祖父が体調を崩して半年。今日こそは、と楓は勇気を振り絞って「あの疑問」をぶつける/名探偵のままでいて④

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/2

「香苗が淹れたコーヒーは冷めても旨いんだよ」

 祖父は笑みをたたえたまま臀部をゆっくりとずらして座り直した。

 そして、少しだけ震える手でコーヒーを啜ってから口を開いた。

「今日はコーヒーがこぼれるおそれはなさそうだ。自分でいうのもなんだが、相当に調子がいいのだろうね。そこであえて確かめたい。これはもう勘としかいいようがないんだが」

 祖父はコーヒーにまたひとつ口をつけてから、楓の顔をまっすぐに見据えた。

「ぼくに大事な話があるんだろう。その顔をみれば分かる」

 楓は、少しだけ泣きそうになった。

〝ぼく〟という、祖父ならではの一人称。

 冴え冴えとした、黒目がちの優しい眼差し。

 まるで、あの頃の祖父が帰ってきたようだった。

 傾眠状態にないせいか、滑舌もしっかりしている。

 思えばこの半年間、体調を気遣うあまり、真剣な会話はほとんど交わしていなかった。

 やはり確かめるのは今しかない。

 楓は勇気を振り絞り、「そうなの、実はね」と口火を切った。

「わたし、おじいちゃんに訊きたいことがあるんだ」

「なんだい」

「おじいちゃんさ」

 泣きそうになるのを懸命に我慢する。

「おじいちゃんさ……自分で自分が病気だってこと、分かってるんじゃないの? 現実じゃなくていつもまぼろしを見てるってこと、自覚しているんじゃないの?」

 だめだ。

 声が震えてしまう。

「でも、わたしに心配かけたくないから」

 涙が出てきた。

 絶対に泣かないって決めてたのに。

「わたしに心配かけたくないから、自覚してないふりをしてるんじゃないの?」

 祖父は柔らかい笑みをたたえたまま、またひと口、コーヒーを啜った。

 そして、カップを慎重な手付きでゆっくりとベッド横のダイニングテーブルに置いた。

「そう、楓のいうとおりだ。ぼくはまぎれもなく、レビー小体型認知症の患者だよ」

 

 やはり直感は当たっていた。

 祖父の黒い瞳とその中の虹彩は硝子細工のようにきめ細やかであり、吸い込まれそうな深遠さに満ちていた。

 そう――そこには、昔となんら変わらない知性の光が宿っていたのだ。

 そしてそれこそが、楓本人も気付いていなかった、あの違和感の正体だったのである。

<第5回に続く>

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