憧れのキッチン用品メーカーに入社。配属になった企画開発室は個性豊かなメンバーばかり/株式会社シェフ工房 企画開発室②

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/27

株式会社シェフ工房 企画開発室』(森崎緩/KADOKAWA)第2回【全4回】

札幌にあるキッチン用品メーカー「シェフ工房」のアイディアグッズに魅了された新津七雪。憧れの「シェフ工房」に入社し製品への熱意が買われて企画開発室に配属される。個性豊かなメンバーに囲まれながら、新津は次のヒット商品を生み出すべく北海道での新生活をスタートする。『株式会社シェフ工房 企画開発室』は、『総務課の播上君のお弁当』シリーズで話題になった森崎緩氏の書き下ろし作品。魅力的な料理のレシピも満載! キッチン用品との出会いで人生を変えた主人公の成長物語をお届けします!

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株式会社シェフ工房 企画開発室
『株式会社シェフ工房 企画開発室』(森崎緩/KADOKAWA)

 私が大学三年で就職活動を始めた頃、シェフ工房が新卒を募集しているという情報を得た。

 運命だと思った。

 いてもたってもいられず即座にエントリーした。オンライン面接を経て、二度目の面接では札幌まで来て欲しいと言われ、長野県から新幹線と飛行機を乗り継いで北海道へ飛んだ。片道六時間は掛かったけど、その六時間が苦にならなかった。憧れの会社の採用面接を受けられるというだけで嬉しくて仕方なかったし、絶対受かってみせると決意していた。

 面接ではありったけの気持ちをぶつけられたと思う。

「大学時代はスキー部に所属し、あいにくの怪我で選手は引退せざるを得なかったのですが、以降はマネージャーとして部活動を補佐して参りました。マネージャーになる前はさっぱり料理ができなかったのですが、部員の食事や軽食作りなどで御社の調理器具と出会い、今では趣味と特技が料理だと言えるほどになりました。今の私があるのも御社の製品のお蔭です!」

 この日のために長かった髪を切り、就活用の地味めなショートボブにした。おろしたてのリクルートスーツの背をできる限りぴんと伸ばし、私は声を張り上げる。こう見えて度胸はある方だ。昔から、緊張すればするほどやる気も増すのが不思議だった。

 初めて入ったシェフ工房の社屋はこぢんまりとしていた。十五平米あるかないかくらいの小さな会議室に、面接官は二人いた。表情一つ変えずに落ち着き払ってこちらを見据える男性と、対照的に目を輝かせ頰を紅潮させている女性だ。男性は営業部長の堀井さんで、女性の方は企画開発室長の深原さんと名乗った。

「新津七雪さん。本当だ、趣味と特技に『料理』ってありますね」

 深原さんは履歴書に一度目を落とした後、改めて私を見た。眼差しの穏やかな人だった。

「弊社の製品、新津さんはどれがお気に入りですか?」

 続けてそう尋ねられ、正直に答えた。

「はい。御社の後付けサラダスピナーは既存のザルにセットすれば使える手軽さがいいと存じます。取り外しやすく洗いやすいというのもありますし。あとは計量できるお玉も大変よかったです。私はあの製品で、料理に計量がどれほど大切かということを学びました。それから持ち手付きのボウル、あれは搔き混ぜる時に少ない力でもしっかりと支えられるので安心できますし、注ぎ口がついているのも助かりました」

 私の答えを聞いた深原さんは嬉しげに口元をゆるませる。そして腰を浮かせたかと思うと、テーブルから身を乗り出さん勢いで言った。

「他には? うちの製品でよかったものがあれば是非教えて!」

「室長、ここは採用面接の場ですよ。モニター調査をするわけじゃ――」

「こんなにいろいろ使ってくれてる方、モニターさんでも滅多にいません。貴重なんです」

 堀井さんが窘めようとしたのを笑顔で制し、深原さんは私に向き直る。

 期待されているようなので、私は思いの丈を告げた。

「他ですと、シリコンスチーマーが二重底という仕様もよかったです。電子レンジで加熱するとどうしても熱くなって持てなくなるので、底が別素材だと助かります。あと、解凍プレートも部活では食材をまとめ買いして冷凍保存することが多かったので、いざという時に活躍してくれました。地味に便利だったのが缶詰用の油漉し器です。缶のサイズに合うのも使いやすかったですし、ツナ缶の油切り結構面倒だったので助かりました」

