いかにも桜庭さんらしい、一筋縄ではいかない創作秘話。だが今回、桜庭さんはあえて真っ直ぐ純にということにもこだわったのだという。
「それは今回に限ったことではないのですけれど、最近ますます、真っ直ぐであることを恐れてはならないと思っています。
書いていると、ついひねた感じにしたくなったりするんですが、自分が読者だったり観客だったりしたときには、やっぱり真っ直ぐ伝わってくるものが好きだし、伝わってくるよな、って思うので」
背後に底知れぬ物語力=奥行を湛えながらも、真っ直ぐ純であることを恐れない。だからこそ、この“えいえんの恋人たち”の物語は、少女の時代をはるかに過ぎた大人たちの胸にもえいえんに普遍的に胸に迫ってくるのである。そして、そんなパープルアイのヒロインと死者との物語は─。クライマックスの、幻のように美しいせつなさは、まさに桜庭作品の真骨頂であり、さらには小説の醍醐味を堪能できるものでもあると思う。
「能を観ていたとき、最後に死者が舞うシーンで、ある種、時間空間を超えたような感覚を体験しました。ただ、そういう、いわば幻視するような感覚が最も表現できるのは、小説の文章ではないかとも思うんです。だから、小説だからできるそういう表現は、今回に限らず、時々凝縮して入れていきたいなと思うんですね。また、えいえんということでいえば、私自身はすでにすごい過去形で言っちゃってますが、彼らのように思ってた時代がきっとあったはずなんですよね(笑)。そんなふうに、その年齢とか状況によって、そうだよねと丸ごと思う人もいれば、それが永遠じゃないことを知っていて読む人もいる。『あしたのジョー』の最終回を観て大人と子供とではまったく捉え方が違うように“えいえん”という言葉がどっちに転ぶかというのも自分としては非常におもしろいなあと思っています」
取材・文=藤原理加 写真=下林彩子