村上春樹『ノルウェイの森』『中国行きのスロウ・ボート』の駒込を歩く。【村上主義者のための“巡礼の年”①】

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/3

 6年ぶりに出版された村上春樹の長編小説『街とその不確かな壁』。その舞台である街と図書館があるのは福島県Z**町とされており、その場所が実際にはどこなのか特定しようとする動きもあるようだ。久々に長編小説が出た今年を“巡礼の年”として、これまでの村上作品で描かれた場所を訪ねた。

村上主義者のための“巡礼の年” 第1回 駒込
『中国行きのスロウ・ボート』

中国行きのスロウ・ボート
中国行きのスロウ・ボート』(村上春樹/中央公論新社)

誤謬は果たして逆説的な欲望たりうるのだろうか?

「中国行きのスロウ・ボート」(村上春樹/『中国行きのスロウ・ボート』所収/中央公論新社)

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駒込駅

 駒込という地名は、ヤマトタケルノミコトが東征の際、高い場所から味方の軍勢を見て言ったと伝えられている「駒込みたり(馬がたくさん集まっている)」という言葉が由来だという。円を描いて走る山手線のてっぺん辺りに位置する少々地味な街(失敬)である駒込が伝説の時代から存在するのかと思うと、何やら不思議な気持ちになってくる(かつてこの地に牧場があり馬がたくさんいたから、という説もあるそうだが)。柳沢吉保が作った美しい日本庭園である六義園、古河財閥の本宅であったバラが咲き誇る西洋風の旧古河庭園があることからわかるように、駒込周辺は坂の多い街である(駅も傾斜地にある)。

 サックス奏者ソニー・ロリンズの演奏による“On A Slow Boat To China”からタイトルが取られた、村上春樹が初めて書いた短編「中国行きのスロウ・ボート」には、山手線駒込駅での場面が描かれている。主人公で学生の僕は、夜11時の門限を気にする中国人の女の子を新宿から間違えて内周りの山手線に乗せてしまったことを謝ろうと、外回りの電車に乗って駒込駅まで行く。

 彼女が駒込駅に姿を見せたのは十一時を十分ばかりまわったところだった。階段のわきに立っている僕を見て彼女は力なく笑った。
「間違えちゃったんだ」僕は彼女と向き合うようにして、そう言った。彼女は黙っていた。
(中略)
 彼女は涙に濡れた前髪をわきにやって微笑んだ。「いいのよ。そもそもここは私の居るべき場所じゃないのよ」「中国行きのスロウ・ボート」

 諦めの言葉を口にする女の子に、関係を初めからやり直そうと言って電話番号をもらった僕だったが、それを間違ってタバコの空箱と一緒に駅のゴミ箱に捨ててしまい、二度と会うことはなかった。物語の終盤、山手線に乗っている30歳を超えた僕は「僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない」と諦念に支配されている。

 誤謬……、誤謬というのはあの中国人の女子大生が言ったように(あるいは精神分析医の言うように)結局は逆説的な欲望であるのかもしれない。どこにも出口などないのだ。「中国行きのスロウ・ボート」

 実はこの小説は3度書かれている。1980年に文芸誌「海」に掲載された後、83年刊行の単行本『中国行きのスロウ・ボート』に収録される際に書き直され、さらに90年刊行の『村上春樹全作品 1979~1989』に収録する際にも加筆修正されているという。おそらく村上の中で大事な作品なのだろう(本稿は文庫版『中国行きのスロウ・ボート』を参照している)。

 駒込は『ノルウェイの森』にも出てくる地名だ。物語の冒頭、中央線の車内で邂逅した主人公ワタナベと直子は四ツ谷駅で電車を下り、そのまま駒込まで会話もなく延々と歩き続け、駅の近くのそば屋へ入る。

「ここはどこ?」と直子がふと気づいたように訊ねた。
「駒込」と僕は言った。「知らなかったの? 我々はぐるっと回ったんだよ」
「どうしてこんなところに来たの?」
「君が来たんだよ。僕はあとをついてきただけ」『ノルウェイの森』

 この二人の偶然の出会い(ある意味での誤謬と言えるだろう)がなければ『ノルウェイの森』という物語は始まらなかったのだから、駒込は村上作品にとって“間違ってしまうこと”を運命づけられた場所、逆説的な欲望が表出するところなのかもしれない。

文・写真=成田全(ナリタタモツ)

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