もしもあの男が池に落ちたら、どうやって助けようか/『蕎麦湯が来ない』③

文芸・カルチャー

公開日:2020/5/11

美しく、儚く、切なく、哀しく、馬鹿馬鹿しく、愛おしい。鬼才と奇才。文学界の異才コンビ・せきしろ×又吉直樹が詠む、センチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句集より、その一部をご紹介します。

『蕎麦湯が来ない』(せきしろ又吉直樹/マガジンハウス)

水面に太った男が映っている

 私が今住んでいる町から、大きい公園に行くとしたら選択肢はふたつある。ひとつは井の頭公園で、もうひとつは善福寺公園だ。どちらも距離は同じくらいで、徒歩で十五分といったところか。

 どちらにも長所と短所があり、井の頭公園は吉祥寺の街のそばにあるから、公園を堪能した後に、あるいは予定を変更して何か食べに行ったり買い物したりすることができる。一方、善福寺公園は住宅街に囲まれているので公園以外何もない。公園を楽しむだけの大変ストイックな状況になる。ただ、井の頭公園は若者が多いが、善福寺公園にはいないため、騒がしくなく、聞きたくない歌声を聞かされることもない。

 どちらの公園にもボートに乗れる大きな池があるが、私はボートに乗ることはない。白鳥の形をしたものではなく、オーソドックスな漕ぐタイプのものには乗ったことすらない。泳げないので落ちた時の恐怖しかないのだ。

 そのため私は池を眺める専門である。特に景色が水面に映っているのを見るのが好きで、それには池の周りが開けている善福寺公園の方が良い。空が映り、木が映る。善福寺公園の方が池の傍まで行きやすいため、池の向こう側にいる人が映って見えることも多い。

 特に晴れた日は水面に景色がはっきりと映り、水面が揺れるとそれらも揺れる。私はそれだけをただただ眺めている。その光景から有名な絵画を思い浮かべるが、それがモネだったかマネだったかミネだったかミロだったか思い出せない。ミネは峰竜太しか思い浮かばないから選択肢からすぐに消える。ミロは飲み物を想像させるが、可能性はなくもない。

 その日は太めの男がいた。男は池のギリギリまで近づき、中を覗き込んでいて、その姿が池に映っていた。男がしているサスペンダーまではっきりと映っている。男はちょっとでも何かの力が加われば池に落ちてしまいそうだ。もしもあの男が池に落ちたら、どうやって助けようかと考える。陸からあのサスペンダーを摑み、引っ張り上げれば良いか。いや、待てよ。引き上げようとしても、サスペンダーがどんどん伸びるだけで助けられないか。

 助けられずに慌てる私と伸びに伸びたサスペンダーも、きっと水面に映るのだろう。

せきしろ

<第4回に続く>