 そこまで語った時、深原さんは堀井さんに向かって言った。

「採用しましょう!」

 たちまち堀井さんは慌てふためき、先程までの冷静さを忘れて声を上げる。

「駄目ですよ室長、面接の場でそういうことを断言しては!」

「でもこんな商品知識豊富な子、よそに取られたらどうするんですか」

「ここで採用を告げるわけにはいかないんです。わかってください」

「真面目ですよねえ、部長って」

 ぼやいた深原さんは、私に向かって微笑みかける。

「新津さん、札幌はいいところですよ。食べ物は美味しいし交通の便はいいし買い物にも不便しないし観光名所も山ほどあるし……あとね、スギ花粉がないんです。お勧めします」

 どうやら好感触だったらしいと、その時ようやく実感できた。

 

 そして現在、私はシェフ工房企画開発室の一員となり、深原室長の下で働いている。

「あの面接の時、すごい人材見つけちゃったと思ってね」

 今でも室長は採用面接でのやり取りについて語ることがあった。お昼休みに各々がお弁当を食べながらの雑談タイムでも、かれこれ半年以上前の出来事をしみじみと思い出していたようだ。私も未だにはっきりと覚えていて、ここで働きたいという気持ちが一層募った瞬間だった。

「部長がいいって言ってくれたらその場で採用決めたんだけどなあ。ごめんね新津さん」

「いいえ、採用していただけて嬉しいです」

 謝られてしまったけど、さすがに採用面接の場で合否が出たらまずいことはわかる。それに私としてはシェフ工房の社員になれたならそれで十分だった。

 しかも新製品開発に携われるというのだから最高だ。

 企画開発室は私を含めて人員四名の小さな部署だった。正式名称は『営業部企画開発室』というらしく、営業部からのマーケティング情報などを元に新規の製品開発を行う部署だ。シェフ工房自体がさほど大きな会社ではないけど、あれだけ多くの便利なキッチン用品がたった四人――私の入社前は三人の部署から生まれたというのだから驚かざるを得ない。

 そんな至高のアイディアがぎゅっと詰まっているのはおよそ五十平米の小さなオフィスだ。一人に一つ与えられるデスクが四台、島を作るみたいにくっつけて置いてある。その他に製品資料を詰め込んだファイルキャビネットが二台あり、会議用の丸テーブルもあるので思いのほか手狭だ。オフィスの隅には、聴覚検査で使うような四角い防音ブースがある。どうしてもアイディアが出ない時はそこに籠って集中することもあるらしいけど、私はまだ入ったことがない。

「とにかく、新津さんは期待の新人だからね。今後ともよろしく」

 そう言って微笑む深原室長は、本名を深原杏子さんといい、ベージュブラウンの髪を高く結わえた優しそうな人だ。いつもおっとりしていて、実際怒ったところは見たことがないと他の人も言っていた。お昼には手製のサンドイッチを持ってきており、聞くところによると室長もあの後付けサラダスピナーを愛用しているとのことだ。

