OLの妄想がおじさんを再定義する!? 辛酸なめ子による人気連載小説『電車のおじさん』

文芸・カルチャー

公開日:2021/4/14

電車のおじさん
『電車のおじさん』(辛酸なめ子/小学館)

 あなたは“おじさん”について深く考えたことがあるだろうか。私は年配の男性が原因でストレスを感じると、つい「これだからおじさんは」と心の中で毒づいてしまう。おじさんは私にとってネガティブな風景の一部であり、慮る対象から外れてしまっていた。『電車のおじさん』(辛酸なめ子/小学館)を読んで、そんな自分に気づいたのだ。

『電車のおじさん』の物語は満員電車から始まる。OLの玉恵は、通勤中に遭遇するおじさんたちを観察している。シャツの素材で家庭事情を妄想したり、不可解な行動を取るおじさんを考察したり……。ある日、満員電車とはいえ強く押してくるおじさんに注意したところ、玉恵は凄まじい勢いで怒鳴り返されてしまう。衝撃を受けた玉恵はそのおじさんのことが気になり始め、再び電車で遭遇したおじさんを尾行する。するとおじさんの意外な一面が見えてくるのであった……。

 本書を読んで、私の中のおじさん像が激変した。そもそもおじさんという言葉の持つ懐の深さに気づかされた。おじさんは年齢による区分のようで、実は必ずしもそうではない。30代でおじさんに見える人もいれば、70代以上でも(おじいさんではなく)おじさんに見える人もいる。また、おじさんを見ている側もそれぞれだ。以前の私のように、おじさんをネガティブな目で見てしまう人も少なくないはず。一方で、おじさんに伴いやすい経済力や包容力に惹かれる人もいれば、単純におじさんが恋愛対象になる人もいるだろう。

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 主人公の玉恵もまた偶然出会った電車のおじさんに惹かれるのだが、彼女はおじさんに対して経済的援助も恋愛も求めていない。玉恵が守りたい領域に踏み込まず、程よい距離を保てるおじさんに、安心のようなものを感じているのだ。この領域というものは、日常生活の至る所で侵犯される。上司のデリカシーのない一言から道ですれ違う人の視線まで、大小問わず領域に触れてくるものが溢れている。特に色恋沙汰になると、相手はこの領域にズカズカと入って距離を詰めてくるものだ。一方で、誰からも意識されない、ときめきのない日々は心を乾燥させる。このジレンマから逃れる方法はあるのだろうか。

 玉恵はその回答として、“プラトニックラブ”という嗜みを習得した。玉恵の定義する“プラトニックラブ”とは、恋愛関係に至らず、対象の相手に好意を気づかせることもなく、妄想のみでときめきを生み出す恋愛手法だ。片想いの快感を抽出してリスクや葛藤を間引いたこの処世術が、玉恵の優れた観察眼や妄想力と重なることで、化学反応が起こる。ありきたりな日常の解像度がグッと高まり、笑えるストーリーになっていく。そのストーリーの柱として玉恵をニュートラルな精神に引き戻してくれる存在が、おじさんなのだ。

 コロナ禍で人と接する機会が減った。それに伴って、他者の背景を想像することも少なくなった気がする。道を行き交う人、偶然同じ車両に乗り合わせた人。老若男女問わず、一人ひとりには異なる人生がある。ニューノーマルと呼ばれる生活の中で、そういう当たり前のことを忘れていきそうで怖い。もしかしたら老人、おじさん・おばさん、若者、その他くらいの粗いモザイクでしか他者を分類できなくなるかもしれない。そんなふうに世界を平坦にしか受け取れなくなって相手への配慮が欠けたら、私も何かに分類されて疎まれる存在になるのだろう。

 もしも玉恵のように異常なほどクローズアップした視点で相手を観察し、点と点を結んで妄想を繰り広げる力があれば、私たちは凝り固まった常識のカテゴライズを越えられるかもしれない。もちろん、本書はそんな壮大なメッセージを伝える目的の本ではないと思う。ただただ笑いながらちょっと変わったOLの、ありふれた日常を見守るだけだ。それでも読後はちょっと雑踏の見え方が変わるということを伝えたかった。

 さて、私も街に出て自分の“推しおじさん”を探してみよう。

文=宿木雪樹