その怪談を耳にしてはならない…『のぞきめ』作家が綴る、現実を侵食する最恐怪異譚

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/3

みみそぎ
みみそぎ』(三津田信三/KADOKAWA)

 現実と虚構の境界線がどんどんあいまいになっていく。と同時に感じたのは、強い悪寒。戦慄。ホラーの名手・三津田信三氏による最新作『みみそぎ』(三津田信三/KADOKAWA)は、現実を侵食していく最恐の怪異譚だ。

 三津田氏といえば、2001年『忌館 ホラー作家の棲む家』(講談社)でデビュー。「死相学探偵」シリーズや「家」シリーズ、「幽霊屋敷」シリーズなど、ホラーとミステリーを融合させた著作で知られ、2016年には『のぞきめ』(KADOKAWA)が映画化されたことも記憶に新しい。この本の冒頭では、『のぞきめ』の一節を引用しながら、何度も読者に対する警告が綴られる。「怪談奇談を欲して求めた段階で、その人は責任を負っている」「その手のものを希求して、わざわざ耳を欹てたり目に留めたりしたことで、その人は自ら怪異を招いている」「その怪異に対する責任が、本人にはある」——ページをめくれば、あなたの身にも何らかの障りが出るかもしれない。本書を読むならば、それを覚悟する必要があるだろう。

 この本の中心となるのは、作家の〈僕〉のもとに旧知の編集者・三間坂秋蔵から送られてきた、年季の入ったノート。それは、怪奇を愛した三間坂の祖父・萬造が記したと思われる怪異の記録だ。この本では、そのノートを入手した経緯が紹介された後、萬造のノートの一部が活字化され、記される。私たちは、作家や三間坂と同じようにノートの内容に目を通し、それにまつわる怪異を経験していくことになる。

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 ノートにはどのような内容が書かれているのか。貪るようにページをめくれば、すぐに困惑させられるだろう、「何なんだ、これは……」と。「もちろん途中で止める自由が読者にはある」と作家は言うが、どんなに背筋が凍ろうとも、どういうわけだか、まるで何かに取り憑かれたように読む手を止めることはできない。正体の分からない未知のものへの恐怖が身体中を支配していく。なぜ記されるのはノートの一部であり、全部ではないのか。それは最後まで読めば分かる。だが、ここには到底それを書くことができない。その内容が気になるならば、あなた自身で体験するより他にない。訳の分からない状態というのは、こんなにも忌々しく恐ろしいものなのか。あまりの得体の知れなさに戸惑うとともに、ノートの「正体」が気になって仕方がなくなってしまう。

 しかし、このノートの本当の「正体」をとらえることはおそらくは永遠にできないのだろう。『のぞきめ』では、怪異が示されたノートに対して作家なりの解釈が入った。だが、この作品のノートに対してはそうはいかないのだ。もちろん作家と三間坂はそれを試みるのだが、このノートがあらゆる解釈を撥ねつけて拒む内容を持つという事実に愕然とする。どんな解釈も通用しないことをはっきりと認めさせられる。そして、ノートを読んだことによる「障り」が、三間坂や作家、そして、私たちを支配していく。ノートを手にした三間坂が実際に経験したという怪異の体験談が語られると、もう震えが止まらない。自らのすぐそばにも怪異が迫ってくるように思えてならないのだ。

 すべての現象が何らかの解釈で解き明かされるわけではない。むしろ、読み解けなかった現象にこそ本当の恐怖があるように思う。味わってみないと分からない、恐ろしく怖くて奇妙な、不思議な経験。怪異を愛するならばどうしてそれを経験せずにいられるだろう。あなたもこの本に描かれた「記録」をひもといてみてはいかがだろうか。ただし、覚悟の上で。人が災難に遭う原因は、大抵が未知に対する好奇心。あなたがこの本を読むことでどんな事態に見舞われようとそれは自己責任だ。

文=アサトーミナミ

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