「はい、頑張ります」

 私が頷くと、隣で五味さんが明るく笑った。

「あんまり言われるとプレッシャーじゃないですか? それでなくても新津さん、肩に力入ってるのに」

「そんなことないですよ」

 否定した私をよそに、深原室長が納得したそぶりを見せる。

「確かにそうかも。五味くんも新人の頃はそうだったもんね?」

「俺はそんなことないですけど」

「いやあったよ。そっか、上司として気をつけないと」

「なかったですってば……」

 あからさまに不服そうな五味さんを見て、笑わないようにするのが大変だった。

 私が来るまで企画開発室一番の若手だったという五味啓人さんは、私の三年先輩だ。企画開発室では紅一点ならぬ『黒一点』でもあり、そのせいで立場が弱いとよく零している。優しそうな顔立ちの長身痩軀のお兄さんだけどマッスルボディを目指して筋トレを続けているらしく、ランチはいつも蒸した鶏肉とブロッコリーだった。もちろんシェフ工房の二重底シリコンスチーマーを使いこなしているそうだ。

「新人さんも来たことだし、企画開発室も心機一転、四人で頑張っていきたいね!」

 深原室長が張り切る中、私はオフィスの隅にある防音ブースが気になって仕方がない。今日も朝からずっと『使用中』の札が下がっていて、それはよくあることだからいいものの、もうお昼休みなのに出てくる気配がないのは心配だ。

「あの、出町さんはお昼いいんですか?」

 恐る恐る尋ねると、深原室長は今気づいたというようにはっとする。

「そうだった。一応、声掛けておこうか」

 そうして防音ブースのドアを軽くノックすると、ややあってからドアが開いて、申し訳なさそうな顔の出町さんが現れた。

「す、すみません。集中してたもんで時間忘れてて……」

 私の七年先輩にあたる出町かがりさんは、ぱっつん前髪と外ハネボブがよく似合う小柄な人だ。ぱっちりした目とあどけなさの残る口元、愛くるしい顔立ちも相まって、実年齢を聞かされた時には正直驚いてしまった。でも一番驚かされたのは、シェフ工房の売れ筋商品の大半を企画したのが他でもない出町さんだったという事実だ。トング式ピーラーも後付けサラダスピナーも二重底シリコンスチーマーも、全て出町さんの企画した製品だった。

 シェフ工房が誇る天才プランナーは自分の席からお弁当を取ってくると、皆と一緒に会議用テーブルを囲む。柔らかそうな頰にいくらか疲れの色を滲ませて言った。

「製造部に新製品の別案も欲しいって言われてたんです。前の案だと難しいかもって話で」

「ああ、やかんの件?」

 深原室長がサンドイッチを咥えたまま目を瞬かせる。

「あれもう本決まりじゃなかったんだ?」

「外注先からちょっと難しいって言われたみたいなんですよ」

 憂鬱そうな五味さんの言葉に、出町さんが頷いた。

「鋳物なんでうちで作るものと同じようにはいかないって、製造部からも言われてます」

 シェフ工房の製品を企画、立案、開発するのは企画開発室の仕事だけど、実際に作るのは製造部の仕事だ。この社屋には併設して工場があり、製造部の人たちはそこで日々素敵なキッチン用品を作り続けている。

 もっともうちの工場の設備はプラスチックやシリコン製品こそ作れても、鋳物や電化製品を作れるものではない。そのため、そういった製品を開発する際は外部の製造メーカーに外注する形となる。今回のやかんも金属製なので、外注先に難しいと言われれば仕様を変更せざるを得ない。

「まあ、うちは好き放題言うだけだもんね。あれが欲しい、これを作りたいって」

 深原室長の言う通り、企画開発室はあくまでもアイディアを出すのが仕事だ。試作品さえ作るのは製造部の役目だから、向こうに無理だと言われたらせっかくの新製品も諦めることがある。だからこそ製造の皆さんとは仲良くね、と配属直後に言われていた。

 ただ私は入社一ヶ月の新人で、製造部の皆さんとは出退勤の挨拶をすることはあっても、仕事で接する機会はまだない。これからのために肝に銘じておくことにする。

「――あ、それで思い出した」

 唐突に声を上げた深原室長が、一度中座して自分のデスクへ向かった。引き出しを開ける音がして、すぐにこちらへ戻ってくる。そしてにっこり微笑んだかと思うと、私に何かを差し出した。

