80年代バブル期、夜中まで営業電話をかけ続けた証券会社の企業戦士たち。桐野夏生が描く成り上がりの物語『真珠とダイヤモンド』

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/28

真珠とダイヤモンド
真珠とダイヤモンド』(桐野夏生/毎日新聞出版)

 1974年生まれの筆者は、バブル経済の恩恵にあずかった記憶がまったくない。1970年生まれの社会学者/詩人・水無田気流も言っていたが、私たちの世代は、バブルのツケを払わされ、その後処理をさせられた。桐野夏生の新刊『真珠とダイヤモンド』(毎日新聞出版)は、そんなバブルの狂騒と絶頂と衰退までを描ききった大作である。

 物語はバブル前夜の86年春、福岡にある中堅の証券会社だ。怒号の飛び交う社内で、朝7時から夜中まで営業の電話をかけまくる「企業戦士」たち。彼らは、実現不可能としか思えないノルマを課せられ東奔西走する。へとへとになって社員寮に帰ると、今度は竹刀を持った寮長のその日の反省をさせられる。睡眠時間は3時間くらい。今ならブラック企業として告発されておかしくない劣悪な環境である。

 こんな時代があったのかと驚く読者もいるだろうが、時代考証はしっかりしており、投資ジャーナリストの中江滋樹氏をモデルとしたらしき人物も登場する。バブル全盛の証券会社の熾烈な争いを通じて、この時代の空気がクリアに伝わるはずだ。

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 証券会社とは基本的に「男の戦場」だ、という文章もある。セクハラやパワハラが今ほど認知されていなかった80年代、社内での女性社員のポジションは想像以上に低かった。入社して女性社員がまず覚えるのは、正しいお茶の淹れ方。そして男性社員は「窓口は、かわいい子にやらせるに限るな、俺もやりてえなあ、枕営業」とか「やっぱ、証券会社の女子社員は顔でとる、って本当ですね」等々を、なんの屈託もなく言ってのける。

 Z世代には信じられない光景かもしれないが、実際にこんな慣例がまかりとおっていた時代はあった。桐野氏が本書を書いたのは、そうした事実が風化し、なかったことにされるのを怖れたからではないか。

 本文の構成は相変わらず巧みで、特定の登場人物が代わる代わる語り手となる。特に印象に残るのが男性社員の望月。学歴コンプレックスなどをばねにして、持ち前の粘り強さと行動力を武器に、出世街道を突き進む。まるで矢沢永吉の『成り上がり』のような話である。望月は、同じ会社の佳那と結婚して東京に家を買うが、夫婦生活はうまくいかない。

 そんなふたりが引き裂かれた決定的な事件。それが、NTT株を巡る駆け引きだった。当時、電電公社が民営化されたことでNTT株が高騰し、大金を儲けた人も多かった。が、あっという間に株価は暴落し、売るのをしぶった人たちは一気に敗者と化すのである。

 強引なやり方で投資を勧めてきた望月もまた、最終的に顧客に大損をさせ、これまで築き上げてきた地位や名誉のすべてを失う。頼りにしていたはずのヤクザにも恫喝され、望月夫婦の行く先は真っ暗となる。

 それにしても、バブルを謳歌した人々の金銭感覚は、完全に麻痺していたとしか思えない。東京に栄転して羽振りのいい望月は、夜ごと様々な業界の者と遊びまわるが、ひと晩で百万、千万単位の金を簡単に消費してしまう。会計では、その中でいちばんのお偉いさんが経費で落とす。右肩上がりの経済成長に背中を押された彼らのテンションは、もはや病気、それも躁病的に見える。もちろん、今振り返ってみると、ということではある。当時は巨大バブルの中にいたから、これが当たり前だと思っていたのだろう。あな恐ろしや。

 ちなみに、桐野氏は小説を書く出発点として「違和感や怒り」があると述べている。例えば、本書では、バブル期にありながらも、貧困にあえいでいた女性たちの姿も描写されている。皆が皆、バブルでいい思いをしたわけじゃない、という違和感が桐野氏にはあったのではないか。そして、現在、バブル期とは違う形で日本には格差が蔓延っている。そうした現況を桐野氏は「告発」したのではないだろうか。

 筆者が読んだ桐野氏の作品はこれが23作目だが、ヘヴィでシリアスな社会問題を、時にミステリやサスペンスの要素も汲みあげて描くさまは驚愕ものだ。しかもかなりのハイペースで大部を上梓し続けているのだから、大器という他ない。98年の『OUT』がブームになったからか、桐野作品のイメージが同作やその前後で固まっている読者もいると思う。だが、そんな方にこそ、自信と確信をもって勧めたいのが、この『真珠とダイヤモンド』である。

文=土佐有明

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