約160キロを馬と走る競技に向かう少女。陰湿ないじめと父の死を馬との対話を通して乗り越える壮大な物語『天翔る』

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/24

天翔る
天翔る』(村山由佳/講談社)

 窮地に立たされた時、人は無意識に祈ってしまう。「神様、どうか助けてください」と。だが、その願いはいつも聞き入れてもらえるわけではない。村山由佳氏による長編小説『天翔る』(講談社)の主人公・“まりも”も、神様に「願いを聞いてもらえなかった」側の一人だった。

 まりもは、小学5年生の冬、学校に行けなくなった。突然はじまったいじめも原因のひとつだったが、何よりも彼女の心を引き裂いたのは、最愛の父親の死であった。まりもの母は、まりもが幼い頃に家を出ていた。そのため、まりもにとって父は唯一無二の存在だった。

“「神様なんて、大っ嫌い」”

“「だってさ、神様、父ちゃんの時だってあんなにお祈りしたのに聞いてくんなかったよ。どうか助けて下さい、父ちゃんを死なせないで、ってあれほど必死で祈ったのに、全然聞いてくんなかった」”

 必死に神様に祈った経験が、私にもある。だから、まりもの言葉は身に沁みた。私も少し前まで、「神様なんて、大っ嫌い」だった。

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 心のバランスを崩し、学校に行けないことに負い目を感じながら過ごしていたまりも。そんな彼女を支えたのは、根気強く見守る祖父母と、近所に住む看護師・貴子の存在だった。貴子もまた心に深い傷を抱えていた一人であったが、貴子には“心の拠り所”といえる場所があった。それが、志渡銀次郎が営む乗馬牧場〈シルバー・ランチ〉だった。

 ある日、貴子は「シルバー・ランチにまりもを連れて行きたい」と祖父母に提案する。少しでも気晴らしになれば――はじめは、そんな軽い思いつきだった。だが、ここでの出会いが、まりもと貴子、志渡の人生を大きく変えることとなる。

 まりもが乗馬のレッスンにかける情熱は、人一倍真剣だった。教えれば教えるほどスポンジのように吸収する素直さと、天性の勘の良さ、驚くほどの我慢強さに志渡は舌を巻いた。レッスンだけではなく、馬たちの世話や牧場の作業も実に楽しそうにこなす様子を見て、志渡はまりもにこれまで培ってきた馬へのノウハウを注ぎ込むことを決意する。

 そんな折、志渡のもとに思わぬ来客が訪れた。大手芸能プロダクションの社長を務める、漆原一正である。彼は志渡に自分の馬の調教を頼みに来たのだが、偶然居合わせたまりもに目を留め、彼女の才能を見出す。漆原は、「エンデュランス」という競技に魅せられており、世界に通用する馬と騎手の育成の担い手を探していた。エンデュランス競技に耐えうる馬を志渡に調教してもらい、まりもに騎手を務めてほしい。それが漆原の提案であり、望みだった。

 エンデュランスとは、野山にめぐらされた百マイル(160キロ)の距離をまる一日かけて完走する過酷な競技である。エンデュランス競技の一番の特色は、途中で何度にもわたり獣医による馬体の健康チェックがある点だ。馬に異状があれば、人馬ともに失権となる。漆原は、力を込めて語った。

“要するにエンデュランスというやつは、ほかのどんな乗馬競技よりも、馬という生きものに対してフェアであることを要求される競技なんだよ”

「完走することが勝つこと」――エンデュランスにおける世界共通の合言葉を教わったまりもは、エンデュランス競技への第一歩を踏み出す。

 本書は、物語全編を通して馬への愛情が満ちあふれている。人にフォーカスしながらも、決して馬の尊厳や命をないがしろにしない。エンデュランス競技のこまやかな描写からも、その決意がうかがえる。特に、まりもと愛馬「サイファ」の絆は、深くかけがえのないものとして私の心に残った。

 少しずつ日常を取り戻しつつあったまりもが、再び心のバランスを崩した時。過去に慄き悪夢にうなされる貴子が、自分自身を取り戻したいと願った時。何もかもを失い、酒に溺れた志渡が「生き直そう」と決意した時。彼らの隣には、いつも馬がいた。共通言語で話せないのに、なぜか通じ合える。そういう相手と過ごす時間が心を立て直してくれることは、存外多い。

 神様なんて、大っ嫌い――そう言い放ったまりもが、物語後半に到達する境地に、私は何度でも震える。この境地に、私もたどり着きたい。はじめて本書に出会った時から、そう願い、手を伸ばし続けてきた。馬と人の絆を通して、「生き抜くこと」そのものを描ききった本書が、天を翔ける馬の如く、圧倒的な力を放ち、人が持つ生存本能を呼び起こしてくれることを、私はつゆほども疑わず信じている。

文=碧月はる

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