コロナ禍で崩れ去った甲子園出場の夢。それでも選手たちが「熱い気持ち」を保てたワケ/「一生懸命」の教え方

スポーツ・科学

公開日:2021/8/19

我慢強さがない、打たれ弱い、すぐにあきらめる…。そんな「今どきの子ども」との向き合い方に、悩んでいませんか?

甲子園の常連校・日大三高を率いる名将・小倉全由(まさよし)監督が実践するのは、選手に「熱く」「一生懸命」を説く指導。その根底にあるのは、「人を育てる」ことでした。
個を活かし、メンバーの心をひとつにまとめあげ、強力な集団に変えていく方法とは――?すべての指導者に知ってほしい、本当のリーダーのあり方を教えます。

※本作品は小倉全由著の書籍『「一生懸命」の教え方 日大三高・小倉流「人を伸ばす」シンプルなルール』から一部抜粋・編集しました

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「一生懸命」の教え方
『「一生懸命」の教え方 日大三高・小倉流「人を伸ばす」シンプルなルール』(小倉全由/日本実業出版社)

コロナ禍で夏の甲子園大会がなくなっても、
選手を「熱い気持ち」にさせたかった

 すべての力を出し切ったとき、よく「完全燃焼した」という言葉を使います。完全燃焼することで、充実感や達成感を味わうことができます。高校野球で選手たちの気持ちを「完全燃焼させる」ためには、熱い気持ちにさせて大会に臨ませることが必要です。私はそこに全精力を注いできました。

 しかし、2020年は甲子園出場を懸けた予選がなくなってしまい、目標すら失いかねませんでした。それでも私は、いつもの年と変わらぬように「高校野球をいかに熱い気持ちでやり遂げるか」が重要だと考えていました。

 

目標を失った3年生を奮い立たせるために……

 2020年5月20日、日本高校野球連盟(以下「日本高野連」)から、「第102回全国高等学校野球選手権大会(夏の全国高校野球大会)を中止する」という発表がありました。

 私はもちろんのこと、高校野球に携わっているすべての指導者、そして選手全員が言葉を失ったはずです。

 私たちは、常日頃から「甲子園出場」を目標に掲げて練習を積み重ねてきたにもかかわらず、新型コロナウイルスという得体の知れない疫病によって、その夢を叶えることが無残にも崩れ去ったのです。夏の甲子園が開催されないというショッキングな出来事は、私の40年近くに及ぶ監督人生のなかで、はじめての経験でした。

 

 もちろん、一番ショックを受けたのは、ほかでもない3年生の選手たちです。彼らが入学した年の2018年の夏、日大三高は西東京の代表として甲子園に出場し、ベスト4まで勝ち進みました。

 先輩たちが灼熱のグラウンドで躍動する姿をアルプススタンドから見届けた当時1年生の彼らが、「自分たちが3年生になったら、あの舞台に立つぞ」と意気込む姿を、私は日頃から間近で見ていました。

 それが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、甲子園大会そのものがなくなったわけですから、内心は「この世の終わり」と思えるほどの、絶望の淵に立っていたはずです。

 けれども、憧れの甲子園でプレーすることを夢見ていた3年生たちに「無意味な3年間だった」などと思わせてはいけない。そう考えた私は、日本高野連の発表の4日後に、部員全員を緊急召集して、グラウンドのバックネット裏でミーティングを行なったのです。

 

 開口一番、私はこう切り出しました。

「みんなも知っての通り、夏の甲子園大会は中止になった」

 すると、3年生は全員、目に涙を浮かべていました。最後の夏の甲子園出場を懸けて、この年の2月下旬までグラウンドで必死に汗水流してがんばっていたのですから、やり切れない気持ちはよくわかります。私自身も正直、彼らと一緒に泣きたい心境でした。

 それでも私は、あふれる感情をグッとこらえ、こう続けました。

「でもな、『自分たちの3年間は何だったのか』って考えるのはナシにしよう。『無意味な3年間だったんじゃないのか』と考えた時点で、これから先の人生で負い目を作ってしまう。高校野球を終えたときに、『自分たちが高校野球に捧げた3年間は間違っていなかったんだ』って強く思えることが大切なんだ」

 これまででしたら、甲子園出場を懸けた夏の西東京予選を戦って、仮にそこで負けたとしても、「自分たちの力は及ばなかったけど、これまで努力してきたことに悔いはない」と思えたことでしょう。けれども新型コロナウイルスの影響で、夏の甲子園が開催できない状況になったのは、おそらく後にも先にも彼らの世代だけとなるはずです。それだけに、彼らの高校野球をどう終わらせるかが、監督である私の役目だと考えていました。

