まつもとあつし 電子書籍は読書の未来を変える?

更新日:2013/8/14

自炊を進める中で出てくる悩みが、仲俣さんが指摘するような、PDFファイルが沢山できることによって、逆に必要な本が探し出しにくくなる、という問題です。「スマート読書入門」では、PDFファイルの中のテキストの検索や、読書メモ、ブクログなどの「バーチャル本棚」でそれを出来るだけ解決する方法を解説しています。

図書館の充実と電子書籍

仲俣:僕は雑誌編集者として過ごした時間が長く、著者として一冊の本をまるごと書いたのは30代半ばを過ぎてからでした。そのときに、「一冊の本を書くためにはこんなにたくさんの本を読まなければならないのか」と、初めて思い知らされた。もちろん、それはいい意味での「驚き」でした。それまではフロー情報を扱う雑誌の人間だったので、ストック情報の結節点として「書籍」を意識して作ったこともなかったし、ましてや書いたこともなかったんですね。

実際に書き始めてみると、当たり前ですけど、1行の文章を書くのにさえ、決断や根拠がいる。自分のなかでロジカルに導き出せることはいいですが、事実関係や過去の議論などは、それらを裏付ける著作をすべて本で買っていくとたいへんな量になる。日本で大学の先生以外のフリーの人間が本を書くのが大変な理由のひとつに、公共図書館があまり整備されていなくて、自腹で本を買わなければならない、という問題があります。

こんな笑えない話を聞いたことがあるんですよ。神田の神保町は世界でも一、二を争う大きな古書店街ですが、あそこに外国人を連れて行って「日本の書店・古書店はこんなに充実している」と自慢したところ、「それはお気の毒に。図書館が機能していないから、わざわざ本を買わなきゃいけないんだね」と言われたという。この話をきいて、本当にそうかもしれないな、と思ったんです。

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「過去の本にアクセスする」ための手段として、いまは図書館よりも、あるいは新刊書店よりも、下手をすればネット検索と古書店の組み合わせのほうが便利だったりする。「日本の古書店」や「スーパー源氏」のサイトで検索すれば、かなりの本がみつかってしまい、買えてしまう。そんなふうに、私的所有を前提にするかたちでないと、知的生産のための土台の基礎資料が手に入らないという状況が、もしかしたら日本の本の世界の特徴ではないかと、この話のおかげで気付いたんです。

なので今は「電子書籍」よりも、むしろ「電子図書館」のほうに興味があります。「一度読んだらそれで終わり」というフロー的な本とのつきあい方もありだと思うんですが、それ以上にストックとしての本、「資料」としての本へのアクセスに電子メディアが役立つことに対して大きな期待を持っています。

――なるほど。仲俣:そこまで行けばもう、それを「電子書籍」と呼ぶか「電子図書館」と呼ぶかはどちらでもいいんですよ。紙の本を新刊で買うほど高くなく、たとえば古本と同じかそれ以下の値段で、なおかつ場所も取らずに、ある知的な活動を行うときの基礎資料にアクセスできるような、そういう環境ができて欲しいと思います。

もちろん電子書籍への期待は多種多様であってよいし、「コンシューマー向けの本を電子書籍で安く大量に読みたい」という人も少なからずいるだろうけど、そのためならば、日本にはすでにブックオフのような新古書店もある。そもそも日本は本が安いですからね。文庫という安い本の形態があるのに、わざわざ電子書籍で読まなきゃいけないほどたくさんの本を読む人が、はたしてそんなたくさんにいるのだろうかと、ちょっと疑問に思う部分もあるんです。

――確かに駅の売店で気軽に買って、極端に言えば読み終われば捨ててしまって終わり、というある種の気軽さがありますよね。

仲俣:ある種の本はそれでいいと思うんです。その一方で「資料」としての本を、梅棹さんが発明した京大式カードのようなデータベースをデジタルで実現し、そこにアクセスできるようにするという夢もあっていい。紙の本に対してはいろんな知的情報整理術が提案されてきましたが、そういう環境の中に、あらたに電子書籍が加わってくるといいなと感じています。

――まさにその主旨で、『スマート読書入門』も書いている部分が大いにあります。

仲俣:ぜひそちらのほうに行くように、僕らも後押ししていきたいですね。というのも、日本の電子書籍をめぐる議論が、かなり間違ったほうに向かっているんじゃないか、という危惧があるからです。いろいろと登場するサービスや端末を見ていると、本を読むこと、本をつくることに真剣に向き合ったり、悩んだりした経験のない人たちが、電子書籍ビジネスを推し進めているんじゃないかと思うことがあります。