寺地はるな最新作 舞台は小さな製菓会社。正社員とパート――仕事を通して人間関係が赤裸々に描かれる『こまどりたちが歌うなら』

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/26

こまどりたちが歌うなら
こまどりたちが歌うなら』(寺地はるな/集英社)

 対人関係で悩む時、いつも同じことを思う。この人が“悪”の成分100%の人間だったら、どれほど楽だろう、と。好きな部分も、よき思い出も、嫌いになりきれない要素もある。その中で、それでもどうしても“しんどい”と感じる側面がある時に、相手との関係に悩むのだ。「あいつは悪人だ」と言い切れる人が相手なら、誰しもこんなに悩まない。

 寺地はるな氏による新著『こまどりたちが歌うなら』(集英社)は、善人でも悪人でもない人間同士だからこそ生まれる葛藤と軋轢が描かれている。主人公の小松茉子(まこ)は、前職の職場環境や人間関係に疲れ果て、親戚が営む製菓会社に転職した。茉子が入社した吉成製菓は社員35名の小さな会社で、饅頭「こまどりのうた」や小ぶりな大福「はばたき」などの和菓子の製造・販売を手がけている。単に親戚のツテがあったというだけでなく、茉子には吉成製菓への思い入れがあった。

“涙はしょっぱい、お菓子は甘い。”

 幼い頃、祖父の葬儀で泣いていた茉子に、とある親戚が「こまどりのうた」を差し出しながらそう呟いた。この思い出が、茉子の中に強く残っていたのである。だが、いざ入社してみると、吉成製菓は労働基準法を著しく無視した古い就業規則がはびこる場所だった。昼休憩すらまともに取れず、残業はタイムカードを押した後に行う。会社の悪しき慣習を変えようと声を上げる茉子だったが、同僚の亀田から「たぶん、この会社では嫌われる」と苦言を呈される。そればかりか、営業職の江島からは「コネの子」と呼ばれ、あからさまに見下される始末。納得できないモヤモヤを抱えて日々を送る茉子だったが、職場の人たちが胸に秘めた過去や想いに触れるごとに、少しずつ心境が変化していく。

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 誰よりも仕事を手早くこなし、正社員と変わらぬ業務を担っているのにパートとして働く亀田。声も態度も大きく、部下を怒鳴るのが日課の江島。江島に毎日怒鳴られ、時には「死ね」と暴言を吐かれる正置。父の後を継いで社長に就任したものの、周りから「頼りない」と軽んじられる伸吾。彼らは一様にそれぞれの荷を背負っており、それゆえにどこか頑なで他者にSOSを出すことを嫌う。茉子はそんな人々に必死に声をかけるが、どこか言葉が上滑りしていく。茉子には前職で苦い経験があり、同じ轍を踏みたくないという思いがあった。だが、そう思えば思うほど、茉子の行動は空回りする。

“「言わなきゃわからない、伝わらないよ、みたいなアドバイスする人って、恵まれてる人なんですよ、結局。『対話』ってね、言葉の通じる人同士でしか、無理なんです」”

 茉子のかつての同僚が、彼女に向けた言葉である。素直な感情を瞬間的に言葉にする能力は、己の尊厳を守るためになくてはならないものだ。だがそれは、「負の感情を口にした際に耳を傾けてもらえた経験」が積み重なってはじめて体得できる能力なのだと私は思う。否定や蔑みを日常的に受けてきた人間は、怒りの瞬発力の代わりに愛想笑いを身につける。心を無にして、口元には笑みを浮かべ、相手にとって心地いい返事だけを繰り返す。そうやって生きてきた者にとって、茉子の存在は眩しく映るのだろう。

「正置に対する江島の態度はパワハラだ」と言い切る茉子に対し、煮えきらない正置。社長でありながら決断力がなく、常に周囲の目を気にする伸吾。彼らの発言や行動に、苛立ちを覚えなかったといえば嘘になる。だが、現実の私は、彼らとよく似ている。だからこそ、彼らを見ると苛立ち、茉子に羨望を覚えるのかもしれない。ただ、茉子自身もあらゆる事柄に悩み、傷つき、葛藤している事実を忘れたくない。周囲に「強い人」と評される人は、往々にしてその痛みを理解してもらえない。「あなたはいいよね」と言われる側の痛みに無頓着であることは、他者を平気で踏みつけることと同義である。

 人同士は、完全にはわかり合えない。ジグソーパズルのピースのように、すべてのパーツがぴったりハマることもない。だからこそ私たちは話し合い、わかり合おうと努めるのだろう。「お仕事小説」の枠を越え、“人間”そのものにフォーカスした物語は、涙と共に飲み込む和菓子のように甘くてしょっぱい。善人にも悪人にもなりきれない私たちは、甘みも塩気もかみしめて、ままならない日々を生きている。そんな日常に疲れたら、少し特別な和菓子を買いに行こう。どんな時でも和菓子を味わう時間を慈しむ、たくましい茉子のように。

文=碧月はる

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