 

 高校3年間の野球生活を熱い気持ちを持ったまま終わらせたい―。そのためには、私自身が彼らと向き合い、これまで甲子園を目指していたのと同じ情熱を持って接することが重要でした。

 このミーティングを開催した時点では、西東京独自の代替大会が行なわれることが決まっていませんでしたが、私はあえてこう言いました。

「今後、東京都だけで大会を開催するかどうかもわからない。もし開催されなかったとしても、帝京の前田(三夫)監督、二松学舎大附属の市原(勝人)監督、早稲田実業の和泉(実)監督に頭を下げてお願いするから、4校で対抗戦を開催しよう。もし『コロナの感染リスクがある以上、無理です』って言われたら、チーム内で紅白戦を開催しよう。紅白戦も学校から「無理だ」と言われたら、残りの期間、オレが心血を注いで指導するから、『3年間をやり切った』という達成感を共有しようじゃないか」

 すると、3年生たちの目の色がパッと変わりました。夏の甲子園大会がなくなったという現実を変えることはできないが、これから先の未来については、自分たちの力で切り拓いていくことができる。

 うしろに向いたままの3年間で終わらすのか、それとも前を向いて必死に未来に向けて一歩一歩進んでいく3年間で終わらせるのか―。私は3年生全員が後者であってほしいと願っていました。

 

 幸いにも後日、東京都の高野連から、7月18日から22日間、東京の独自大会を東西に分けて開催することが決まりました。もちろん、甲子園大会はなくなってしまったわけですから、この大会で優勝したからといって、甲子園には出場できません。それでも、いつもの夏と同じように、選手たちと一緒になって、熱い気持ちで戦い、3年間の高校野球生活を終えたかった。それが私の偽らざる心境でした。

 

言葉では言い表せないほどの無念さを前に

 緊急事態宣言が解除されて全員が学校に戻って、これまで通りの練習を行なえるようになったとき、3年生を中心とした全員が生き生きとグラウンドで躍動していました。私の叱咤する声にも負けず、必死になって食らいついていくあの姿勢は、いつもの年と変わりません。

 私は大会の前に、3年生の部員にこう言いました。

「甲子園大会はなくなっちゃったけど、頭のなかを切り替えて、東京大会を熱くプレーして、いい野球をやって3年間終わるようにしよう」

 大会が始まり、三高は2回戦から登場して勝利すると、続く3回戦、4回戦も勝ち続け、準々決勝へと駒を進めました。けれども佼成学園との試合は、2対2の同点から9回裏、佼成学園の攻撃でワンアウト二塁という場面になった直後、相手打者に左中間を越えるヒットを打たれ、2対3でサヨナラ負けを喫したのです。

 

 試合後、合宿所に帰ってきてから選手全員を集め、私はこう言いました。

「負けちゃったけど、3年生どうもご苦労さま」

 言ったあと、私は自分の目から涙がこぼれ落ちるのを止めることができませんでした。見ると、3年生全員も目を真っ赤にして声を震わせて泣いています。さらに私は続けて、こう言いました。

「3年間、野球を続けて涙を流して終われるなんて、お前らかっこいいよ」

 涙を流して終わることができたということは、野球に真剣に取り組んでいた証拠でもあるのです。もしいい加減な気持ちで野球に取り組んでいたのであれば、「あ~あ、やっと終わったよ」と冷めた表情をしていたことでしょう。でも今、目の前にいる彼らの表情は、いつもの年の3年生が野球を終えたときと同じ表情をしていたのです。

「高校野球は、こういう気持ちでなければいけないよな」と、子どもたちの姿からあらためて学んだ気がします。

 

 人生にはうまくいかないことがたくさんあります。私自身だってそうでした。若い頃はうまくいかないことや、理不尽だと思えることだらけ。でも、そうした場面に遭遇しても、逃げることなく、真摯に向き合ってきたからこそ、今の私が存在しているのだと思っています。

 このことは3年生の彼らも一緒です。夢にまで見た甲子園が、戦わずしてあきらめなくてはいけなくなった。言葉では言い表せないほどの無念さを感じたことでしょう。

 それでも本気で熱い気持ちで取り組むことによって、悔いなく次のステージへと進んでいくことができる。そのおぜん立てをしてあげるのが、指導者の役割のひとつであると、私はつくづく感じたのです。

小倉流ルール 絶望のなかにあっても道は拓ける

<第2回に続く>

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