隣の寺に住み着いていた猫のぴーちゃん。いつものように会いに行くと?/片岡健太(sumika)『凡者の合奏』

文芸・カルチャー

更新日:2022/7/20

 その翌日は水曜日で、週の中で最も早く帰宅できる日だった。今日は早く帰れるのが、朝からとても嬉しく、不思議とその日は給食を食べてもお腹が痛くなることはなかった。帰宅した僕は、すぐに寺に向かった。

 目の前には、いつもと変わらぬデレたぴーちゃんがいた。その横にはまだ小さな子猫。子猫は触れたら壊れてしまいそうだったので、まずは頑張ったぴーちゃんを褒めることにした。いつも以上にたくさん撫でて、抱きしめた。

 しかし、数分後に僕の身体に異常が出はじめた。腕は突然真っ赤に腫れ上がり、身体じゅうが痒くなった。さらに喉がカーッと熱くなって、声を出すのも難しくなるほどだった。

 泣く泣く家に帰ると「どうしたの!」と母親が驚いた声を出して、即座に自転車の後方に乗せられ、皮膚科に直行した。

 診断は「猫アレルギー」。

 そんなはずはない。1年間、ぴーちゃんに触れ続けていたはずだ。触れたいのに、もう触れられないという現実を受け止めるのには、しばらく時間がかかった。

 ぴーちゃんの出産を見届けたあの日から、僕は今でも猫アレルギーである。

 そして、理由は分からないが、あの日を境にもうお腹が痛くなることはなくなった。

 どんなに僕が好きでも、ぴーちゃんが僕に心を許してくれていても、それ以外の理由で距離を取らなければいけない。これはアレルギーだけに限った話ではないのかもしれない。いろんな人の別れや距離を置かれた理由にも、きっとどうにもできない理由がある場合もあるのだろう。

 大人になった今、僕から離れていった人や、明確な理由もなく疎遠になった人とのことを思い出すとき、僕はぴーちゃんのことを思い出す。そう考えることで、もやもやしていた気持ちが少しだけラクになる気がするのだ。

<第4回に続く>


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