官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第52回】岡野苑子『満員電車で逢いましょう』

公開日:2014/8/5

 求人採用の大手コンサルに、新卒で勤め始めて五年。

 一日に数十の案件を捌きつつ、毎日終電まで残業するのは体力的にも厳しいけど、自分の力を試しているみたいで楽しかったし、充実感もあった。週末はいつ も同じチームの仲間と飲みに行って、時々先輩の仕事が終わらなかったりするから、そういう時は後輩総出で手伝ってなんとか終わらせてから、始発まで飲んだ りしてさ。きついけど楽しかった。

 でもある時から、ひとり、またひとりと気の合う先輩や同期が辞めていって、気づけば俺だけが会社に取り残された。最初はまったく理解できなかった。こん なに楽しいのになんでみんな辞めちゃうんだって。もちろんつらいことだって山ほどあるけど、それでも仲間と一緒なら楽しさの方が勝ってなんでもできた。い くらだって働けた。俺の場合は。こうしてひとりぼっちになって初めて理解したんだ。彼らがどうして辞めたのかを。

 ああ、みんな、自分にとっての大事なものを失ってしまったから、苦しくなって辞めるんだって。

 みんないなくなってようやく気づいた。

 気づいた途端、過労気味に働くのが無理になった。昔と違って今の会社の雰囲気は、根詰めて仕事するには俺にとっての対価が足りない。ご褒美が少ない。 だったらいっそ給料は下がってもいいから、もっと楽で人間味の保てる会社に移ろうか。生きるためだけに割り切って仕事をしようか。中途採用やってる俺が転 職先探すとかギャグだな。

 急に吐き気を感じた。

 二日酔いにも似た過度な胸焼けと、息苦しさ。ここになってようやく、自分が額の生え際いっぱいに脂汗を浮かべていることに気づく。気持ち悪い。やばい。電車酔いか。寝てないし朝飯も食ってないから。

 車内の空気が生ぬるくて、うまく呼吸できない。なるほど気分の悪さはこれが原因か? 己の呼吸器官の不調を自覚したところで頭上に視線をやったら、いつもは稼働しているはずの空調機がなぜか今日はしっかりと停止していた。ふざけんな車掌一発くれてやろうか。

 具合の悪さを意識した途端もう駄目だった。目眩がして、体温がどんどん下がっていくのを感じる。さっきから息は吸えるのにうまく吐きだせない。元々喘息 持ちなんだ俺は。これでも小学校の頃はよく入退院を繰り返していた。だから体育の授業は決まって見学で、それを同級生から馬鹿にされるのが嫌で嫌で勉強だ けは頑張ったんだ。

 塾行って、進学校行って、いい大学を出て、いい会社に就職した。

 ロードマップ通りに人生送ってるはずなのに。

 いつからこんなに楽しくなくなったんだっけ。

 あまりに気分が悪すぎて「俺このまま安らかに召されるんじゃ……」などと思いつつ、車内の電光掲示板で現在地を確認する。通勤快速で飛ばす六駅分を絶賛 走行中、ちょうど二駅目を過ぎたところで、停まるのはまだ当分先だ。ここで吐いたりしたらパニックだぞ。阿鼻叫喚のバイオハザード。どうなるのかちょっと 見物だけど。アホなこと考えてる場合か。

 指に力が入らなくて、持っていた通勤鞄を取り落とす。でも車内には屈んで拾えるほどの隙間はない。鞄のチャックをしっかり閉めといて良かった。中身が散乱でもしたら目も当てられない。

 ああ、もう限界だ。

 とうとう俺は、目の前に立っていた見ず知らずの乗客に、自分の全体重を預けてしまった。相手の肩に額を乗せる。ごめん。ほんとごめん。口には出さず胸中で謝り倒す。向かい合っていないのが唯一の救いだな。でも寄りかかるものができたおかげで、少しだけ体は楽になった。

 身長からして相手は男性。どうやら体調不良を察してくれたのか、抵抗も身動きもしてこない。鬱陶しそうに振り払われなかったことが心底ありがたくて、うっすら涙まで滲んでくる。すいません。次が降りる駅なんで。それまで。お願いそれまでは。

 なにやってんだ俺は。

 通勤快速が淡々と駅を飛ばしていく。三駅目。四駅目。五駅目を通過。

 残り一駅。

 

 

2013年9月女性による、女性のための
エロティックな恋愛小説レーベルフルール{fleur}創刊

一徹さんを創刊イメージキャラクターとして、ルージュとブルーの2ラインで展開。大人の女性を満足させる、エロティックで読後感の良いエンターテインメント恋愛小説を提供します。

9月13日創刊 電子版も同時発売
  • 欲ばりな首すじ
  • 艶蜜花サーカス
  • やがて恋を知る
  • ふったらどしゃぶり

 

登録不要! 完全無料!

WEB小説マガジン『fleur(フルール)』とは……

日々を前向きに一生懸命生きている、自立した大人の女性がとても多くなった現代。そんな女性たちの明日への活力となる良質な官能を、魅力的なキャラクターと物語で届けたい――そんなコンセプトで2月22日に創刊された『fleur(フルール)』。男女の濃密な恋愛を描いた「ルージュライン」と男同士の恋愛(BL)を描いた「ブルーライン」のふたつのラインで配信される小説の他に、大人気読み物サイト『カフェオレ・ライター』主宰のマルコ氏による官能コラムや「キスシーン」をテーマにした作家のオリジナルイラストなどの連載も楽しめます。

 ルージュライン Rouge Line

『本能で恋、しませんか?』
――男女の濃密な恋愛が読みたい貴女へ。
ココロもカラダも癒され潤って、明日への活力が湧いてくる――。
ルージュラインは、日々を頑張る大人の女性に、恋とエロスのサプリメント小説をお届けします。

 ブルーライン Blue Line

『秘密の恋に、震えろ。』
――痺れるような男同士の恋愛が読みたい貴女へ。
たとえ禁忌を侵しても、互いのすべてを求めずにはいられない。
至上の愛に心が震える――。ブルーラインは好奇心旺盛な大人の女性へ究極の恋愛小説を贈ります。