社会からはじき出された少女たちは、なぜ犯罪に手を染めたのか。善悪の狭間を描く、川上未映子の新境地!

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/20

黄色い家
黄色い家』(川上未映子/中央公論新社)

 人生をやり直せるなら、どこまで時間を巻き戻すだろう。今にたどりつく分岐点は、どこにあったのだろう。日々の暮らしの中で、ふと、そんなことを考えてしまう時がある。

 きっと『黄色い家』(川上未映子/中央公論新社)の伊藤花にも、無数の分岐点があったはずだ。犯罪に手を染める前に、なんとかできたのではないか。引き返すチャンスは何度もあったのではないか。だが、そんなものは“持てる者”、もしくは自分は“持つ側”だと信じ込んでいる大人の戯言にすぎない。社会の仕組みからはじき出された少女が、生き延びるにはまず金が必要だし、稼ぐために取り得る選択肢なんてそう多くはない。大事な家を守りたいと必死にもがいた結果、違法行為に加担したとして、それは本当に“悪”なのか。犯罪に突っ走る花たちを夢中で追いかけながら、善悪を決めるものは何なのか、金とは、生きるとは何かを考え、思考と感情をもみくちゃにされた。

 2020年春、惣菜店で働く花はあるネット記事を目にする。それは、かつて一緒に暮らしていた吉川黄美子が傷害と脅迫、逮捕監禁の罪で起訴されたというニュースだった。けして忘れないと思っていたのに、今ではすっかり記憶の片隅に追いやられていたあの遠い日々。20年以上前の濃密な数年間を回想する形で、彼女たちの過去がひもとかれていく。

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 スナック勤めの母とふたり、東京郊外の古い文化住宅で暮らしていた花は、15歳の夏、母の友人である黄美子と出会う。その2年後、こつこつ貯めた金を母親の彼氏にすべて奪われた花は、偶然再会した黄美子に誘われて家を出る。三軒茶屋で「れもん」というスナックを始めたふたりは、キャバクラを辞めたばかりの加藤蘭、裕福ながらも家族と折り合いが悪い玉森桃子という10代の女子たちと一緒に暮らし始める。

 だが「れもん」が火事に遭い、収入が途絶えたことから、花はカード詐欺に関与するようになる。やがて蘭や桃子も巻き込み、より危険なシノギに手を出すが……。

 X JAPAN、クリスチャン・ラッセン、ルーズソックスとハイソックス。1990年代後半、世紀末の東京を舞台に、犯罪の深みに向かって猛スピードで突っ込んでいく花たちの姿が、痛いくらいリアルに描かれていく。彼女たちに仕事を斡旋する大人もまた、花と似たり寄ったりの環境で育ったのだろう。社会的信用も明日を生きられる保障もなく、信じられるのはただ金のみ。“持つ者”が作り上げたルールから弾かれた人々が吹き溜まりのように集まり、金に狂奔しながら大きなうねりを生み出していく。

 だが、そんな危うい生活が長く続くはずはない。花たちはどんどん追い詰められていき、ある出来事を機に“黄色い家”は崩壊を迎える。それから二十年が経ち、黄美子は今どうしているのか。すべてをなかったことにしていた花は、蓋をしていた過去と直面することになる。ラスト数ページに待ち受けるのは、優しくて眩しくて力強い言葉。本を閉じ、『黄色い家』というタイトルを眺め、何度目かの涙がこぼれた。

文=野本由起

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