村上龍が71歳で迎えた新境地『ユーチューバー』。グロテスクな性描写や毒気はなくとも心地よい「文体」の魅力

文芸・カルチャー

更新日:2023/5/12

ユーチューバー
ユーチューバー』(村上龍/幻冬舎)

 賛否両論の問題作、という声もある小説だ。なるほど、村上龍『ユーチューバー』(幻冬舎)は、毀誉褒貶の分かれる小説ではあるだろう。かくいう筆者も掴みどころのない鵺(ぬえ)のような文体に、正直、最初はたじろいだ。だが、精読するうちにその印象は変わってゆく。そして気付くのだ。村上氏ならではの仕掛けや企みが、随所に罠のように待ち受けている本なのだ、と。

 主人公は、若くして文壇デビューした、御年71の作家・矢﨑健介。既に高い評価を得ている大御所という設定である。そんな矢﨑が「世界一もてない男」を自称する40歳手前のユーチューバーと、高級ホテルで知遇を得るところから話が始まる。ユーチューバーは、自身の運営するユーチューブ番組への出演を矢﨑に懇願。結果、矢﨑はこれまで秘匿していた自身の恋愛遍歴をあけすけに語る番組を、ネット上にアップする。

 主軸となるのは矢﨑の語りだ。著者の過去作に顕著だった眩暈を覚えるような毒気こそないが、あえて抑制を効かせただろう朴訥とした語りには、抗い難い魅力がある。事実を箇条書きにしたような文章は、何かの説明書を読んでいるような感覚にもなるのだが、その説明書が比類なき面白さなのだ。また、村上氏が影響された、というわけではないだろうが、その文体は中原昌也や木下古栗を連想させる部分も。そうした多様な解釈を誘発/許容するのも、本書の大きな特性だろう。

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 矢﨑の話は、女性遍歴の合間に音楽や映画についての知識を挿むことで、より立体的に浮かび上がる。ウクライナのゼレンスキー大統領を非難し、キューバ音楽やテニスについてうんちくを垂れ、(ユーチューブの)ディスカヴァリー・チャンネルについても語る。矢崎の語りは脱線しまくるが、その謎めいた奥行きと乾いたユーモアは中毒性がある。

 71歳にして到達した新境地。そう言ってもいいだろう。確かに、彼が得意としていた、赤裸々でグロテスクな性描写はここにはない。行間から滲み出る官能性も希薄だ。だが、徹底して無駄を削ぎ落した文体は、シンプルだからこそ滲み出る乾いた詩情を獲得している。偶然かもしれないが、コロナ禍ならではの張り詰めた空気と共振した作品にも思える。

 なお、矢﨑健介のモデルの一部が村上龍であることは、長年の読者なら気付くだろう。『長崎オランダ村』(92年)には、「ケン」という小説家が出てくるし、『エクスタシー』(93年)にも「ヤザキ」という男が登場する。設定的にも類似する過去作もあった。ただ、だからと言って、本書が過去作の模倣やコピーと言いたいわけではない。むしろ、これまで小説家として培ってきたテーマや文体や知識や口調を――あくまでも控えめにではあるが――彼なりに駆使して書き上げた。そんな風にも読める。

 更に付言すると、村上氏は日本経済を支える経営者を迎えた『日経スペシャル カンブリア宮殿 〜村上龍の経済トークライブ〜』や、文化人やタレントを招いた『Ryu’s Bar 気ままにいい夜』など、テレビ番組のホスト役も複数務めている。村上氏は好奇心旺盛で、他分野の最先端の動きに敏感。良い意味でミーハーなところがある、あたらしもの好きな人なのだと思う。本書の題材がユーチューブというのも、そうした実体験が執筆にフィードバックされていると言えるのではないだろうか。

文=土佐有明

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