「これ、新津さんに。企画開発室員には全員渡してるの」

 手渡されたのはシンプルなリングノートだ。表紙にはシェフ工房のロゴがあり、お鍋を抱えるタヌールくんのイラストが絵本風のタッチで描かれている。中身を開けば罫線が引かれているだけの、まっさらな新品のノートだった。

「ありがとうございます。これは……?」

 受け取ってお礼を言うと、室長は明るい口調で答える。

「アイディアノートってところかな。あ、タイトルはなんでもいいけどね。企画開発室はひらめきや思いつきが大切な部署だから、頭に浮かんだことはなんでもメモする習慣を持ってもらいたいの」

「アイディアノート……」

 その単語を繰り返して呟くと、出町さんが語を継いだ。

「私は『エジソンノート』って名づけてるんだわ。偉人にあやかって、うんとネタが浮かぶように」

「さすが出町さん、発明王ですね」

 思わず私がそう言うと、彼女はふわふわの頰をほんのり赤くする。

「な……なんもだよ。大したことないって……」

 出町さんは北海道訛りの強い人だ。シェフ工房は北海道の企業で、周りは地元の人ばかりだから誰もが大なり小なり北海道弁を使う。こういうところも北海道に来たなと思う瞬間の一つだった。

 それに対し、私がピンと来ていない場合にはすかさず五味さんが教えてくれる。

「『なんも』というのは『ちっとも』とか『なんでもない』って意味だよ」

「勉強になります」

 聞くところによると五味さんは北海道出身ではないにもかかわらず、この三年ほどですっかり北海道弁をマスターしてしまったそうだ。偉大なる先達である。

 ともあれ、私もノートをいただいたからには企画開発室の仕事に役立てたい。

「新津さんも料理する人だもんね。いいアイディアはきっと日常に眠ってるよ」

 深原室長の言葉に、私も決意を込めて顎を引く。

「はい。頭に浮かんだことは書き留めておくようにします」

 これまではシェフ工房の商品に感動するばかりだった私が、いよいよ作る側に回る。自分が料理をする上で欲しいもの、あったらいいなと思うものをこのノートに埋め尽くしていきたい。そのうち私が作った製品が市場に出回り、長野にいる両親や大学時代の友人たちの手に渡る日も来るかもしれない。そう思うとわくわくしてくる。

 ノートのタイトル、後で考えておこう。

「新津さん、お弁当もお手製? 一人暮らしなのにすごいな」

 五味さんが感心したように言ったので、笑って答えた。

「ありがとうございます。料理は慣れてるので、なんとかなってます」

「えらいねえ。朝もちゃんと起きれるんだ」

 出町さんにまで褒められて、ちょっと照れてしまう。大学時代のマネージャー経験で料理と早起きが得意になった。何事もやってみるものだ。

 ちなみに今夜は飲み会があるので、お弁当はちょっと少なめの分量にしてある。

「今日の主役は新津さんだからね。いっぱい食べたり飲んだりしてね」

 深原室長がそう言うと、五味さんが心配そうに眉を顰めた。

「あれ、新津さんはラム肉大丈夫? 本州だと苦手な人もよくいるけど」

「平気です。全然食べますよ」

「よかった。北海道じゃ新歓と言えばジンパだっけさ」

 出町さんの言うジンパとは、ジンギスカンパーティーの略だ。北海道では新歓はもちろん、花見やキャンプといった季節のイベントでもよく食べられているらしい。

 実は長野県でもジンギスカンは割とポピュラーだったりする。長野市には『ジンギスカン街道』と呼ばれる地域があり、国道沿いにジンギスカンのお店が何軒も立ち並んでいた。そういう縁で私も何度か食べたことがあるし、ラム肉には全く抵抗がない。

 だから今日の飲み会は楽しみだ。言われたように、いっぱい食べたり飲んだりしようと思う。

<第3回に続く>

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